「楽しみにする」という、準備期間の過ごし方
2020.03.12
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「楽しみにする」というおまじないがあります。ものごとの準備期間に訪れる「億劫なこと、嫌なこと」を緩和するために、自分を騙すための言葉なのです。何かを「楽しみにする」ことによって、精神状態も良くなり、好ましい成果を得やすくなるのです。
「楽しみにする」という、おまじない
「週末、お会いできるのを楽しみにしています」とか「毎日、就寝前に1時間読書することが楽しみです」みたいな感じで、これから起こることや、心待ちにしていることに対して使う言葉ですね。
さしずめ今の僕ならば「萩市に古民家を買う手続き中です、移住を楽しみにしています」といったところでしょうかね。
この「楽しみにする」という感覚が、なかなか優れていると思うのです。
憂鬱なことや気乗りしないことを、なんとか乗り切るためのおまじないなんですよね。
何かしらの行動を起こすときって、メンドくさいことや億劫なことに付きまとわれますし、状況が変わったり未知のものと接する不安や憂鬱に苛まれたりもします。
現に今、僕が行動のさなかにいる「萩への移住」に関しても、売買契約だったり、移転登記だったりの事務的なメンドくさごとに取り組んでいる真っ最中なのです。
その後にも、
- 引っ越しはどうするんだ?
- 住所変更の手続きをしなきゃいけないのは何と何?
- 萩で生活するための足はどうするんだ?
などなど、考えればきりがないほどの、億劫で逃げ出したくなる「やるべきこと」が控えているのです。
僕は、このブログ内でよく「フリーランスになった20数年前と、セミリタイア生活を始めた今の精神状態がよく似ている」ということに触れています。
僕はほんの少し前で、フリーランスのWebデザイナーでした。
受け持っていた案件をクローズさせて、今は(ほぼ)無職になって長期休暇中なのです。
この休暇中に萩市に移住して、そこで趣味や娯楽を兼ねたような職業を構築しようと考えています。
(参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味))
フリーランスになってからの数年は、準備不足、チカラ不足もあり、失敗の連続でした。
「もう一度サラリーマンに戻ろう」とか「とにかく田舎に帰って、ひとまず生活コストを下げよう」と何度思ったことか…。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう)
この頃は、ひたすら「もうひと頑張りすれば軌道に乗る、それだけが楽しみだ」と思いながら暮らしていました。
正直「楽しくて仕方なかった」と言えばウソになりますが、「楽しみにする」ことで、なんとか明るさをキープできたのだろうと思っています。
「楽しみにする」ということは、将来の自分の姿や、身に起こることを想像することなんですね。
その感覚がなかったら、後から「あの苦しい時期は、準備期間だったんだ」と認識することはなかったでしょうね。
そのときに比べれば、今のほうがはるかにノホホンとした日々ではあります。
準備期間はメンドくさくてつまらないものなのです
往々にして、ものごとは「億劫なこと、嫌なこと」と「楽しいこと、ワクワクすること」がセットになってるような気がするのですよ。
前者に気後れしてしまって後者にたどり着けなかったことが、僕の人生の中で何度もあったように思います。
それを後者の「楽しいこと」だけフォーカスして、前者の憂鬱を払拭しようとするのが「楽しみにする」という言葉だと思うのです。
何事にも「準備期間」が必要で、そこに「億劫なこと、嫌なこと」がビッシリと詰まっているのです。それをクリアしないと「楽しいこと、ワクワクすること」に出会えないようなしくみになってるのですね。
だから「楽しみにする」というワードで自分を騙して「このメンドくさいことも、楽しさのうちだ」と思い込むことで、ほんのちょっとだけ気が楽になるのです。
僕の場合「古民家再生をDIYでやりたい」などと思っていますので、YouTubeで古民家リノベーションしている人たちの動画を探して観たり、地方移住した方々のブログを読み漁って「これだよこれ。これが楽しみなんだよ」と、そこにたどり着いた自分を想像しながらワクワクしています。
そうすることで、ちょっとだけ「億劫なこと、嫌なこと」が緩和されるのです。
努力を目的化してはダメ
ときに「億劫なこと、嫌なこと」は、「努力」という言葉で目的化されます。
そして「これだけ努力したのだから仕方ない」とか「成果は出なかったけれでも、努力したという事実は廃れない」といった、諦めの材料に使われますよね。
僕にも、そういう経験がいっぱいあります。50年以上生きてきてますからね。
どうしても「努力することが目的だったんだ」と自分言い訳をして逃れないと、苦しくてどうにもならないことってたくさんあるものなのです。
でも、なんらかの成果にたどり着けたほうが、楽しいしカッコいいに決まってますよね。
できるだけ、メンドくさいこと、ツラいことを「努力」だと思わずに「準備」だと思い込んだほうが、快適に継続できるような気がします。
そのほうが、その先の「楽しみにする」をイメージできますからね。
結果、成果にたどり着く確率が高まると思うのですよ。「果てしない努力」なんて、精神状態おかしくなりますもんね。
加えて、自分の行動を他人に語るときにも印象として伝わると思うのです。
何かを楽しみにしていて、それに向かって行動を起こしている人って好感が持てますし、その人のことを側で見ていたくなりますよね。
反対に、ツラさに耐えながら日々苦行に勤しむ人は「すごいなあ、たいへんだなあ」とは思いますが、あまりお近づきになりたくなかったり…。
どちらも、目標に向かって頑張ってる姿ではあるのですが、自身のプロモーションとしては前者の楽しそうな印象を与えるほうが、感じいいんじゃないでしょうかね。
自然と他者から温かい眼差しを受けることになるし、自分の周りの環境を良い方向に持っていけると思うのです。
それは当然、自分の行動の成果に対しても好ましい影響があるはずなのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。