つくづくサラリーマンに向いていない人生だったなあ、と
2020.03.16
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。会議とか、チーム内のコミュニケーションとか、そういうのをやると変なところにチカラが入ってバテるのですよ。つくづく「サラリーマンに向いてない人生だったな」と、「フリーランスでリモートワーカーを選んでよかったな」と思っているのです。
人と話すの、バテる
タイトル通り「つくづくサラリーマンに向いていない人生だったなあ」と感じているという話を書こうと思います。
「人生だったなあ」と言っても、僕は現在50代半ばなので、人生100年時代とすれば、まだ折り返し地点を過ぎた辺りなので先は長いんですけれどね。
それでも、サラリーマン年齢に換算すれば「そっか。オレもあと数年で定年か」などと言いながら職業人生を振り返る歳でもあるのです。
このへんの身の置きどころのないフワフワした感じが、なんとも言えません。
先日投稿した「会議が仕事じゃなくてヨカッタ」の中で、
ただ、ひとつだけ分かっている事実は「僕は会議が苦手」だということなのですよ。
会議をメインの仕事にしない職業を選んで、ホントにヨカッタと思っています。「会議に出席するのが仕事のオッサン」って、ホントに「無能」で「使えない」んでしょうかね?
と書いたのですが、それを改めて考えています。
「家の売買って、パワー要るよなあ(萩市の古民家購入編)」で触れたように僕はいま、萩での古民家取得に続いて、東京のマンションの運用について考えています。
「売るにしても、貸すにしても、とりあえず相場観だけ押さえておこうか」くらいの軽い気持ちで複数の不動産仲介業者に査定依頼をしたら、その日のうちに全社からアポイント取りの電話が架かっててきました。
僕は「電話嫌い」なので、最初は無視していたのですが、メールが来たり数分後に再度電話が鳴ったりするので、ようやく「なるほど、査定依頼というのはビジネスのアプローチなんだな。ま、そりゃそうだ」と気づいた次第です、お恥ずかしい…。
それで「どうせ僕は1日中ヒマにしているし、ご来訪ならいつでもどうぞ」ということで、先週末くらいから入れ替わり立ち替わり人がやってくる状態を迎えています。
「入れ替わり立ち替わり」と言っても、せいぜい1日2組みくらいの来客なのですが、とにかくバテるのです。
もともと僕は20年以上にわたってフリーランスのWebデザイナーだったのですが、その間ずっとメインクライアントは某大手マンションデベロッパーでした。
なので、不動産とか資産運用の話が好きなのですよ。
とはいえ、所詮僕は出入り業者なので、不動産の専門家でもなんでもなく「門前の小僧」にしかすぎないんですけどね。
それでも、そこそこ話は盛り上がります。
で、盛り上がった結果、バテるのですよ。
「やはり、連日、会議々々の人たちって、パワーあるんだなあ」と感じています。
フリーランスを選んでヨカッタ
サラリーマンが全員、毎日会議ばかりやってるわけではないことは当然、承知していますし、会議や打ち合わせの有無に焦点を当ててサラリーマンのことを語ることが誤りであることも解っています。
でも、同じ部屋に複数人いて、ことあるごとにコミュニケーションを取り合い、ときには白熱する環境にいるのか? それとも、孤独に黙々と作業しているのか? って、とても大きな違いなのですよ。
僕はフリーランスを選んで、そしてリモートワーカーになって本当にヨカッタと思っています。
その方が僕に向いているのです。
こうして50代半ばでバテて無職になっているのですが、サラリーマンであれば、もっと早い時期に消耗して職業人生を終えていただろうなと思います。
終える(=やめる)という選択をするのも困難でしょうから、もしかしたら、ものすごくツラい思いをしながら定年を待つ人生だったのかもしれません。
まあ、すべてが「塞翁が馬」ですから、なんとも言えませんけどね…。
ただ、同じ場所に複数人の人がいて、ブレーンストーミング的なことができる感じは、サラリーマンの方が有利かもですね。
これはリモートワーカーでは、なかなか得られない部分です。
ワリと他人とガシャガシャとくっちゃべることで何かを着想し、アイデアの種を見つけてモミモミしながら育てていくような工程も必要だったりするのですよ。
たとえばデザイナーの僕が、ライターさんと対話をする場合。
雑談などを気安くできる「気心知れてる感」のある関係性って大切だし「あれ? いつの間にか僕がコピー考えて、あなたがレイアウトのこと言い始めてるね」みたいな状況を楽しめるような環境が快適だったりするのです。
そのへん、リモートワーカーが意図的に突破しなければならない部分ですね。
常に独りだと、限界があります。
…というところまで分かっているにしても「常時ひとがいるところでの作業なんて、オレには無理だったな」などと、僕は感じています。
逆説的に言えば、日ごろ人と接していないから、コミュニケーションが始まると、必要以上に盛り上がる、そしてバテる。っていうことかもしれませんけどね。
そういうのにも「技術」ってありそうですよね、僕が身につけていないだけで。
社会が変わるのを目の当たりにして
たぶん、この新型コロナウイルスの影響で増えつつある、サラリーマンのリモートワーク化、ウイルスが収束しても一定数は、そのまま残るんでしょうね。
もうみんな、リモートワークの快適さに気づいてるはずなんですよ。
「これをきっかけに、社会が変わるんだろうな」と思いながら眺めています。
僕は、20年以上前にフリーになる(=サラリーマンをやめる)という方法でリモートワーカーになりましたけれども、得られるものと失われるもの、両方ありますよね。
そのあたりに関しては、以前投稿した「リモートワークは、孤独で自由です」で触れていますので、ご参考に。
当然、人によって合う合わないがあるでしょうから「オフィスに行って、みんなと一緒じゃないと気が乗らない」って人もいると思います。
けれども「満員電車からの解放」って、ものすごく嬉しいですよ。
なので、とくに都市圏でリモートワークは加速されるように思います。
「みんなと一緒がいい」人とのバランスと取るために、曜日によって分けたり「集まりたい人で時間調整してね、出勤時間とか決めないから」みたいな感じになるのも良さそうですね。
そんな未来がやってくるのであれば、僕のように「サラリーマンに向いていないから、フリーになる」みたいなことを考える必要もなくなりそうです。
もっと別の理由で、自らの身分を選べるようになるんじゃないかな? と思います。
とりあえずは「勤怠」という概念がなくなるんじゃないでしょうかね。
あくまでも成果物とか、貢献度みたいなもので評価されるようになるんでしょうからね。
「ツラいなあ」という人もいれば、「自由でいいじゃん」という人もいるんでしょう。
僕はとりあえず、フリーランス(=リモートワーカー)になってヨカッタと思っています。
冒頭で述べたように、まだ道半ばですから、あくまでも「今のところ」ではありますが…。
◆ ◆ ◆
「会議」とか「打ち合わせ」っぽいことを、1日に複数回やるなんて何年ぶりでしょう。
せっかく無職になって、長期休暇を取って、のんびりしているはずなのに、なんでこんなことになってるんだろ? 今が人生の転機なのですから、仕方ないんですけどね。
世間を見渡してみると、平日は会社に勤めながら、土日祝を使って不動産の売買をしている人もたくさんいるし、むしろ「みんな、そっち」なんですよね。
みんなすごいなあ。
いまいち着地点のよくわからない文章になってしまいましたが「オレは人ときっちり話すと、変なところにチカラが入るんだよ。で、バテるんだよ」ということが言いたかったのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。