follow hagi.life

そりゃ、人によって違うよ

2020.04.08

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ちまたでは「人によって態度を変えるヤツはクソ」ってことになってますが、自分を省みると、思ってることを言葉にする相手って限定的だったりしますよね。わりと当たり前に「人によって違う」をやっているし、それがとても自然なことだと感じるのです。

「思う」と「言う」の間

「あなたは、どうお考えです? 思っていることがあれば、この機におっしゃってください」などと促されることがありますね。

子供時代ならば「思ってることがあるんなら、ちゃんとそれを言え!」と半ば恫喝的に何かしらの意見表明を求められたり、なんてこと多々ありましたよね。

僕はわりと「そんなのオレの好きにさせてくれよ」と思う派なのです。

おそらく、自己主張の大切さを共有しようとしていたり、ざっくばらんに意見表明をすることがチーム作りにとって大切だと思っていたり、それなりの意図はあるのでしょう。

でも、自分が思っていることを、

  • 誰に向かって
  • どんなタイミングで
  • どういう方法で

伝えるかくらい、自分で決めたいのです。

人が思ってることや考えてることって、膨大ですよね。
言ったり書いたりすることって、その中のほんの一部なのです。

「思う」と「言う」の間には、様々なフィルタリングやら加工やら混合など、あらゆる工程があるのですよ。
がさつに「思ってることがあれば、ここで…」などと促してくる人の前で、不用意にアウトプットするようなものではないのです。

むしろ、会ったときに何かを言いたい仲間がいて、そのときに満を持して何かを「言う」ために、日ごろからいろんなことを思ってるような気すらしています。

その仲間は既知でなくとも、ある日突然、僕の目の前にビールジョッキ持って現れるような人でもいいのです。

思ってることを口にするかどうかなんて、相手によって違うのですよ。

先日投稿した記事にモヤモヤしています

先日投稿した「人間関係の距離感」で、親しくもない人から距離を詰められたときに「受け入れられる人」と「受け入れられない人」がいることに触れつつ、

この辺の矛盾の素って、一体何なんでしょうね。
考えを突き詰めていくと「人による」ってことになっちゃうんですけどね。

という書き方をしていて、投稿後もちょっとモヤモヤしてたのですよ。

半分は「上手い文章に落とし込めないな…。こういうこと言いたいんじゃないんだけどな」という、筆力不足に対するフラストレーションなのですが、もう半分は「人による」って着地点で正しかったのかな? ということが、ずっとココロに残っていたのです。

もうちょっと「人によって違う」という部分を深堀りしたかったんですね。

それで「思ったことを言う/言わない」の場面を想定しながら、いろいろと考えながらこの記事を書き進んでいます。

たしかに「思ってること、全部言う?」と聞かれれば「そりゃ、人によって違うよ」って返答になりますよね。

そして「言う」相手は、もともと気心が知れていて、誤解を招きそうな部分を含んでいても上手く処理してくれることが分かっている、いわゆる「仲間」であることは間違いありません。

「たぶん、心地よい返答があるんだろうな」という予定調和も期待しているのです。

そして、それに加えて初対面で、人間関係が構築出来てなくても、ピンと来た人には「言う」こともありそうな気はしています。

ボールが真っ直ぐ返ってこない、デコボコした壁にボールをぶつけて見る感じですかね。
これこそホントに限定的で「人による」なんですけどね。

「人によって違う」ってアリでしょ

以前と比べて「本音トーク」っぽいコミュニケーションをすることがヨシとされつつような感じを受けています。

「ここの話し、twitterに投稿したら大変なことになっちゃうね」みたいな、仲間内で悪巧みを共有しつつチーム内の結束を固めるような行為も、みんなわりと好きですよね、盛り上がりますしね。

どこかしらで「社会人」とか「職業人」「○○係」みたいな仮面を被っていて、「こんなの本当の自分じゃない」なんてフラストレーションがあるんでしょうね。
だから、ほんのちょっと素顔を晒すようなことに快感を感じるのだろうと思います。

当然、僕にもそういう部分があります。

でもね、仮面も含めて自分なのですよ。
だって僕、無職になって「社会人」でも「職業人」でもなくなりましたけど、思ってることを話す相手って限られていますもん。

結局「人によって違う」のです。

多くの人には、限定的な本音トーク仕立ての話をしています。
「無職になったよ」と言えば、結構興味を持たれて根掘り葉掘りいろんなことを聞かれますからね。

思っていることを「言う」と「言わない」は等価なのですよ。
「この場面では、どちらを選ぼうかな?」という設問から決定を含めて自分なのですね。

「言わない」という選択は、決して本音を隠しているわけでも、自分を偽っているわけでもないのです。
「この人には言わない」という決定を下した、とても「自分らしい」状態にいるのです。

普通に生活をしていて、誰かに「自分の意見を言うな」なんて口を封じられる場面なんて、それほどあるもんじゃありませんよね。

当然、仕事上の話で秘密保持を求められてるようなことについて、どう思っていても「言う」なんて選択肢はありませんよ。

最近良くNDA(Non Disclosure Agreement)なんて聞きますもんね。

でも大抵の場合、人は「言えない」のではなく、自分の意志で「言わない」を選んでいるのです。
別に「言う」を選択しても構わない場面で、それを選んでいないだけなのです。

では、どんな状況になれば「言う」のか?
細かく条件設定すれば「話の流れ」とか「タイミング」とか「その場にいるメンバー」とか「自分の気分」とかいろいろあるのでしょうが、一番大きな要因が、

「人によって違う」だと思います。

巷間「人によって態度を変えるヤツはクソ」ってことになっていますが、「人によって違うんじゃない?」を許容すれば、ちょっとラクになりますよ。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。