自分の人生に必要なモノだけ、手元に残そう
2020.01.13
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。断捨離しながら感じているのですが、家の中にある不要なものって、他人を意識することで増えてますよね。ちょうど僕は、いろんなものを「ゼロに戻す」時期なので、断捨離が上手くハマっているのですよ。本当に必要なモノを再定義している最中なのです。
ずっと他人を意識してモノを残してきた
先日、せっかく「やるべきことを後回しにしない、を意識しよう」という記事を投稿したので、言う(書く)だけではなく、ちゃんと実践しようと思い、途中になっていた「断捨離」の続きに取り組みつつあります。
ちょうど今、片っ端から不要な(1年以上着ていない)衣類をゴミ袋に詰めては、ゴミ置き場と往復している最中なのです。
そこでちょっと思いついたことがあるので、記録しておきます。
それは「不要なモノって、他人のために増えてますよね」ってことなのですよ。
たとえば、いま整理中の衣類。僕のカラダなんてひとつしかないので、大量の衣類なんて必要ないはずなのですよ。
でも、作り付けのクローゼットには入り切らず、買い増してなお入り切らないほどの服があります。
さほど服に興味があるわけでもない僕でさえ、この始末なのです。
その大部分が、
- まだ使える服を捨てるのはもったいない
- これは〇〇時代の思い出が詰まってる服だから
という理由で捨てられずに残っているのですよ。
「まだ使える服」は、自分では「最低限の着るものがあれば、それでいいじゃん」と思っている(だから断捨離してるんですよ)ものの、どこかしらで他人から「え。これだけしか服持ってないの?」と思われることに対する恥じらいが残っているために、捨てられずにいるのです。
「思い出の服」は、その服を処分することで、かつて関わった人や、自分の過去の思い出も一緒に失うような気がして、ただ記念品のような意味合いで残されています。
昨年の秋に、ひと月程度かけて実施した書籍や資料に関しても、同様でした。
「本をたくさん読んできたオレ」「これだけの仕事を経験してきたオレ」を他人から評価されたい自分がいたから、ずっと、読みもしない本、埃を被った資料に囲まれて生活してきたのですよ。
断捨離するには、ちょうどいい時期なのです
このブログで何度も繰り返し書いているように、僕はいまセミリタイア中です。
新規案件の受注をストップし運用案件をすべてクローズして、ようやく無職になり長期休暇を取りながら、いったん「ゼロに戻す」フェーズを設けて身の回りのことをすべて見直している最中なのです。
まだ無職になって3ヶ月ちょっとしか経っていませんが、ようやく「自分がどう生きるか」について、ちょっとずつ解像度が上がっていき、やるべきことが見え始めたような気がしています。
だから「断捨離」が心地いいのです。ちょうどいい時期なのですよ。
前項で触れたように、僕はずっと、持ち物にいちいち他人の存在を重ね合わせてきたような気がします。
だから「人と会うときに、いつも同じ服だとカッコ悪いな」とか「誰かが遊びに来たときのために食器を用意しておこう」「ソファセットだけじゃみんな座れないときがあるかもしれない」などと、目の前にいもしない他人のことを意識して、どんどんモノを増やしていたのですよ。
先日「ゆるミニマリストを目指してみよう」という記事を投稿したように、僕は身の回りのモノを求道者的に最小化したいわけではないのですよ。
適度に自分が心地よくなれれば、それでいいのです。
- 自分が着る服は、いつも同じで構わない
- 2・3人程度の来訪者に備えて、椅子と茶器は準備しておこう
- でも、ちゃんとした食事の提供や宿泊は断ろう
- 過去1年間手にとっていない「思い出の品」は捨てよう
- 「これ、高かったんだよ」なんてどうでもいい
くらいでいいんじゃないかな? と思っています。
ちょうどいい暮らしを再定義している最中です
僕はもともと、他人からモノをもらうことが嫌いなのですよ。
自分で選んでいないモノが、自分の生活空間にあることがイヤなのです。
これについては以前「物いらない。もらうことがイヤなのです」という記事を投稿したことがありますので、ご参考に。
このへんは、前述の「僕はずっと、持ち物にいちいち他人の存在を重ね合わせてきたような気がします」と矛盾しているような、辻褄が合ってるような、なかなか入り組んだ感じなのです。
モノに他人の存在を感じるからこそ、あからさまに他人の存在がセットになってるモノが、自分の生活の場所に乗り込んで来られることが不快なのです。
(=他人からモノをもらいたくない)
反面、自分の持ち物に他人の存在を重ね合わせることで、捨てられなくなってしまっているのです。
(=他人の存在を気にして、ものを溜め込んでしまう)
ややこしいですね。
僕も、断捨離を始めたことでようやく思いついた考えなので、上手くまとまっていないのです。
でも、理屈はどうあれ、持ち物も、職業も、人間関係も、いったん「ゼロに戻す」ことで、身の回りを不要なモノに囲まれているわけでもなく、不足して不便を感じているわけでもない、ちょうどいい暮らしを再定義している最中であることには間違いありません。
それは単純に「量」の問題ではなかったりするのでしょうが、とりあえずは「モノを減らす」というアプローチで心地よさを得られているので、しばらくはそれを続けてみようと思っています。
「自分の人生に必要なモノだけ」が手元にあれば、それでいいのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。