コミュニケーションが、めんどくさい
2020.03.18
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。もっと早くから「コミュニケーションなんて、上手く行かなくて当たり前」だという前提を持つことができていれば、もっと快適な人生だっただろうし「人間関係、クソめんどくさい」なんて悩んだり引きずったりすることもなかっただろうと思っています。
コミュニケーションに対する距離感
「人間関係とかでイラッとしたり、上手く行かないことって、当たり前じゃないすか? だからとくになんとも思わないすよ」というお言葉を頂戴したことがあります。
たぶん僕は50歳を超えてたし、先方はまだ20代だったんじゃなかったんじゃないかな? もしかしたら30代半ばくらいだったかもしれませんが、その辺りの人々の年齢を見極める能力を失ってから久しいので、よくわかりません。
なんとなく「オレよりも、20歳以上は年若なんだろうな」くらいに思っていました。
誰かが主催した飲み会だったか、仕事仲間同士のなんかしらだったか忘れてしまいましたが、そのとき初めてお会いした方でした。
なんなんでしょうね。
別に諦めてる感じでも、吹っ切れてる感じでもなくて、上手い距離感を保ってる感じを受けました。
先日投稿した「会議が仕事じゃなくてヨカッタ」でも触れたように僕は、他人とのコニュニケーション中に起こったことを、ズルズルと引きずるタイプなのですよ。
よっぽど大きなやらかしとか、たまにある地雷との邂逅以外は、時間とともに「そんなこともあるよね」と、だんだん記憶の引き出しの下の方に追いやられていくんですけどね。
人によって、人間関係とかコミュニケーションに対する基本的な受け止め方って、まったく違うんでしょうね。
20歳以上も年若の方から、思いも寄らないことを言われたので、一瞬「これがジェネレーションギャップってヤツなのか?」とも思いましたが、なんとなく「もともとのスペックの違いなんじゃない?」という気もしているのです。
コミュニケーションを略したい
人は大ざっぱに「いつも人と一緒でコミュニケーションを取り続けていないと生きてかれない人」と「人と絡まずに孤独でいるほうが心地いい人」に分けられると思うのです。
そして僕は、紛れもなく後者(=孤独が心地いい)です。
このことについては「リモートワークは、孤独で自由です」でも触れていますので、ご参考に。
でもこれは、ゼロ100でも、完全に白黒付けることでもなくて「なんとなくの傾向」なのだと思います。
僕の場合も、孤独が心地いい派ではあるものの、現実に人と会うときには、人一倍ニコニコして接しますし、ワザと話を脱線させて雑談に持っていきつつ話を盛り上げるようなこともやります。
「独りの状態でもまったく問題ないし、むしろ快適」っていうくらいのもんだろうと認識しています。「コミュ障か?」と問われれば「んなワケない」と答えると思います。
ずっと、自分の人生を振り返ってみても、おおむねどんなタイプの人とでもそれなりにコミュニケーションを取れるはずなのですよ。とくに「仕事」という文脈であれば、なおさらです。
ただ「豊かな孤独を大切にしたい」し「要らぬコミュニケーションで疲弊したくない」のです。
コミュニケーションを拒むわけではなく「できれば略したいなあ」という場面が確実にあって、そういうモードのときは少し頑なになりがちかな? という気がします。
あと、以前投稿した「忘年会に参加したくない気持ちが、無職になったらちょっとユルんだ」という記事でも触れたように、僕は大人数のガシャガシャした飲み会が嫌いです。
もちろん例外的に「この主催者が呼んだ人々なら、大丈夫だろ。行こ」みたいなのはありますけどね…。
たぶん、大勢の人と他愛もないコミュニケーションをするのに向いていないのですよ。
ワリと早いタイミングで「あ、この雰囲気ダメだ」と感じたら、居ても立ってもいられず、ずっとモヤモヤし続ける感じが不快なのです。
「居てもツラいし、帰るのも失礼だし」と悩み続ける自分を「どうにかならんものかな」と思います。そう思うのがイヤだから、最初っから出席しないのです。
結局「めんどくさい」からは逃れられないんですけどね
オッサン・オバサンが、仕事仲間や気心の知れたオッサン・オバサンとばかりつるんでる感じ、よくわかります。
いろんなことが「分かってる」前提なのですよ。だからラクなのです。
別にコミュニケーションをサボってるってワケではなくて「ラクなほうがいいよね」「こっちのが楽しいよね」くらいのもんです。
年を取ると同窓会が増えてくることも、この延長線上にあるんでしょうね。
(参考:50代になったら同窓会が増えた)
「だからいつまで経っても、昔のカルチャーをアップデートできないんだよ」という弊害はありますが、ここでは本題ではありませんので流しますね。
加齢とともに、だんだんとそんなことを考える機会が増えつつあったので、冒頭の「上手く行かないのが当たり前じゃないすか? だからなんとも思わないすよ」が効いたのでしょうね。
そもそも他人とのコミュニケーションって、めんどくさいものなのですよ。
それは前述の「いつも人と一緒でコミュニケーションを取っていないと生きてかれない人」にとっても、決してゼロではないはずなのです。
どんな人にも「ソリのあわない人」っていますからね。
そこで前提を「上手く行かないのが当たり前」だということにしておけば、悩むことも、いつまでもグズグズと引きずり続けることもないんだろうな、なんてことを考えています。
たぶん昔っから、こういう「上手く行かなくても、なんとも思わない」人っていっぱいいたけれども、その存在に僕が気付かなかっただけなのでしょうね。
どうだろ? 「気にもしていなかった」なのかも知れませんが、そのあたりは何とも言えません。
周りの雰囲気もずっと「人間関係をよくしてお互い理解し合うことが、正」って感じでしたもんね。
最近なんだか「オッサンになってから気付くことって、いっぱいあるんだな」という気がしています。
もっと早く「コミュニケーションなんて上手く行かなくて当たり前」と思うことができていたら、もう少しラクな人生だったかな、とも思います。
ただ、「コミュニケーション、めんどくさいな」という場面が減っている傾向は、今のところ感じられません。
めんどくさいものは、いつまで経ってもめんどくさいですね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。