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捨てても困らない ― 断捨離は、やりかけだけどね

2020.02.04

こんにちは、萩ドットライフ()です。

思い出が詰まっていたり、大切に感じていたものでも、捨ててしまえばその時点で執着はなくなるのですよ。何も困らないのです。それどころか、自分の周りの環境をスッキリさせることで、気分や考え方も変わってきて、これがなかなか快適なのです。

「さあ、やるぞ」と意気込んで始めたはずの断捨離が滞っています。

過去記事を見てみると、2019年9月24日に「断捨離を実行することにします」という記事を投稿していますので、あれから4ヶ月くらい経っているのですね。

年末には「断捨離したら、求める家のサイズが変わり始めた」なんて記事も書いていますから、定期的に「それな、断捨離な」と気にはしているのです。

なんだか、落ち着いちゃってるのですよ。

とにかく、家の中に大量にあった、書籍と資料と書類を一掃することで、かなり整理された感があったり、ほんの少しだけ衣類を処分したことで、クローゼットがひとつ空っぽになって「造り付けの収納で全部収まっちゃうな」なんてことを考え始めたり。

家の中の景色が一変したことで気分がよくなって、なんだか満足できちゃってるのです…。

今日は「自分からいい出した断捨離、早く済ませちゃえよ」ということについては、いったん棚上げして、この「なんだか満足できちゃってる」ことについて書いてみようと思います。

「思い出」や「記念」も捨ててみた

今回の断捨離で捨てたものの多くは、それぞれに捨てられない理由があったものたちだったのですよ。

中学生の頃おこずかいを費やして1巻から最終巻まで揃えていたコミックや、高校時代から持っていた本もあったし、大学時代に徹夜を重ねながら書き上げたレポート集、社会人になってからの企画書やら手帳、写真やトロフィー、節目々々でもらった寄せ書きなどなど。

50年以上も生きていると、それなりにいろいろな「黄ばんだもの」を持っていたのですよ。

そうそう。当たり前のことですが古い本って活版印刷なんですよね。今のDTP(Desk Top Publishing)で作られている本とちょっと表情が違うのです。
職業柄、こういうものに「おっ」と感じて手が止まったりしていたのですが、スミマセン余談でした。

それらを全部捨てました。

最初から「全部捨てるぞ」と意気込んでたわけではなく、整理してる途中で「こりゃ、選んでるだけで数ヶ月かかって、結局なにも捨てずに終わることになるぞ」と感じたからなのです。

「もう選ばない。捨てる」と決めたのです。

残したものは、ないとヤバいことになるものだけ。
不動産の権利関係の書類だったり、契約書、法令で保存を求められてる会計書類などを除いて、きれいさっぱり、すべて捨てました。

そうして、家の中の景色を一変させたことで「なんだか満足できちゃってる」んです。

捨てた当初は、ちょっぴりの寂しさもあったのですが、あれから数ヶ月が経過したいま、僕は何も困っていません。
「少々乱雑ではあるが、思い出に囲まれた部屋、そして作業場」だと思っていた空間が、とても快適になっているのです。
「この部屋、こんなに広かったんだ」とも思うし「こんな広い家、ムダだな」などとも思うのです。

ただモノがなくなったことで、しゃべると声が響くのですよ。これに関しては未だに慣れませんね…。

もともとは「長らく同じようなパターンで生活してきたし、環境を変えなきゃね」と思ったところから始まり、「そうだ。萩市に移住しよう」「そっか引っ越しか、荷物だらけなのイヤだな、ヨシ減らそう」と連想しつつ思いついた断捨離なのですが、もう環境、変わっちゃってるんですよ。

だからといって「もう、移住もしなくていいかな」という気にはなりません。
身の回りをスッキリすることは、環境を変えることの一部なのです。

とりあえず断捨離によって、身の回りのモノを減らした現時点で「いままでオレ、ゴミの中で生活してたんじゃん」などと思い始めています。
大切だと思いこんでいた、思い出や記念のものが、捨ててみれば「ゴミ」だったことに気づいたのです。

「環境が変わると、自分が変わる」は正しい

自分の周辺が変わると、なんとなく気分も考え方も変わってくるような気がするのですよ。

当然そこには他の要因。たとえば、案件の受注を停止して無職になっていることとか、クライアントや中間業者と会話すすることもないので、ほぼストレスフリーであることなども、少なからず影響しているとは思うのです。

しかし、断捨離によってモノを捨てたことの影響がとても大きいと感じています。
大げさな言い方をすると「過去を捨てた」ような気がしているのです。

「ゴミ」と一緒に、職業人として培ってきた常識めいたものとか、経験によって得てきた思考様式なども捨てて、自分の中に「余白」ができたのです。
(先日投稿した「足りないものを嘆くよりも」でも、文中に何回も「余白」って使ってますね…。そういうことを考えている時期なんでしょうね)

その空間に、どんどん新しい知識やら考え方が入り込んできている感じがするのです。
「たぶんこれ、いいことなんだろうな」と思っています。

たしかに断捨離は、やりかけです。
言い訳のしようがないし、中途半端なままにしてる衣類とか、まだまだ手つかずのキッチンとか。う〜ん、そのうちやります。

でもこの時点で「大切だと思っていたもの。ぜんぶ捨てても何も困らない」という事実に気づいたし、「自分が変わるきっかけになるのな」と思い始めたということに快感を覚えています。

うん。捨てても何も困らない

「ぜんぶ捨てても何も困らない」ということから、いろいろなことを連想しているのですよ。

いま僕が行動しようとしていることに際して、なんとなく決断はしていたけれども「う〜ん、どうなんだろうなあ」と、いまいちスカっとしていなかった部分が、次々と剥がれ落ちていっているような気がしています。

  • 東京を離れる? ちょっと名残惜しいなあ
  • マンションを他人に貸す? 「また帰りたい」って思うかも
  • デザイナーやめる? 自分が自分じゃなくなりそう
  • 人間関係の断捨離? ひとりぼっちになっちゃうかもよ

などなど。
どこかしらに「自分にとって大切なこと」が含まれていて、だから「いまいちスカっとしない」のです。
でも「わりと問題なくいけるんだろうなあ」という気分になっています。たぶん、行動を起こした瞬間に「大切なこと」じゃなくなる…と。

これからしばらくは「だいじょうぶ、捨ててもオッケー」を行動の指針にしようと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。