時刻を見てごはんを食べる生活をやめよう
2020.01.08
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。無職になって長期休暇を得ているにも関わらず、時間を意識した生活をしています。規則正しさは悪いことではないのですが、意図的に崩して余白を作ってみることも必要だと思うのですよ。ちょっとだけ自分に変化をもたらしてくれそうな気がするのです。
規則正しく生活しています
ずっと規則正しく生きてきたわけではありません。
社会に出て最初の10年間はサラリーマン生活を送っていましたので、そこそこ決まった時間に起き、決まった行動をして、決まった時間に寝る生活をしていたのです。
ところが、30代半ばでフリーランスになったとたんに「好きなときに寝て、好きなときに起きる」生活に変わりました。
決して、自堕落な生活を送るようになったのではなく、むしろ仕事にハマってしまい、ずっと働き続けてるのが快適だったのですよ。
結果、40代後半でココロとカラダを壊して3ヶ月程度、休養することになるんですけどね…。
この間ほぼ15年くらいは、メチャクチャ不規則な生活を送っていました。
おそらく、多くの人は「加齢とともに」なのでしょうが、僕の場合は、ぶっ壊れてしまったことをきっかけに、一夜にして規則正しい生活に変わったのです。
何度試しても上手く行かなかった禁煙も、その日を境に成し遂げることができました。
(参考:「セルフブラック」の功罪)
いろんなところで「年寄は早起き」だと聞きます。
僕も生活のスタイルが変わって以来、早起きです。たぶん、早寝だから早起きになるんですよね。
どうしてそうなるのか? 医学的な根拠は不明ですが、僕の場合は「二度寝できなくなるからじゃない?」と感じています。
夜中に目が覚めてしまったとき、かなりの確率でそのあと寝付けなくなってしまうのですよ。
結局、そのまま起床してしまいます。それが深夜2時3時だとしてもです。
眠たいのに眠れなくてベッドの中でグズグズしているほうが、よっぽどツラいのです。
起きてしまえば、日常の生活を送るくらいならば問題なくできるのですよ。
作業のパフォーマンスは低下しますけどね…。そうやって、調整してるのでしょうね。
前の晩にぐっすり眠れても、深夜に目が覚めてしまっても「そろそろ寝ようかな」と思う時間は、だいたい一緒になってしまうのです。それが何故か「早寝」と言われる21時とか22時くらいなのです。
起床時間についても、突発的なトラブルや飲み会などで就寝時間が遅れても、翌朝はだいたい決まった時間に目が覚めます。
深夜2時3時に目覚めることはあっても、「起きたら昼だった」ということは(ほぼ)なくなるのです。
50代になって以降は、(ほぼ)目覚ましを使わない生活を続けています。
(※年に何度かは「ノンストップで14時間寝ちゃった…」なんて日もありますので、しくじれない日にはアラームをセットしておきます)
このように(ほぼ)規則正しい生活を送れていることは、良いことなのです。
そこについて異論があるわけではないのですよ。
ただ「あまりにも時間にとらわれ過ぎじゃない?」とも思いはじめています。
日が暮れたら帰ろう
子供の頃は、友達と一緒に遊んでいても「○時になったから帰ろう」ではなく「日が暮れたから帰ろう」という言いかたをしていました。
だから、夏場は遅くまで遊んでいたし、冬は早く帰っていたはずなのです。
あまり目のつくところに時計が設置されていないような田舎町で育ったし、子供が時計を持つなんて考えもしなかった時代だったからかもしれません。
正確には覚えていないのですが、季節によって晩ごはんを食べる時間も違ってたんじゃなかったかな?
両親とも働いていましたので、夕食を作るのは祖母の仕事だったのですが、日没に合わせて準備していたような記憶がうっすらとあるのです。
僕が体験した、昭和の田舎町のできごとなので、またそこに戻りたいと思っても叶うものではないでしょうし、そう思ったとしても、共感を得られるものではなかろうとも思うのです。
でも「○時になったから、何々しよう」から少しだけ離れてみるのは悪くないように思うのです。
僕は今、12時になったらお昼ごはんを食べたくなるし、18時になったら晩ごはんを食べたくなります。
朝ごはんは、その日の気分によって食べたり食べなかったりです。
規則正しい生活パターンになって以来、あまり空腹を感じたことがありません。
せいぜい、起床時に「腹減ったな」と感じるときがあるくらいです。それが「朝ごはんを食べる日」なんですけどね。
いつの間にか食事のタイミングが「時刻」になっているのです。
空腹を感じる前に、時刻をきっかけにごはんを食べる生活をしているのです。
その方が「規則正しい生活でよき」ということなのでしょうが、どうもしっくり来ないのですよ。
「その時間に空腹になるように、食べる量を調整すべき」なのかも知れませんが、腹の減り方なんて日によって違いますしね…。
前述の「日が暮れたから帰ろう」みたいに「お腹が空いたから何か食べよう」のほうが自然な気がするのですよ。
意図的に規則正しさから逃れて、心に余白を作ってみよう
僕は今、無職になって長期休暇中です。
誰かとの約束でもない限り、時間にしばられることはないのです。
せいぜい「起きたらまずブログ書く」「1日おきに朝ラン」ということだけが決まってるくらいで、あとは気が向けば掃除をしていたり、洗濯をしていたり、YouTubeを観ていたりしています。
「守らなければならない時間」が極めて少ない生活をしているのです。
こんな生活を続けていると「やるべきことなんて、何もないのかもしれないな…」なんて極端なことを考えたりもします。
先日「やるべきことを後回しにしない、を意識しよう」という記事を投稿しましたが、それと矛盾した考え方も常にアタマの中にあるのです。
「○時になったから、ごはんを食べよう」をやめて「お腹が空いたから、ごはんを食べよう」に変えてみようと思っています。
ちょっとだけ規則正しさは失われるかもしれませんが、そのぶん心に余白ができるような気がするのです。
「12時だ。お昼食べなきゃ」と思うと、11時半くらいに冷蔵庫を覗いてみたり、何もなければコンビニやスーパーに行ったり、バタバタと「12時にお昼を食べる」ためのスケジュールをこなして行くことになるのですよ。
それを「お腹が空いたら」に変えることで、「ちょっとその辺を散歩して、途中で新しくできたパン屋さんを覗いてみよう」「その頃にはたぶん、お腹も空いてるだろ」と、ちょっとのんびりとした生活になると思うのです。
その結果、これまで通り12時にお昼ごはんを食べることになっていたとしても、それはそれでいいのです。
ちょっとした余白の中で「ああしよう、こうしよう」と考えることが生活を豊かにしてくれるような気がします。
せっかく長期休暇を取っている最中なのですから、意図的に時間にとらわれない生活を送るのもアリだと思います。
その余白の中で何か別のものに出会えると、ちょっと嬉しいなと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。