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人間関係の距離感

2020.04.06

こんにちは、萩ドットライフ()です。

空気を読みつつ、適度な人間関係を保持していたものが、加齢とともに「結構なエネルギー要るな」と感じるようになってきています。「この人、ちょっと距離感おかしいぞ」という場面で態度に出てしまうのですね。たぶん「空気読まない」が正解なのです。

空気を読む? 読まない?

今、盛んに言われている「人と人との間に物理的な距離を置きましょう」という、ソーシャル・ディスタンスのことではなくて、人付き合いの上での距離感について書こうと思います。

まあ、新型コロナウイルスの件で「ソーシャル・ディスタンス」とか「三密(密集・密着・密閉)」とかいう言葉をよく見聞きするようになったので、そこから着想したんですけどね…。

僕たちは、当たり前のように空気を読み、当たり前のように他人が望むことを察しながら生活していますよね。
特に誰かに教わったわけではないのですが、いつの間にかそうするようになっています。

人間は「社会的動物」なので、もともとそんなふうに設計されてるんでしょうね。

ところが、オッサンになるにつれ空気を読むチカラが失われていってる気がするのです。

年齢とは関係なく、さほど好意を持っていない人や親しくもない人からいきなり距離を詰めて来られることってありますよね。
昔だったら「電話番号交換しよ?」だったり、今なら「LINE ID教えて」とかでしょうかね。

以前は心の中で「(たぶんこの人と連絡取り合うことないな…)」と思いながらも「いいですね! 是非々々」などと言いながら心良く交換に応じていたものです。

相手の性別とは関係なく、です。

それが、加齢とともに「え、なんで?」「あなたと連絡取り合うことってある?」みたいな気持ちが強く出てしまうようになってきているのです。

おそらく、表情や態度にも出ているのだろうと思います。
ちょっとした間ができるのですよ。

みなさん、どうなんでしょうね。

僕は勝手に「加齢のせい」だと感じています。
巷間言われる「オッサンは横柄」とか「老害オヤジ、クソ」みたいな、老害の道を僕はトボトボと歩きはじめているような気がし始めているのです。

ちゃんと考えてみると「そんなに親しくもないし、今後連絡取る予定もない人と連絡先を交換する必要って何? 必要性のないことに手間をかけるなんて、時間の無駄だよね」という理由で交換の希望に応じない方が合理的なんですけどね。

でも、なんだか変な空気を作ったこちらが悪いような…、そんな感じになりますよね。

そして、それを取り繕おうとして「たぶん僕から連絡することって、ありませんよ」などと付け加えてしまい、ますます座の空気が重くなるなど…。

空気を読まない人間関係のほうが、快適だし誠実

ただですね。「あなたと連絡先を交換する必要性を感じません」とか「たぶん僕からは何も連絡しませんよ」みたいな言葉を添える方が結果、快適だったりします。

言い方は、その場のノリに合わせてチューニングしますけどね。

互いに変な期待をしないから「あの人、連絡先教えたのに全然連絡してこないな。なんでだろ?」みたいなことにはならないのですよ。

せいぜい、名刺交換の付け足しのセレモニーくらいの気持ちでいられるのです。

前項で、こんな感じになるのって、加齢のせいだと思っていると書きましたが、歳と共に表面的な上っ面な人間関係にバテてくるのかもしれませんね。

昔々は、連絡先に人の名前がいっぱいあることを「カッコいい」と思ってた時期もあったんですけどね…。

若い頃には「この人は表面上の付き合いだな」と感じながらも、テキトーやり過ごしていたものが、だんだんと「なんかこういうのも、そこそこのエネルギー使うんだな」と感じるようになってくるんですよ。

それが「老い」だと言われれば「そうですね」としか答えようがありません。

ならば一瞬、座の空気が変な感じになるかもしれないけれども、それが本当の空気なのだから、それを共有したほうがいいと思うようになってきているのです。

その場を「是非ぜひ〜」とか「また何かご一緒できることがあれば」みたいなことを言い合いながら座を取り繕っても、ある程度の人生を過ごして来ていると、そういうのって伝わりますからね。

鬱陶しめの正論ではありますが「思ったことを正直に言う方が誠実」ってことですね。

これが原因で腹を立てるような相手ならば、以降も何も生まれることはないだろうし、そもそも人生が交わる人ではないように思うのです。

双方の距離感なんて、違っていて当たり前なんですけどね

僕は、好まざる人からの距離を取る方法を発明していて、ここ最近頻繁にそれを使用しています。
頻繁といっても、年に数回程度ですけどね。

「毎回、お断りの文言を考えるのがメンドくさいので、お誘いをご遠慮願います」

という言葉なのです。
有り体に言えば「誘ってくんな」ですね。

以前「50代になったら同窓会が増えた」という記事を投稿したことがあるのですが、それのスピンオフみたいな感じで、さほど親しくもない人から定期的にお誘いいただくのですよ。

気が乗らない方からのお誘いの場合、都度お断りしていたのですが、そういう「気が乗らない方」に限って「忙しいの?」「日にちを変えようか?」「○○が会いたがってるよ」みたいな感じで、メッセージが何往復もするのですよ…。

前述の「お誘いをご遠慮願います」を送ってから、半年以上連絡がないので、功を奏しているのだろうと感じています。

たとえば数十人・数百人規模の同窓会(行かないけど…)とかで、この「気が乗らない方」と同席するのはまったく構わないのですよ。

「おお〜っ久しぶり。いま何してるの? 同じクラスになったこと、あったよね!」くらいのことは言うと思います。

でも、その人から直接連絡をもらって「一緒に飲みにいかない?」と誘われると「ん、オレとオマエ、そもそも友達だったか? 距離感おかしくない?」と思ってしまうんですよね。

実は僕が、矛盾しているのです。

そもそも人間関係って、双方の距離感の認識が違ってるところからスタートすることなんて多々あるものなのですよ。

そういうものだということは重々理解してるんですよね。

自分のことをさほど認識していない人に振り向いて欲しくて、あの手この手でアプローチすることなんて人生で何度もありましたし、その逆もありました。

結果、上手くいったこともあれば、失敗に終わったものもありますし、これからもそういうことが続いていくのだろうと思っています。

この辺の矛盾の素って、一体何なんでしょうね。
考えを突き詰めていくと「人による」ってことになっちゃうんですけどね。

もしかすると、僕も心のどこかで「昔、同級生だったじゃ〜ん」とか「一緒に仕事したこと、あったじゃ〜ん」みたいな、過去由来の人間関係がまだ保持されていると思っている部分があるのかもしれません。

けれども、もういっこ別のどこかでそれを否定しようとしているような気がするのです。

なので相手から、その匂いがすると嫌悪を感じて「距離詰めてくんな」と思うのかもしれません。
繰り返しになりますが、こういうのも「老い」のうちなのかもですね…。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。