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あなたのためを思って、と言う人と仲良くなれない

2020.04.09

こんにちは、萩ドットライフ()です。

これまでに何度「あなたのためを思って」というたぐいの言葉を聞いてきたことでしょう。僕これダメなんですよ。「この人、地雷だ」と距離を取るためのトリガーに設定しています。相手のモノサシを無視して、自分の価値観を押し付ける言葉なんですよね。

「あなたのため」と、言うこと聞くことがツラい

反対に考えてみりゃいいのですが、そもそも他人が必要としている「ため」なんて、僕にわかるわけがないのですよ。

おそらく「ため」という部分には、「成長」とか「成功」とか「首尾」というワードを代入して考えるものだろうと思うのですが、その加減をするのは本人だけなのであって、他人からとやかく言われる筋合いのものではないのですよね。

こいして、こんな内容のことを書き始めてしまったこともあり、僕自身が過去、他人に向けて「これはお前のためを思って言ってるんだよ」みたいなフレーズを言ったことがあったかどうかを振り返っているのですが、たぶん一度もないはずです。

得てして子供時代は近しい大人の口ぐせを真似がちですが、その頃からすでに、他人が他人に向かって「○○ちゃんのため」って言ってる場面に出くわすたびに、気持ちがゾワゾワっとしてましたから…。

ときおり訪ねてきて、玄関先で小一時間ほど祖母と茶飲み話をしていく近所のおばちゃんが「あなたのためになる」「あの人のためを思って」という言葉を多用する人だったのですよ。

大人の話なんて意味がわからなかった幼少期の僕でしたが、そのフレーズが耳になんとなく残っていたことを、今でも覚えています。

その人が帰ったあとは一時的に、祖母が僕に向かって使う言葉の中に「あなたのため」が混ざる頻度が増えていたのです。

単純に言葉が伝染って「○○しなさい」が「○○しなさい、○○ちゃんのためよ」のように、通常の言葉に付け足されるだけなのですが、それを言われる僕としては、何とも言えないイヤな気分になっていたのです。

以来、ぼくは「あなたのためを思って」という言葉が嫌いだし、それを言う人と仲良くなれる気がしません。

そのままずっと「なんかイヤな言葉遣いだなあ」くらいの気持ちでいたのですが、いつ頃からだろう? たぶん小学校高学年か中学生くらいの、ちょっとだけ知恵が回り始めた頃だろうと思います。

「その『ため』は、言ってる人の『ため』じゃん」

って思うようになったんですよね。
50代半ばを過ぎた今でも、そう思っているので、たぶん当たってるんだと思います。

「あなたのためを思って」って言ってる人の中にある価値観を押し付けるために発せられている言葉なのですよ。

人は勝手に好きなようにするものなのです

冒頭で書いたように「ため」のところには、「成長」とか「成功」とか「首尾」みないな言葉を入れ替えて考えるとしっくりくるのですが、そもそもこれらは人によって違うし、千差万別なんですよね。

人はそれぞれに自分なりのモノサシを持っているのですから、当たり前なんです。

たとえば僕がこうしてセミリタイア生活しているのは、職業人としての寿命を伸ばすための施策なのですよ。
(参考:[フリーランスの老後]人生のピークを先延ばしする

でも、人によっては「とにかく労働を最小限にしたいから、セミリタイア」という人もいれば「ほぼアーリーリタイアなんだけど…」という人もいるでしょう。

何を「ため」にするかなんて人それぞれだし、そんなものは各人が勝手に、好きなように決めるものなので、他人からとやかく言われるものではないはずなのです。

「あなたのためを思って」という人は、その部分のイマジネーションが欠落しているのです。
自分の価値観や思想、経験に偏った「ため」を他人に投げつけているだけなのですよ。

「こうすれば、あなたは上手くいく。それがあなたのためでしょ」と、言う側の理屈だけで選択肢がひとつに絞られているのです。

自分にとっての「ため」を他人に押し付けようとした時点で、それはもう相手の「ため」にはならないのです。

だって、その人自身のモノサシの存在を無視しているのですから。

自分にとっての「ため」を語ろう

僕ならば、他人が考える「自分のため」を聞きたいと考えます。
そして言う側ならば「僕が考える、自分のため」について話したいと思います。

オッサンの自分語りはあまり好まれませんけどね…。

「自分のため」ならば、そう考えるに至るバックグラウンドや、これまでしてきた体験が一緒に伝わることで、おぼろげながらでもモノサシの共有ができるのです。

その上で、聞き手の「自分のため」が更新されるかもしれないし、他人事として「へえ、そんなもんなんだね」と聞き流すかもしれませんが、それはもう聞き手次第なのです。

これまた、人それぞれなのですよね。

思い起こせば、自分だって好き勝手に生きてきたはずなのですよ。
だいたいの人がそうじゃありませんかね?

そこで得た知見を「あなたのため」に加工して、他人をコントロールするためのツールにするのではなくて、「自分のため」にやってきたこと、上手くいったこと、しくじったことを語るほうが、楽しそうだと感じるのです。

「あなたのため」ではなく「自分のため」を語る人の話を聞きたいのです。

「あなたのため」をNGワードにしていて助かった

ちょっと話はズレますが、僕がフリーのデザイナーになって間もないころ。
仕事がなくて巣の中でピーピー鳴いていたころです。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成を後にしよう

ある人の伝手で、某大組織の仕事のおこぼれに預かれるかもしれないと、営業活動をしていたことがあります。
そのとき、先方から「うちの仕事を請けたいのならば」と提示された金額がとても廉価なものだったのです。

「背に腹は変えられないなあ」とか「まずはこれが小さな一歩になるのかな」などと思いつつも、「当方はこの値段でお請けしたいのですが…」と難色を示す僕に、担当者が言った言葉が、

「うちの仕事をやれば、それが宣伝になる。あなたのためになる」

だったのです。

断りました。

結果、先日投稿した『人生が変わった瞬間。「遊びに来たりできます?」』に繋がっていったのです。

「あなたのため」という言葉を、距離を取るべき人を見極めるトリガーに設定していて良かったと思いました。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。