「やりたいこと」の賞味期限
2020.01.09
最終更新日:2020年01月10日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「やりたいことを仕事にしよう」みたいな風潮ありますよね、賛成です。ただ「やりたいこと」って、言うほど簡単には見つからなかったり、見つかったとしても賞味期限があるものだと思うのですよ。封が開いたら劣化が始まってしまうものなのです。
「やりたいこと」なんて、なかなか見つかりませんよね
「やりたいこと」なんて、そう簡単には見つからないし、見つかったとたんに「なんか思ってたのと違う」と感じたり、「あっちのがいいかも」と目移りしたりして、なかなか「そうそう。これだよ、これ」というものに出会えなかったりするものなのですよ。
もう30年以上前になりますが、僕が社会に出るときに考えていたのは「将来、自分の会社を持ちたいから、そのための準備ができるところに入れてもらおう」程度のことで、「やりたいこと」なんてほぼ頭の中になかったような気がしますね。
これからは自分で働いて、自分のお金で生活することになるんだという現実のほうが「やりたいこと」とか「夢」よりもインパクト大きかったですからね。
「いろんなことは、社会に出てから考えることにするか…」という感じでした。
当時の学生の中でも、相当ユルい考え方をしていた方だったんじゃないでしょうかね。
いま「最近の若者は、指示待ちで困る」みたいな言説を見聞きすることもありますが、僕だってそうでしたよ。たぶん、そういう人多かったんじゃないでしょうかね。
社会に出て日が浅く、組織に加わって間もないのに「ここはこうした方がいい、この私がやってみましょう」みたいな人、あまり想像できないのですが、中にはいるのでしょうね…。
それと同じように「やりたいことを仕事にしろ」ってのも、なかなか難易度が高いと思っています。
みんながみんな「やりたいこと」を胸に抱いて社会に出ているわけでもないはずなのです。
僕はかれこれ30年間デザイナーでメシを食ってきました。
社会に出てから数年後に、デザインの仕事が「やりたいこと」になったのです。
「これだ!」と稲妻に打たれたように「やりたいこと」化したわけではなくて、いろんな業務をやらしてもらってる中に「印刷物の制作を発注する係」があったことから、だんだんと「自分で手を動かす人になりたいな」と思うようになったのです。
(参考:「また何かの初心者になりたい」を再考する)
今から思えば、ぼんやりとした「やりたいかも」が複数あって、その中からできるようになったものを事後的に「やりたいこと」に昇格させたような感じでした。
だから「やりたいこと」って、うんうん考えてても巡り会えないものだと思うのです。
「やりたいかも」と感じた時点で、お試しで手を動かしてみて、その感触とか出来栄えによって、あとから芽生える感情だと感じるのです。
「やりたいこと」なんて、事後認定でオッケーでしょ
昨今の「やりたいことを仕事にしよう」という風潮、僕はまあまあ賛成です。
でも、何も経験していないうちから「やりたいこと」を見つけるなんて無理なのですよ。
前項で述べた通り、僕の場合は小さな会社に入ることを選びました。
「近未来、自分の会社を持ちたい。その会社は、自分ひとり、もしくは少人数の小さな会社からスタートするに決まってる」からです。
だから幸いにも、ひとり何役もやらせてもらえたのです。
営業車に乗って千葉の工場街を配達したり、資材担当と価格の交渉をさせてもらったり、発注業務も、倉庫やオフィスで使う備品の選定も、簡単な製品の組み立てやパッケージングなども「手伝いますよ」とか「同行させてもらっていいですか」と言えば、拒む人など誰もいませんでした。
そううやって、興味を持っていろいろやってみる中で、製品カタログやパンフ、展示会のパネル、パッケージなどなどを発注先のデザイン事務所の手先みたいになって作業に加わるようになったのです。
そこからデザインの仕事が、「やりたいかも」が「やれるぞ、楽しい」を経て「やりたいこと」に変わっていったのです。
僕にとっての「やりたいこと」は、「自分が会社を作るときに、柱の事業にしたいこと」でした。
結局30代半ばのときに、デザイナーとしてフリーランスになって会社を作って、今に至ります。
ただ、そのときにまた複数の「やりたいかも」を思いついてしまったために、デザイナー業務に集中できず、初動に失敗しました。
この顛末については「フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう」で触れています。
当初の「やりたいこと(=グラフィックデザイン)」から、軸足を移した「Webデザイン」で20年以上メシを食うことになったのです。
この「Webデザイン」は、起業時に思いついた「やりたいかも」なのですが、事後的に「やりたいこと」に昇格させています。
前項で述べた通り「やりたいこと」って、後から昇格してくるものなのですね。
「やりたいこと」には賞味期限があります
どうにかこうにか50代半ばになるまで、20年以上Webデザイナーを生業にすることができました。
運が良かったのですよ。
そして今、このブログの至るところで書いているように、Webデザインの仕事をやめて長期休暇に入りました。
僕自身、加齢によって「焼きが回った」と感じたこともありますが、他の「やりたいかも」を試してみたくなったということも影響しているのですよ。
たぶん「やりたいこと」には賞味期限があります。
20年も経ってようやく気づいたわけではありません。
「やりたいことで食えるようになった、ウヒョー」と思ってる最中にも、次の「やりたいかも」が芽生えてたのですよ。
それは「やりたいことを見つけられた」ことがトリガーになって出現するものも多々あって、割と魅力的なものも多いのですよ。
「やりたいこと」って、封を開けた瞬間から劣化を始めるものなのですよ。
劣化が進むにつれ、相対的に他の「やりたいかも」たちが気になって仕方なくなるのです。
僕の場合、ずっとこの折り合いを上手く付けられませんでした。
やっと手に入れた「やりたいことでメシが食える」状態を手放す、もしくは手綱を緩めることが惜しくなっちゃってたんですね。
それで50代半ばのいま、いったん「ゼロに戻す」選択をしているのです。
もう一度、複数の「やりたいかも」に手を付けて回って、その中から「やりたいこと」を見つけなおそうとしているのです。
見つけたら見つけたで、また同じことを繰り返すんでしょうけどね…。
「やりたいこと」には賞味期限があります。
「やりたいこと」なんて、どんどん新しいヤツがでてきます。
「やりたいこと」が、数年後の幸福かどうかはわかりません。
「やりたいことに巡り会いたい」と思いながらもがいてる最中の20代の僕が言われたとしても、まったく聞く耳を持たなかっただろうと思います。
ようやく「やりたいこと」で食えるようになった30代の僕に言っても「分かっちゃいるけど、現実問題さ…」と答えるだろうと思います。
「やりたいこと」を、さほど過大評価する必要はないのです。
それよりも「なんとなくやりたいかも」「オレ、コレ、スキ」くらいのものを複数、身の回りに置いておくくらいのほうが心地よいような気がしているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。