量と質どっちが大切? について考える
2020.01.11
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。もともと僕は「量が質を担保する」と考える派なのですよ。ですからこのブログも「四の五の言わずに、毎日書こう」と思って継続しているのです。開設後もいろいろと「量と質」問題について考えることもあったので、ここいら辺で記録してみます。
量が質を担保する
このブログを開設して間もないころに『創造は「質より量」だと仮定する』という記事を投稿し、それから18ヶ月弱、毎日ブログ記事を投稿しています。
その記事内でも触れているように、僕は「量が質を担保する」と考える派です。
とくに僕オリジナルの考え方でもなんでもなく、いにしえから「何かを習得したければ、まずは数をこなせ」と言われてきましたし、最近では「1万時間の法則」という言葉がバズったりしましたよね。
(参考:「1万時間の法則」について考えてみる)
多数派を占める、ありふれた考え方だと思います。
ただ最近は、ただやみくもに練習しても意味がなくて、ちゃんとアタマを使って考えながら効率的に練習しないと効果は得られないという考え方も見聞きするようになってますね。
これも真実だと思います。
ただ、これを曲解して「ナルハヤで技術を習得したい」「コツがあるんでしょ?」「ショートカット教えて」みたいな感じになると、そりゃちょっと違うんじゃない? と感じてしまいます。
往々にして、いわゆる「教えてちゃん」に対して抱く感情であることが多いのですが、よくよく気をつけてないと自分にも発症してしまうことのある病だったりしますよね。
僕は、やみくもに量を増やそうと思わなくても、考えながらアタマを使ってやってたら、量なんて自然に増えていくでしょ、と思っています。
なんかコツがあって短期間でサクっと習得できるスキルというものがあるのならば、それは他人にとってもサクッと習得できるってことですからね。あまり価値があるようには思えませんよね。
量と質どっちが大切?
でも「量と質、どっちが大切?」と訊ねられたら、僕は「質に決まってます」と答えると思うのですよ。
これまでの人生で面と向かって聞かれたことがないので「思います」なんですけどね…。
「量が質を担保する」は、何かを習得しようとしているときだったり、職業人になってからも日々の研鑽に対して使う表現で、いわゆるバックヤードの話なんですよね。
その前提なく一般論として「量と質…」という場合、製品やらサービスやらのアウトプットをイメージすることになるので「質が大切です」ということになるのだと思います。
自分が職業人であれば、どうしても自分の仕事をイメージしますからね。「ちょっとくらい手を抜いたり、粗悪であってもいいでしょ」とは言えませんよね。
ただ、量と質って、対立概念でもなかったりするのですよ。
「ものすごい量の高品質なものを、決まった時間に仕上げる」ことができれば、何の問題もないのです。
理想論ですけどね。
みんな限られた時間の中で「もっと多くの量を」「もっと高い質を」と望むので、二項対立っぽい状況に陥ることになるんですよね。量 or 質のバランスで悩むことになってしまうのです。
でも、この「量と質」って、本来互いに関係しあってるものなのですよ。
前項で述べた「量が質を担保する」と同様に、量も質によって高まります。
ここで言う「質」とは、段取りだったり、関係者との連絡のスムーズさだったり、作業員の練度だったりといった「プロセスの最適化」のことですね。
結局、量と質はつながってるんですよね。相互補完の関係にあるのです。
成果とは「量×質」のことなので、どちらとも高めていかなければならないことなのです。
その上で、最適な方法を模索しようとするならば、まずは「量が質を担保する」から始めるべきだと思うのです。
最初っから「効率だ」とか「クオリティだ」とかを考えても、いまいちピンと来ませんからね。
- まずは、あまり考えすにやってみる。量をこなしてみる。
- そして、その経験から何かを感じて考え始める。
- さらに繰り返してみて、自分の考えどおりになったかどうかを自己検証してみる。
という導入部分を作ることで、結果的に「質」を高めることに取り組むタイミングも早まるように思うのです。
求められる「質」は変わります
量をこなす習慣が身についていれば、社会や環境の変化にも対応しやすくなるのですよ。
他人から求められたり、自分の生活を支えるに足る「質」って、自分のポジションやら時代によって変わってくるものなのです。
カッコいい言い方をすれば「自分がレベルを上げると、周りはもっとスゴいものを期待してくれる」みたいな感じですね。
当然、仕事で絡む人々のレベルも上がってきます。
ずっとずっと果てしなく、自分がアウトプットする「質」を調整しつづけないとならないのです。
この辺になると、冒頭で触れた「ナルハヤで…」「コツが…」「ショートカットを…」なんて、何の役にもたちません。
これまで、他人がどう考えて、どう対応しているのかを語り合う機会を得たことがないのですが、相当属人的な処理がなされている領域だろうと推測します。
クソつまらない言い方になりますが「人それぞれ」ってことなのだろうと思うのです。
「なんにも考えてません。勘ですね」という人も、相当数いるんじゃなかろうかと感じます。
僕もこうしてブログを書いて、毎日々々自分の考えを言葉にする練習をするまでは、こんなこと考えたこともありませんでした。
問われれば「勘ですね」と答えていたはずです。
ただ一方で、いまの自分のポジションに最適な「質」をアウトプットするためのスキルを手に入れるために、最小限の労力で最大限の効果を求めることは、決して間違っていないことだと思っています。
とても理にかなっているのです。
だから「ナルハヤで…」「コツが…」「ショートカットを…」と言ってる人を頭ごなしにバカにできなかったりもするのですよ。
僕だって「ある日突然、劇的な変化が!」なんてことが起これば、嬉しいに決まってますもん。心のどこかで望んでいるのです。
僕はフリーランスになって20年以上、Webデザイナー業を続けてきました。
不安定な身分であるがゆえに、サラリーマン時代よりは確実に物事を考えることが増えましたし、その範囲も広がりましたし、ちょっと穿った見方をするようにもなりました。
そのせいか、簡単に安価に手に入る「高品質」なものを素直に受け止められないのです。
それは僕以外の誰もが「簡単に安価に」手に入れられるものであるので、誰もが真似できて、あっという間に陳腐化してしまうものなのですよ。寿命が短いのです。
こんな偉そうなことを書いている僕も、去年の9月に無職になって今は長期休暇を楽しんでいる最中です。
このブログのいろんなところに書いているように、職業人として焼きが回ったことを自覚したからです。
「焼きが回った」ことを感じる要因はひとつではないのですが、当記事の文脈で言えば、さしずめ「量と質を相互補完させながら成果を高めていくパワーを失ったから」といったところでしょうかね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。