深い話を、ちゃんと楽しみたいのです
2020.03.19
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。僕は多人数のガシャガシャした飲み会が嫌いです。その理由のひとつが「深い話を、ちゃんと楽しめないから」なのですよ。せっかく人と会うのだから、相性のいい人との出会いを楽しみにしたいし、知的好奇心を刺激し合ったりしたいと思っているのです。
多人数のガシャガシャした飲み会が嫌いです
こうして、ずっとブログを書き続けていると「なんでこんなこと書いちゃってるんだろ?」「たしかにオレは、こういうことを考えてること…、あるな」みたいな文章を残してることってありますよね。
決して「深層心理が表出する」みたいな大袈裟なことじゃありません。
確かにちょいちょい感じてることではあるんだけれども、普段はどうでもよくて、すぐ忘れちゃうようなことなのですよ。
こうして毎朝「書く」という行為を繰り返しているからこそ、目につくところに残っていて、それを見て自分のことを再認識するんですよね。
たとえば、昨日投稿した「コミュニケーションが、めんどくさい」や、去年の忘年会シーズンに投稿した「忘年会に参加したくない気持ちが、無職になったらちょっとユルんだ」という記事でも書いたように、僕は多人数のガシャガシャした飲み会が嫌いです。
思い起こしてみれば若いころからずっと、延々と座が動きつつ人々が入り混じり、軽い(良く言えば軽妙な)話をし続けるような会の中に身を置くことに、苦痛を感じていたのです。
薄々は気づいていて「なんだか気が乗らないな」程度の認識だったのですが、こうしてブログを書くようになって、言葉にしてみてようやく「なるほど。オレは多人数のガシャガシャした飲み会が嫌いなんだな」とちゃんと認識できるようになったのですね。
(参考:飲み会を「つまらない」と思うようになった理由)
多人数の飲み会だと、他人の話に割り込んでくる人も多くなりがちですしね。
(参考:人の話に割り込むときのセンス)
そうなると今度は、もうひとつ深く掘って見たくなるのですよ。
そもそも僕は、飲み会自体は好きなのです。
数年前くらいまでは「案件がローンチしたら、飲み会やりましょうよ」と、打ち上げ文化を提唱していましたしね。
他人とコミュニケーションを取ることを「めんどくさいな」と感じる場面も多々ありますが、会話が噛み合ったり、波長の合う人と出会えたときの嬉しさ、楽しさが何とも言えないほど大好きなのですよ。
だから、ありきたりな言い方をすると「場合による」ってことなんでしょうね。
では、そんな「場合」ならば楽しさを感じるのかというと、たぶん僕は「深い話」をしたいのだと思うのです。
深い話を楽しみたいのです
「この人がいま言った、ここんとこ気になる」と思っても、座がガシャガシャしていて本論じゃない場合は「ここで口を挟んじゃうと、話の腰を折っちゃうな」とか「そういう場じゃないしな」などと思いながら、見送ってしまうのですよ。
結局そこは、表面的な話題に終始することをヨシとしている場ですからね…。
どこかしらで、相手の人となりを深堀りしつつ、仲良くなれる人を探してるんでしょうね。
その対極には、自分のことにも興味を持ってもらって、胸の奥に抱えていることを言葉として吐き出してみたいし、その反応を受け取ってみたいという欲求があるような気もします。
別に、深い話をめんどくさがって浅い話ばかりをしたがる人を嫌いなワケではありません。
長い付き合いなのに、ある共通の分野以外はいつまで経っても表層的なやりとりに終始する人もいますしね。
反対に知り合って間もないのに、お互いに踏み込んだ話をする関係になっている人もいます。
平たく言うと、相性の問題なんでしょうけどね。
考え方とか価値観とかが近かったり、人生観みたいなものが似ていたり、話し方や言葉のチョイスが心地よかったり、互いの知的好奇心を刺激し合えるかどうかだったり、いろいろと複合的ではありそうですが「人としての好き嫌い」とはちょっと違うのかな? という気がしています。
反面、相性の合わない人とする深い話は、どっぷり疲れますね。
単純に「深い話をしたい」ってわけではなくて、ちゃんと噛み合う人と「深い話を楽しみたい」という言い方のほうが正確ですね。
まあ、深い話を楽しくできる人との付き合いでも、会うたびにいつも深く掘り進める話ばかりをしても息苦しくなりますけどね。
程度問題ってことでしょうね。
散会するときの感じ
こうして「深い話/浅い話」について、考えてながら書いていると、もしかして「この人とは、浅い話だけで終わってしまうんだろうな」という予感がイヤなのかもしれないと感じるようになってきました。
よく言えば「訪れるに違いない未来に、寂しさを感じる」ようでもあり、身勝手な表現をすれば「そんな無駄な時間を過ごす必要、ある?」といったところでしょうか。
「この人とは、そのうちどこかで深い話をしてみたいな」「今は、そんな場面じゃないけれども、次の機会に」という感触があれば、さほどストレスでもないのですよ。
そして少なからず、そういう機会が訪れてくるようにも思います。
その後の展開は、いろいろですが…。
あと、多人数の飲み会とかの一部で、4・5人で浅い話をしていたときに座が崩れる瞬間ってあるじゃないですか。
その中の誰かが、別の人に声をかけられてそっちと話し始めたり、話題が切れて間ができたり、きっかけはいろいろとあると思います。
そのときに「話し続ける? 散会する?」みたいな感じで、その場のみんなが「素」になる瞬間があるじゃないですか。ほんのり牽制しあってるような…。
あれが、なんとも言えないのですよ。
イヤってほどでもないし、ちょっとした笑いに変える気も起こらないし、いちばんしっくりくる言葉は「馴染めないな〜」だと思います。
ちゃんと深い話ができたときって、そんな感じにはならないように思うのですよ。
あくまでも「オレ調べ」ですけれど。
「名残惜しいけれども、いつまでも話し続けても仕方ないから、今日のところはこれで」みたいな、そこそこの充実感を得つつ、なんとなくメンバーで「キリ」を共有できる気がするんですよね。
だから「心地良かった。またこの人たちと一緒に」という気になるんですよね。
そんな感じのコミュニケーションをできる機会を増やしたいのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。