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人生が変わった瞬間。「遊びに来たりできます?」

2020.04.07

こんにちは、萩ドットライフ()です。

これまでに、人生が変わった瞬間を何度か経験しています。自分のチカラではどうにもならない偶然の重なりの結果とでも言いましょうか、僕にとって印象深いのは、フリーのデザイナーとして食べられるきっかけとなった、1本の留守番電話のことです。

フリーランスで食っていけるための、種

50年以上も生きていると、人生の転機みたいなものに幾度か出会っていますが、その中から今日は、フリーランスになってから、ようやく食っていけるようになる過程で拾った「種(たね)」の話を書いてみようと思います。

20年も前の話なのですが、振り返ってみると「あれがオレの転機だったな」なんて感触はまったくありません。
むしろ「よくあの種から芽が出て木になったな。なんだか笑えちゃうな」という印象の方が強いのです。

以前投稿した「フリーランスになったころの失敗を記して、平成を後にしよう」でも書いたように、開業後2年間はまったく食えず、3年目「ヨシ。Webデザインに特化してみようか」と切り替えたことでようやく光明が見え始めたのでした。

フリーランスになって4年目に、ようやく売上が1,000万円を超えました。
僕の場合、仕入れがありませんから、ほぼこれが営業利益なのですよ。
「フリーはサラリーマンの3倍稼いでトントンだよ」って言われていましたから、1,000万円という金額は通過点としてしか捉えていなかったのですが「4年目にして、ようやく」ですから、感慨もひとしおでした。

「1,000万円」なんて数字を出しながら話を進めてしまうと、ある層からは「4年もやってそんなもん? 才能ないんじゃない?」と思われるでしょうし、別の層からは「なんだよ、自慢したいだけかよ」と思われそうな、ビミョーな感じになりそうなことは分かってるのです。

仕事がなくて二進も三進もいかなかった開業間もない僕にとっては、この数字がまず最初の目標だったのですよ。ずっと「これ超えられなきゃやめよう」って思ってましたからね。

ある制作会社との出会いが僕の人生を変えてくれたと思っています。

その当時「村の掲示板」というBBSサイトを利用しながら仕事探しをしていました。
ググってみると、いまでもそういう名前のサイトはあるのですが、あのときのそれだったかどうかは定かではありません。

だから、リンクも張りません。

簡単に言えば、外注先を求めている人と、発注主を求めている人のマッチングサイトですね。
最近は「掲示板」とか「BBS」って言ってもピンとこない人も増えてきてるんじゃないでしょうかね。
今と比べてかなり牧歌的で、メールアドレスとか晒しながらやりとりしていたような記憶があります。

たぶん、発注する側も受注する側も玉石混交だったのだろうと思います。
最初っから地雷臭のする業者とか、いっぱいいましたもん。

あとになって制作会社(=発注者)側から「いや〜、ヒドい人いっぱい来ますよ」なんて話を聞いて「どっちもどっちなんだな」なんて思ったり…。

「その日NGです」と面接を断った制作会社が人生を変えてくれた

当時の僕は「では、資料を贈りますのですぐに着手してください」というスタイルの会社(or 個人)よりも「一度会ってお話しましょうか」という、段取りを踏む制作会社もしくは広告代理店を求めていました。

今でこそ「いちいち対面で話す必要ないじゃん」なんて思ってる僕ですが、そのときはなんとなく「実際会わないとキケンだな」と感じてたんでしょうね。

仕事が欲しくて欲しくて仕方ないわけですから、当然、積極的に「はい、是非一度お伺いさせてください」と、アポイントが取れるたびに急いそと出かける毎日でした。

振り返ってみれば「Webデザイナーに応募します」と言いながら、印刷物のポートフォリオ(=過去の実績集)を持ち歩くという奇妙なことをしてましたけどね…。

たまにはバッティングして「スミマセン、その日NGなんです」なんてときも何度かありました。

その日、ある面接に行って「うまく仕事もらえるといいな」なんてことを思いながら自宅兼作業場に帰着すると、1本の留守番電話が。

メッセージを再生してみると「お帰りになったら、ご一報ください」と。
相手は「スミマセン、その日先約があってお伺いできません、NGっす」と面接を断った制作会社でした。

時間的には、ちょうど日が暮れたくらいでしたかね…。

折り返してみると「うち、もうしばらくやってるんですよ。もしヒマだったら遊びに来たりできます?」と。
聞いてみると、あまりいい制作者に出会えなかったみたいなんですよね。
それで「スケジュール会わなくてNGだったけど、電車で20分くらいのところに住んでるヤツいるな…」ということで、連絡くれたみたいです。

「そうですか、いいすよ。御社、何人くらいおられます?」みたいなことを訊ねると「3人とパートひとり」ということだったので、近所のコンビニで自分の分と併せて5人分のペットボトル飲料を買って「あ、これ差し入れです」と手渡しながら初訪問したのです。

先方が「遊びに来い」っていうものですから、僕もまったく面接モードじゃありませんでしたね。
「来いっていうから来たよ」くらいの感じでした。

オフィス内を見渡してみると「みんな出払っちゃってて」ということで、僕に電話かけてきた方ひとりだけ。
ミーティングスペースに通されるわけでもなく、空いてた他人の椅子に座らされて、1時間くらい互いのバックグラウンドや、デザイン談義みたいな会話を、あ〜でもないこ〜でもないと、しゃべくり合って。

「じゃあ、何か頼めそうなものがあれば、お声がけしますね」と、だいたいどこでもされる定型句を言われて、面接なんだか世間話なんだかわからない初訪問は終わるのですが、帰り際に「みなさんの机の上に名刺置いていきますから、お会いできなかった方々にも、宜しくお伝えください」みたいな感じで、その制作会社の事務所を後にしたのです。

結局「運」なのですよね

その翌日に、お会いできなかった営業の方から電話がかかってきたのですよ。

「昨日は、お会いできなくてスミマセン、名刺頂戴しました。いま新規案件をスタートするところなんですが、お話だけでもさせていただけません?」と…。

それが某大手マンションデベロッパーの案件だったのですよ。

当時はみんなが手探り状態だったと思います。
全員がそれぞれの立場で、なんとなくそれっぽいことを言うのですが、過去の事例もほとんどない状況だったので、とにかく集まってカタチにするだけで精一杯だったし、そこそこ満足できたし、それだけでチームの結束ができてた時代だったのだろうと思います。

「この座組で、この仕事、自信持ってやっていけるな」みたいな状態を作りやすい時代だったのですね。

事実、それを機に約20年にわたって食っていくことができたのですから、そのときの感触は間違ってなかったことになりますね。
(※途中メンタル壊したり、戦力外になったりで、例外期間はありますけどね)

良くも悪くも、ですけど。

そのときの制作会社は、数年後に分裂してなくなります。
でも結局、そこを通じて知り合った人々とずっと仕事をし続けることになったのですよ。

中には縁の切れた方、Facebookだけで繋がってる方、ときどき思い出したように「一緒に仕事やろう」って言ってくる方も居られますけどね。

その制作会社の人達と、いろんな案件を一緒にやって、仲良くなったころに聞いたことがあるのです。

「なんであの日、『遊びに来い』って僕を呼んだんです?」
「なんで翌日すぐに、僕に仕事回してくれたんです?」

と。

そうするとどうやら、自分たち(その制作会社を経営してるメンバーですね)と年齢が近いし、ずっとグラフィックの経験があることで安心感を持っていた。だから、結果はどうあれ、とりあえず話してみたかった、と。

実際に会ってみると、Webの世界で「写植時代からデザインの仕事してたよ」なんて人、聞いたことなかったし、話してても楽しかったし、何よりも、面接に差し入れ持ってやってきた人なんて初めてだった。

さらに、帰り際に会えなかった人の机に名刺置いていく人も、初めてだった。
だから「頼んでみよう」ということになった。

のだそうでした。

結局「運」なんですよね。
だって、もともとは僕、そこの面接「先約あるから、NGっす」って断ってたんですもん。

もちろん、その制作会社と出会ったことで、別の人々と出会う機会を失ったのかもしれませんが、結局これがきっかけで、食べていける状態になれたのです。

あの「遊びに来たりできます?」という1本の電話が、人生を変えてくれたなあ、と今でも思っています。

50代半ばを超えた僕のことを「遊びに来たりできます?」と誘ってくれる人はいるのでしょうか?
そして「いいすよ。御社、何人くらいおられます?」と、僕はフットワーク軽く動くことができるのでしょうか…。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。