失敗を気にしない。むしろ求めてる
2020.03.02
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。失敗なんて気にしない、むしろ求めてる。最初っから約束された成功のほうが、つまんない。みたいな感覚が心の隅っこに、ひとカケラだけあるのですよ。加齢のせいか、それが年を経るごとに大きくなりつつあるのです。いいことなんだか、どうなんだか…。
失敗しちゃダメなの?
心のどこかで「失敗するのも悪くないんじゃないかな?」みたいなことを考えてることってありませんかね?
強がり半分だったり、困難だとされることに挑む自分に酔ってたりもするんですけどね。
当然、上手くいったほうがいいに決まってるのですよ。
これまでずっと、望まれた(望んだ)結果を、それなりのクオリティの成果物としてアウトプットすることが当たり前で、それができていたからこそ、そこそこ長い期間にわたって職業人としてメシが食えていたのです。
当たり前にできることがお金になることを、とてもありがたく思っていて、そのへんに関する葛藤は、以前投稿した「フリーランスは、安定を求める」に書いたりもしています。
でも「それだけじゃ面白くないな」って考えが心のどこかにあったのですよね。
それが加齢とともに、だんだん肥大化してきている気がするのです。
僕がいま無職になって、身の回りのあらゆることを「ゼロに戻す」フェーズを作っていることや、田舎(山口県萩市)に移住して古民家をセルフリノベーションしながら生活しようとしてる理由の一端だったりするのです。
(参考:古民家再生をDIYでやりたい)
デザイナーを辞めてセミリタイア生活を始め、「娯楽としての仕事」「生産的な趣味」を職業として再構築しようとしていることについても同様です。
(参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味))
何もかもが順風満帆に進むとは思っていません。
とくに最近なんて、新型コロナウイルスの影響で世界的に株価が下落中だから「ホントに資金大丈夫かな…」なんてことも考えますしね。
「もしかして、失敗するかも」という状況に惹かれているのですよ。
おそらく「失敗しちゃった」を経たあとに、「どうやったら上手くいくんだ?」とか「次はどこに気をつけてみようか」「その前に、まず学んでおくべきことはないか」みたいな回路が作動しはじめる感じが好きなのです。
50半ばを過ぎたオッサンになると「なんか昔も、そんなこともあったよね。楽しかったなあ」というノスタルジーに駆られて、再度味わいたくなってしまうものなのです。
だから今、10年前くらいと比べて、失敗を許容する感じがユルユルになっている気がしています。
いいことなのか? 悪いことなのか? は、謎です。
50代半ばにして、ドリームキラーと出会う
何か新しいことを始めようとしたり、自分の身を置く環境を変えようとして「さ、始めるぞ」って気持ちになってるときに、必ずと言っていいほど、それを否定したり、どうにかして思いとどまらせようとしたりする人っていますよね。
そういう人たちのことを「ドリームキラー」と呼ぶらしいのです。
「夢を壊す人」ってことですね。
ググるとこのワードに関する解説はたくさん出てきますので、あまり詳しくは触れません。たとえば、
ドリームキラーとは、あなたの夢や目標達成を邪魔したり阻害する人のことを言います。
(中略)
たとえば、誰かに自分の夢や目標を話し、それに対して「あなたには無理だよ」「そんなの叶うわけない」などと言われて心が折れてしまった経験はありませんか?その、「あなたには無理だよ」「そんなの叶うわけない」と言った相手こそがまさに「ドリームキラー」なのです。
出展:ドリームキラーとは | ビジネス・心理学用語集:意味・解説など | ビジネス心理学(2020年03月02日現在)
僕も50年以上生きてきていますので、他聞に漏れず「ドリームキラー」に出会ったことは数多くあります。
でも、それを超える数の「応援してくれる人」がいたから、どうにかこうにかやってこれたんですけどね…。
まあ、そこは本題じゃありません。
何が言いたいかと言うと、50代半ばを過ぎたオッサンの前にも「ドリームキラー」は現れますよ、ってことです。
若いころ、たとえば僕がいっさい美術教育を受けていなかったにも関わらず「デザイナーになりたい」っていい始め「無理だ」「舐めるな」と言われてたような20代のころと、まったく感じ方というか、受け止め方が違います。
簡単に言うと、スルっと無視できるようになっています。
相手も若い頃のように、正面から上から説教じみたことを言う感じではなくなってて、陰口だったり皮肉混じりだったりなので、あまり反応する機会がないってこともあるんでしょうし、そもそも僕がオッサンなので、鈍感になってますしね…。
反面「あなたの挑戦を応援するよ、ガンバレ」って気合を入れてくれる人も、そんなにいません。
肯定してくれる人の反応は「ほう、羨ましいねえ」とか「オレもそんなのやりたいんだよね〜」といった、ユルめであまり踏み込んで来ない感じである場合が多いですね。
たぶん、アタマの中で何かが動き始めてるんでしょうね、僕の行動を薄めに肯定しつつ自分語りを始める人が多いかな? という印象です。n=ヒトケタの「オレ調べ」ですけどね。
失敗したときにスイッチが入る感じが好きなのです
ドリームキラーの存在を無視できるようになったのって、冒頭で書いたように、始めっから失敗を許容しているからでしょうね。
「その歳になって新しいことなんて、そんなの無理でしょ」って言われても「そうね、失敗するだろうね。でも、それを求めてるのよ」と思っているからなのですよ。
「失敗を恐れずにチャレンジしろ、そのヒリヒリした感触を楽しめ」なんてことは昔から言われていることなので、特に目新しいことを言ってるつもりはないのですが「失敗したそのとき」だったり「失敗したあと」のほうが、なかなか楽しいのですよ。
若いころは、あまり自分の失敗なんて語りたくなかったし、そもそも自身でも失敗を認めるまでに時間を要しましたからね。
「失敗によって考え方が変わるから楽しい」なんてこと、思いもしませんでしたね。
僕自身がオッサンなので、
- 僅かながらの資産が手元にあるので失敗に対する痛みがニブってる
- 加齢によって羞恥心が欠落してる
- 「チャレンジ」という言葉に妙に懐かしさを感じてる
- サラリーマン年齢に換算すると、そろそろ定年なので、いろいろ焦ってる
みたいなことも、織り込み済みではありますけどね…。
冒頭で書いたことを、もっかい繰り返しますね。
おそらく「失敗しちゃった」を経たあとに、「どうやったら上手くいくんだ?」とか「次はどこに気をつけてみようか」「その前に、まず学んでおくべきことはないか」みたいな回路が作動しはじめる感じが好きなのです。
自分でも理由は分からないけど、そうだから仕方ないのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。