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かつては、人の顔と名前を覚えることが得意でした

2020.01.07

こんにちは、萩ドットライフ()です。

僕が老いを感じるようになった要因のひとつが、人の顔と名前を覚える能力を失ったということなのですよ。若いころは、これが得意だったのです。そして老いを感じたことが原因で、セミリタイア生活を初めて自分を再構築することを決意したのです。

顔と名前を覚えるのが得意、でした

そう、過去形なのですよ。
今はもう得意ではなくなっているのです。

よく「年を取るとアレだね。物や人の名前がスッと出てこなくなっちゃってさ」みたいなことをいいますが、まさにその話なのです。

僕は今、セミリタイア生活に入っています。
そして去年の9月に無職になって、現在は長期休暇中です。

「セミリタイアなの? 長期休暇なの? どっち?」と思われるかもしれませんね。
僕はいま50代半ばですが、75歳とか80歳とかくらいまでずっとユルく長く働き続けようと思っているのですよ。
娯楽とか趣味とかの延長として労働していたいのです。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)

だから「セミリタイア」は、あと四半世紀くらいは続くであろう、長期の働き方のことを指しています。

「長期休暇」は、ここ1年くらいの予定のことです。
社会に出て30年以上経ったし、まだ四半世紀程度は職業人としての寿命がありそうなので、いったん休息を取っているのです。そのために無職になったのです。

長期休暇は、セミリタイアに含まれるメニューのひとつだと考えています。

僕が「セミリタイア生活を始めよう」と思い立った原因のひとつが、「焼きが回ってきた」と感じ始めたからなのです。

そして「焼きが回ってきた」と感じるようになった原因のひとつが、人の顔と名前を覚えるのが得意ではなくなったことなのです。

元々持っていた特性のようです

「人の顔と名前を覚えることができるようになる方法」を求めて、この記事にたどり着いた方、スミマセン。
僕もよくわからないのです。

元々持っていた特性のようなのです、いつ頃から身についたのかも謎です。
通常、そんなことを他人と比較する機会なんてありませんもんね。

なんとなく、小学生の頃からクラス替えをしたり、遊ぶ環境が変わるたびに、他の子がいつまでも「あの人だれ?」と確認し続けてるのを不思議に感じていたくらいです。

僕が「あれ、オレこういうの得意かも」と確信し始めたのは、大学のバレーボール部に入部したときです。

最初のうちは、いろいろ覚えさせられるのですよ。
準備体操とか、練習メニュー、通常の時期とリーグ戦中のスケジュールの違いとか、合宿所での暮らし方などなど。
なんせ「昭和の体育会」ですから、なんだかんだと盛りだくさんでした。

その中に「今週中に全メンバーの顔と名前を覚えとけ」というのがありました。

顔写真の付いていない名簿は配布されるのですが、それだと顔が一致しないため、練習前後などに1年生同士で「あの人誰だっけ?」と確認し合ったり、不明であれば、2年生に訊ねるというスタイルで50名近い全部員の顔と名前、出身高校を覚えるのです。

なんせ入学したての時期ですから、学校生活全般にわたって覚えることだらけの中でクリアしないとならないのです。

僕の場合、練習メニューやら、生活上のルールを覚えるのは結構手こずりましたが、この「全員の顔と名前を覚える」に関しては、初日でほぼ完了していました。
毎晩、同級生でミーティングをして「覚えなければならないこと」の進捗を確認し合うので、各自の得意不得意分野がわかるのです。

この特性は、社会に出てからも意図的に使っていました。

よく複数人の会議のとき、始まる前に名刺交換して、手元にズラッと並べたまま進めるじゃないですか。
僕は意図的にさっさと名刺ケースに片付け、その上で全員に「○○さん」と、個人名を呼びながら発言するようにしていました。

初めての人が多すぎると無理ですが、たぶん10人くらいならば、なんとかなってたような気がします。

どれくらいの割合の人にアピールできたかは不明です。

でも、まだ名前を覚えてない人から自分の名前を諳(そら)で口にされると、ちょっと戸惑いますよね。
そうすると先方が手元の名刺に目をやって、僕の名前を確認してくれるのです。

何もしないよりはまし、ほんの少しだけでもいいから印象に残って欲しいと思いながら、そんなことをしていました。
フリーランスにとって「まず、存在を認識してもらう」って大切ですからね。

老いを感じたら、一歩下がってみよう

50歳前後くらいからでしょうか、あれほど得意だった「人の顔と名前」が、すぐにアタマに入って来なくなったのですよ。
当然、名前を間違えて呼ぶわけにはいきませんから、他の出席者と同じように僕も手元に名刺を並べるようになります。

この方法を取ると「あれっ、この名刺がこの人だっけ?」って途中で確信が持てなくなって、かえって個人名を口にしにくくなりますよね…。

最初のうちは「オレも50だし、そろそろ物覚えが悪くなってきちゃったな。ま、仕方ないか」などと思っていたのですよ。

それが自分の中に続々と、

  • 新しい技術の導入を億劫に思ったり
  • 昔を懐かしんで現状に不満を感じたり
  • 他人の意見をすんなりと受け入れられなくなっていたり

などの「加齢に伴う心の変化」を感じることが多くなると、だんだんと「ま、仕方ないか」では済まなくなってくるものなのですよ。

「オレはもう、人の顔と名前を覚えることにリソースを割けなくなってきているのか…」
「焼きが回っちまったな」

と思うようになるのです。

「こんなことなら、最初っから人の顔と名前を覚えるのが得意でなければよかった」と思ったりもするのですが、おそらく一事が万事なのですよ。

この「人の顔と名前を覚えるのが得意」だという特性については、若いときから自覚していましたから「加齢とともに失っちゃったな」と認識できるのでしょうが、そうでない能力もいっぱい失くしてるはずなのです。

いつしか、自分に「焼きが回ってる」ことを確認するために、いろんなことを考えるようになっていました。
自分の中に昔と変わった点を見つけては「あ。ここんとこ、焼きが回ってる」みたいなことを繰り返すようになるのです。

「自分に焼きが回ってることを確認して、安心する」といった、おかしな時期もありました。

そうなるともう、泥沼ですよね。

「たぶんもう限界だな」と感じたのです。
あと四半世紀ある職業人生を、若いときに描いた自分像で乗り切ることなんて、到底不可能だということを自覚したのです。

それで、いったん自分自身をリセットしつつ、いろんなものの棚卸しをする期間を作ろう、そしてちょっとユルく長い働き方にシフトチェンジしようと思うに至ったのです。
(参考:[フリーランスの老後]頑張って良かった。老い方を選ぶことができてる

この「棚卸し期間」の間に、これまで自覚していなくて、かつ、まだ残っている特性に気付くことができればいいな、などと思っています。

僕は、かつて得意だった「人の顔と名前を覚える」ことができなくなって、老いを感じました。
でもそれが、再び自分と向き合うきっかけになってくれたことも確かなのです。

まだセミリタイア生活に入って日が浅いので、明確な変化は得られていませんが「老いを感じたら、一歩引いて自分を再構築する」という試み、決して間違いではないような気がしています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。