自分の年齢を、たまには再認識してみようか
2020.01.12
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。年を重ねるに連れ、自分の年齢を意識することが減ってきています。もしかしたら実年齢よりもかなり若い、思い込み年齢のようなものを設定して、そちらの人生を生きているのかも知れません。でもときには実年齢を再認識するのも悪くないと思うのです。
同年代の人々って、どうしても気になるんですよね
「いい年をして年甲斐もなく」とか「年相応に」「いい年こいて」のような言葉に対して「時代遅れだ」みたいな批判を展開したいわけではないのですよ。
年齢にこだわらず、周りの目を気にせず、そのときの自分の意思でやりたいことをやるのがいいに決まってるのです。
いくつになっても、着たい服を着て、聴きたい音楽を聴き、好きな人と過ごし、やりたい職業を選ぶ…。新しいことに挑戦し続けることに年齢なんて関係ない、なんてことは現在50代半ばの僕が高校生のときに買った雑誌にすでに書いてありました。
そんなことはみんな共有済みなのですよ。
でも、やっぱり自分が「いい年」になっちゃうと、他人に「いい年をして」と言いたがる人は一定の割合で現れるものだし、そしてその人を「いい年をしてなんて言い方、時代遅れ」と、批判する人も現れるのですよ。
そんなものなのです。
おそらく僕たちは、無意識に同年代の人たちから刺激を受けるようなしくみになってるのでしょうね。
過去に投稿した「50代になったら同窓会が増えた」でも書いたように、いつまで経っても「同級生、同級生」言い続けるのも辟易しますが、子供の頃から年齢階層ごとのカテゴリに入れられて競わされたり、流行を共有したりしてきましたから、そうなるのも不思議じゃありませんよね。
「定年退職」という概念を持たない、ずっとフリーランスで生きてきた僕さえ「そっか、あと数年でオレたち定年を迎えるのか」って気になりますもんね。
年金の受給とか、iDecoの受取など年齢で決まってることも、年齢を意識する原因かもしれません。
僕がこの時期に、セミリタイアしたり無職になって長期休暇を取っているのは、自分自身で「オレもサラリーマン年齢に換算すると、定年間際ってことか…」と自覚したことと無関係ではないと思っています。
「同年代のヤツらと足並みを揃えるなんてまっぴらだ」なんて粋がってフリーになったくせに「やっぱり、自分の行動に対する影響がゼロってわけにもいかないな」などと思っているのです。
早めに老後を意識することは悪くない
僕はこのブログの中でよく「老後」テーマにしています。
ちゃんと考えたい問題であるにも関わらず、リアルな会合などで話題にすると「まだそんな年じゃない」「オレたちまだ若いだろ」「そんなに早く老け込もうとするなよ」などなどの反応をされることが多いのです。
「年甲斐もなく」「いい年こいて」の裏返しですね。
だから僕は、こうしてひとりで考えてブログに記録することにしているのです。
もしかして、ちょっとだけ僕が持っている「老後」のイメージが、世間とズレているのかもしれません。
ずっとフリーランスだったし、これからもそれは変わらないので、僕の老後には「労働」だったり「新事業展開」みたいなものも含まれているのですよ。
ただ、これまでのように、ガシガシとクライアントワークをやるのではなく、ゆったりと「ひとりで完結する仕事」をする人生にシフトチェンジした後のことを「老後」と認識しているのです。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)〉
だから「現役」と「老後」の間にさほど大きなギャップを設定していないのです。
正直、現役のWebデザイナー生活に対する名残惜しさはあります。でも、焼きが回ってしまったので、脇道に逸れるしかないのです。
どっちみち、どこかで引き下がる時期は来るのですよ。
中には80歳超えても現役バリバリのクリエーターっていうモンスターもおられるのでしょうが、凡人である僕が50代半ばになるまで、座敷が掛かり続けたのは「まあ、よく持ったほうなんじゃない?」と思っています。
そのおかげで「オレも焼きが回ってきたな。やめよう」という決断ができましたからね。
(参考:[フリーランスの老後]頑張って良かった。老い方を選ぶことができてる)
早い時期に「ここから先、老後だな」と認識することは、決して悪いことじゃないと思うんですよね。
自分自身は「もうオレ老後だもん、好き勝手にやるよ」と、楽しくて、バカらしいことに取り組みながら暮らしていけばいいし、若い世代が始めたことに「そういうのが楽しいんだったら、思う存分やればいいよ、オレはよくわかんないけど」と、素直に応援できますしね。
「オレはまだ若い」と自分に言い聞かせながら現場にしがみついたり、若い世代の中に混ざりたがったりするよりも、早いタイミングで次の景色が見えるところに向かって歩き始めたほうが楽ちんなのです。
ときにはちゃんと、自分の年齢を認識しよう
僕は、大まかに75歳とか80歳までを「老後前期」だと思っているのですよ。
前述の通りの「ユルい職業人としての人生」ですね。
「そっか、あと20年もあるのか」と思うと、なかなか長い道のりなのですよ。
でも過去を振り返ってみると、僕がフリーになったのが30代半ばなので、20年前の出来事なのです。
こちらに関しては「あれ? ついさっき通ってきた道じゃん」という印象なのですね。
よく「行き(=未知)よりも帰り(=既知)の方が速く感じる」と言われますが、まさにこれなのですよ。
「こりゃ、1年経ったらひとつ歳を取るっていう算数の問題じゃないぞ…」と思うのです。
これからの20年間を、これまでと同じことばかり繰り返していたら、あっという間だろうし、どんどん新しいことを詰め込んでいけば、まだまだ長く使えるんだろうなと考えるようになっています。
僕もずっと「年甲斐もなくとか、いい年してとか言うのって、時代遅れ」「何歳になっても、周りを気にせずにチャレンジャーでありたい」なんてことを考えながら生きてきました。
概ね、そうなってると思います。
でもときには、ちゃんと「自分は56歳なんだ」と改めて自覚し直して、56歳として坂道ダッシュをしたり、56歳としてカツカレー大盛りを注文したり、56歳として多世代の悪口を言ったりするのもいいもんだなあと思っています。
「そうか。オレは老いているのか」と現在位置をしっかりと知ることができますからね。
そうそう、80歳を過ぎてヨボヨボになって職業人として生きていられなくなったら、そこからを「老後後期」と定義づけることにししているのですが…。
そこから先、どうやって生きてどうやって死んでいくと楽しいのか? まだ見当もついていません。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。