フリーランスは自分自身を経営しなくてはならない
2020.03.04
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。フリーランスをやっていると、どうしても案件を受注すること、納期を守り、クオリティを高めることばかりに集中し「経営」という観点が抜け落ちてしまいます。オッサンになって気づくのですが、こういう部分って職業人としての寿命に影響しますよ。
フリーランスの休業補償?
新型コロナウイルスによる一斉休校に伴う保護者の休業補償について、菅官房長官が「雇用関係がないフリーランスや個人事業主は、対象とならない」と述べたり、安倍首相からは「現在補償の対象外であるフリーランスなどについても支援する」という発言があったり、まだまだいろいろと制度設計の途中のようです(2020年3月4日現在)。
僕には就学中の子供がいるわけでもなく、自ら望んですべての案件をクローズさせた上で無職になっているので、どのような制度になろうともさほど影響はないのです。
ただ、先日「無職になっても、フリーランスはフリーランスです」という記事を投稿したように、仕事がなくてプラプラしている今も「オレはフリーランスだ」という自覚はあります。
法人を所有していて、3月決算なので「そろそろ経理業務しないとな」と思っていることも、完全に無職だと意識できない理由のひとつです。
「フリーランス」なんて定義があるようでなかったりします。
僕のように法人化していると「え? ひとり社長はフリーランスとは違うでしょ」みたいに言われることもありあましたし、いつも同じメンバーで決まったクライアントのプロジェクトに関わっていると、またちょっと違った見られ方をされていたような気もします。
「フリーランスの定義とは」みたいなテーマについて、膝突き合わせて喧々諤々議論したことなんて一度もないんですよね。
たぶん、なんの意味もないからですね。
ただ「自分自身が作業員であり、経営者」であることは間違いありません。
そして僕みたいに法人化している人は、組織の「株主(=所有者)」でもあります。
日頃の業務の中ではどうしても、自分の技術と営業力を使って案件を受注する、それを責任持って行う人という作業員(=ワーカー)の部分ばかりが表に出ますので、それ以外についてはあまりちゃんと考えていなかったりします。
まあ、当たり前っちゃあ当たり前のことですが、基本は「ひとりでメシを食う」ってことに尽きますからね。
仕事もないのに「経営がどうこう」言ってても意味がないってのも、事実なのです。
「フリーランスの休業補償」っていう、これまでの人生で一度も頭の中に浮かんで来なかったワードに出会って、いろいろと考えはじめてしまいました。
あまりにも「経営・マネジメント」という視点が抜けたままの20数年間におよぶ、フリーランス人生だったのです。
フリーランスはセルフブラック化しがち
こうして今、無職になって長期休業していることがマネジメントといえば、マネジメントなのですよ。
あまりにも自分の若さゆえの馬力に任せた会社運営をし続けていましたからね…。
若くなくなってからも修正することができなかったのです。
自分でどんどん案件を受注していって、それが収入として数値化されることが楽しくてたまらなかったのですよ。
そりゃ、思考も行動もバリバリ案件をこなしていくほうに集中しますよね。
サポートスタッフなんていないので、経理的なことやら事務的なこともやりつつです。
当然のことながら、セルフブラック化していました。
(参考:「セルフブラック」の功罪)
それで、40代後半でパニック障害を発症するのですが、たぶんオーバーワークだったんでしょうね。
いつも「いざとなったら、自分が被ればゴールまで持っていける」みたいなことを考えてましたから…。
見ようによっては、加齢による体力・知力・気力の低下には抗えず「ここらで休んでおかないと、ダメになっちゃうかな」「ヨシ、無職になってしばら休もう」と決めたのが、最初の経営判断だったのかもしれません。
それまでは、案件のスケジュールに流されるがままでしたからね。
実際に無職になってみて、しっかりと休むことができるようになると「オレはホントに休み下手だったな」としみじみと思うのです。
(参考:時間的余裕がもたらすもの ― 心のバッファを作る)
繰り返しますが、フリーランスの基本は「ひとりでメシを食う」ってことです。
常に自分のことばかりしか見ていなくて、他の同業者が
- どういう風に学習しているのか?
- どういうときに休みを取っているのか?
- どんな風に助け合ったり、オーバーフローした仕事を融通しあっているのか?
みたいな、組織ならばなんとなく先輩や同僚、他の部署の人たちが日常的にやってることを見たり聞いたりするのでしょうが、フリーランスにはそれがないんですよね。
フリーランスになって20年以上、年齢50代半ばを過ぎてからこんなことに気づいても遅すぎるのでしょうが、フリーランスは「自分が事業体」なのですよ。
法人化してるか否かは別問題です。
次から次へとやってくる案件だけではなく、自分という「事業体」をきちんと経営(=マネジメント)できないと、どこかで刃こぼれが起こってしまうのですよ。
僕の場合は、前述の通り40代後半で発症したパニック障害がそれだと自覚しているのですが、そこから復活できたので、まだ運が良かったのです。
そこで職業人生が終了していた可能性も十分ありましたからね…。
フリーランスの経営は、まず自分を休ませること
「フリーランスの経営」と言っても、そんなにややこしいことではなくて、現状を見ながら、先行きを予測する余裕を持つ、くらいのことだと思っています。自分自身を他人事として捉えるような、俯瞰したものの見方が大切なのです。
言うのは簡単なんですけどね…。
往々にして通り過ぎてから気づきます。
僕の場合、40代半ばくらいから「ツラいのイヤだ、休もう」という基準をもう少し手前に。「ちょっと怠けがち」くらいの水準に移動させておけば良かったように思います。
実際にはできてないのですから、効果のほどは謎ですけどね。
でも、なんだかんだ言いつつ、いま長々と休息できていることが自分を救ってくれているような気がしています。
なによりも、長く眠れるようになったし、気持ちが晴れやかなのですよ。
同時に、こうして過去の反省点が次々とアタマに浮かんで来て、少々気に病むこともありますけどね。
僕がそうであったように、フリーランスって「休み」が怖いんですよね。不安なのですよ。
案件がないときでも、何かしらやっちゃうものなんです。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと)
でもね、アタマの中で無理矢理「バッファ」と言い換えてみてください。
そうするとちょっとだけ、「休み」という言葉が持つ不安から逃れられるかもしれません。
休むことを積極的に捉えられるようになるかもしれません。
もう30年以上前、僕がプレーしていた大学のバレーボールチームでは「休み」と言わず「レスト」という言葉を使っていました。「休養も練習だ」という概念ですね。
落としどころはどうあれ、フリーランスにとっての自分経営の第一歩は「自分を休ませる」ことだと思います。
ニュースで目についた「フリーランスの休業補償」というワードから、どういうワケだか、こんなことを連想してしまいました。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。