人から嫌われることなんて、気にしてもムダ
2020.03.15
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。僕は基本、あとあとまでグズグズと心配ごとを引きずる、いわゆる「気にしい」な性格なのですよ。「人から嫌われる、どうしよう」なんてことを気にして行動に影響を受けてしまいがちなのです。だから「気にしてもムダ」と、自分に言い聞かせるのです。
嫌ってくる人は、嫌ってくる
どんなに「人から嫌われたくない」と思っていても、嫌ってくる人は嫌ってくるし、嫌ってこない人は嫌ってきません。
なんとなくそんなふうに思っています。
他人の感情を気にして、自分の行動に影響を与えるなんて、ムダなことなのです。
以前にも「僕のことなんか、誰も見ていない」という記事を投稿したことがありますので、ご参考に。
なんで今、こんなことを考えているかというと、珍しく業者を選ぶポジションに立っているからなのですよ。
僕はずっとフリーランスのデザイナーだったので、常にキャスティング「される」側の人として生きてきました。
人を選ぶなんて、50年以上の人生の中で数えるほどしか経験していません。
昨日投稿した「家の売買って、パワー要るよなあ(萩市の古民家購入編)」の最後の方でチラっと触れたのですが、東京のマンションの運用について考え始めています。
それで今、複数の不動産仲介業者と会話を始めているのです。
まだ、あまり詳細には触れられるフェーズではありませんが、いろんな方とコミュニケーションを取っていると「こちら立てれば、あちら立たずだなあ」という状況になっていることを感じます。
それで「人から嫌われること」について考えているのです。
基本僕は、いわゆる「気にしい」な性格で、いつも何かしらもやもやと心配ごとを持っていて、それについて考え続けているのですよ。
「こんなことを言うと、嫌われてしまうかなあ」と悩むし、言うか言わないか迷った挙げ句、言わず終いだと「なんで言わなかったんだろう」とあとからグズグズと後悔するのです。
どちらに転んでも気にしてしまうのですね。
だから「しない」よりも「する」方を選ぶように決めています。
決めているのだから、気にしても仕方ないのです。そういうことにしているのです。
「嫌われても言いたいことは言う」を方針としています。
でも、これが意外と嫌われないのですよ。
僕を嫌った人とは疎遠になるので、自然と視界から消えてしまいます。なので、嫌って来ない人とだけ関係が続きます。それで「意外と嫌われない」と思っているだけかもしれませんが、特に不便はありません。
また僕も「別にこの人に対して言いたいことなんて、特にないな」という人には何もいいませんしね。
「嫌われてもいいから、この人にこれを伝えたい」という人にだけ言ってるんですよね。
そのへんの感じが伝わるから「意外と嫌われない」のかもしれません。
結局、自分の好きなように振る舞うのがベストなのです
ほら、マザーテレサの有名な言葉で「愛の反対は、憎しみではなく無関心」ってやつがあるじゃないですか。
(追記:投稿後、ググってみたら、マザーテレサの言葉ってのはガセっぽいですね…。ま、いいや)
「嫌われる/好かれる」って、それと同じことだと思うんですよ。
「その考え方、賛成できません」とか「そういう態度、ダメっすよね」とか言った瞬間にムッとされて嫌われることがあったとしても、その感情って別の場面では「好き」になったりするんですよね。
人間関係って「好き」と「嫌い」はセットになっていて、「好き」が多い人を「好きな人」、「嫌い」が多い人を「嫌いな人」と認識してるだけなような気がします。
関心のない人は、ひたすら「どうでもいい人」なんですよね。
当然、自分が「どうでもいい人」に回る場面もあります。
仕事でちょっとだけ付き合いのあった人を、何かのついでに別の人に紹介したら、その二人で話が盛り上がっちゃって、僕はそっちのけで、なんだか一緒に飲みに行く約束までし始めちゃってるみたいなことってあるじゃないですか。
そういうとき、僕は「どうでもいい人」のポジションなのですよ。
そこで「なんだよ、オレも誘えよ」なんて怒っても仕方ないのです。
正直、ちょっとイラっとはしますけどね。
自分が「どうでもいい人」扱いをされてることが分かると、プライドが傷つきますから。
でも、そんなときは「まあ、しょうがないね」で済ますのがいちばんですよね。
反対に、僕が他人を「どうでもいい人」扱いしてることって山ほどあると思うのですよ。認識できていないだけで…。
たぶん「おあいこ」なのです。
人から好かれると嬉しいし、嫌われたり、関心持たれないと気に入らない。
そんなふうに感情が動いたとしても、ずっと心の中に残していても仕方ないのです。
結局、自分は自分で気が向いたように振る舞うのがベストなんですよね。
「言い方に気をつける」みたいなのも、程度問題だと思います。
あえて他人を傷つけるような言葉を選ぶ必要なんてありませんが、自分を誤魔化してまで、やさしさでコーティングする必要もないと思っています。
結局あとになって「あのとき、ズバっと言ったほうがちゃんと伝わったな…」なんて、ウジウジと気にし続けることになりますからね。
前項で触れたように、僕は「気にしい」なのです。
乗り気を大切に
世の中、なるようにしかならないので、自分がやりたいように淡々と振る舞うのがいちばんラクなのですよ。
あまり感情的になってるときに意思決定をしないようにしています。
自分の中に強い怒りや欲が芽生えたとき、他人にそれを感じたときには、ひと呼吸おくのがいいと思っています。
でも「好き」「楽しい」「嬉しい」みたいなポジティブな感情はアリかな…。
そういうときの決断は、のちの後悔につながりにくいように思います。
いわゆる「乗り気になる」ってヤツですね。
今こうして無職になって、これまでの職業人生を振り返ってみて「乗り気じゃない仕事も、感情を殺しながらいっぱいやってきたな」と、つくづく思います。
それでも、クローズまで漕ぎ着ければすべてオッケーなんですけどね。
まあ「そこそこの納得感は得ている」ってことになんでしょう。
途中で我慢できなくなって「降ります」って言った案件もありますが、ほんの数件です。
そんなときの僕は、相手から嫌われたはずなのですよ。
でも、この記事を書きつつ、ここに到達するに至ってようやく思い出したくらいなので「どうでもいい」記憶になっているようです。
50年以上生きてみて思うことは「人から嫌われることなんて、気にしてもムダですよ。だって、忘れちゃうんだもん」ってことです。
いくら「気にしい」でも、さほどいつまでも心配ごとが残り続けるものでもないってことですね。
好きなこと、納得できることを、やりたいようにやったほうが快適なのです。
「信念」ってほど大袈裟なことでもありませんが、なんとなくその積み重ねが自分を作ってくれているような気がしているのです。
さて、今日も午前中に1社、夕方に1社、仲介業者がやってきます。
たぶん来週中くらいには「みなさんからご提案頂いた結果、私はこうします」という結論を出すことになるでしょう。
中には「あんなに話が盛り上がったのに、なぜ」とガッカリされる方も出るでしょうが、「人から嫌われることなんて、気にしてもムダ」という言葉を反芻しながら、なんとか乗り切りたいと思います。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。