望まぬ感情から、距離を取りたい
2020.04.10
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。無職になって、ネットが仕事道具ではなくなってから、快適な日々を過ごしていたのですが、最近またネット疲れを感じるようになってきました。SNS等を通じて、いろんな人々の感情が増幅しつつ次々とタイムラインを流れていくからなのでしょうね。
ネット疲れを感じますね
僕は20年以上にわたって、Webデザイナーという仕事をしてきましたので、日常的にPCの前で作業をし続けてきました。
フリーランスになりたての1990年代には、FAXやらプリンタやらバイク便なんかも使っていたのですが、年を追うごとにすべてPCで完結できるようになりました。
だからこそ、二拠点生活も可能になったし、極力打ち合わせやや定例会などの対面ミーティングを回避できるようにもなったのです。
一方で、少々「ネット疲れ」を感じていたのも確かです。
ここ数年は、仕事の連絡はメールもしくはチャットワークでやっていました。
何かをしているときに手を止めて応対しなければならない電話と比べると、はるかに快適なのですが、それでも着信音がしたら反応しなければなりませんからね。
常時うっすらとメールとチャットワークのことを気にしている状態が続いてたんですね。
無職になって半年以上が経過した今、それから解放されています。
もうすでにチャットのことなんか気にしていないし、メールも着信音が鳴るまでその存在を忘れてるくらいです。
LINEとFacebookのメッセージは、着信音が鳴らないように設定しました…。
かなり快適です。
それでも相変わらず、1日の多くをPC前で過ごしています。
YouTubeやTVerで動画コンテンツを観たり、いろんな方々のブログを読んだり、ニュースに接したり、気になったことを調べたり、ずっとPCを娯楽用ツールとして使い続けているからです。
結局、仕事をしていようが無職になろうが、ずっとオンラインなんですね。
それが最近、再びネット疲れを感じるようになってきました。
ここのところずっと世間を騒がせている、新型コロナウイルス禍によって、目にする情報が全体的に重苦しいものになっていて、SNS上ではいろんな人々のいろんな感情が、他人の感情を上書きしようと津波のごとく押し寄せる毎日です。
どうしてもそういう情報が気になってしまうのですよ。
「世間はどういう反応なんだ?」とSNS上で、ずっと検索し続けたりもしています。
そりゃバテますよね。
たしか、平成23年(2011年)の東日本大震災のときもこんな感じだったかな…。
望まぬ感情と距離を取る
先日「人間関係の距離感」という記事を投稿したばかりなのですが、自分自身の中に芽生えた感情との距離の取り方も大切かな? と思うようになってきています。
自分の中の感情に気付きながらも、もう一方で「これって、ホントにオレの感情?」と思うことがチョイチョイあるのです。
なんとなく「SNSで目にした他人の感情に影響されて、書き換えられてるんじゃないかな」と。
それが「楽しい」だったり「嬉しい」「おめでとう」だったりすると乗っかりやすいんですけど、「苦しい」「悲しい」「ふざけんな」みたいな負の感情だと、正直シンドイんですよね。
だからなのか「意図的にSNSを使わないようにしてる」という人も散見しますね。
理解できます。
けれども、ネットって完全に僕たちのライフラインの一部になってますよね。
前項で触れたように、無職になった僕でもずっとPC前にいるし、外出するときはスマホを持っているのです。
そして、なんとなくの暇つぶしに眺めるものの、かなりの割合をSNSが占めているという人が多いと思うのですよ。
そうすると特にこういう時期は、延々と他人の負の感情に曝され続けてることになりますよね…。
どうしても、自分の望まぬ感情が、心の中で増幅していることに気付くことになります。
他人が発する感情に、いちいち反応する自分が悪いんですけどね。
それを避けるためには、一定期間SNS断ちをして、自分に悪影響を及ぼす感情から距離を取ることも大切だとも思うのです。
今のところ、思ってるだけですが。
考える時間がネットとの距離を作る
今こうして、新型コロナウイルスで大変な時期だから「SNSシンドイなあ、ちょっと距離を取ろうかな」などと思いついてしまうのですが、そもそも通常時でも大なり小なりそういう出来事って起き続けてるんですよね。
それを見て、一喜一憂することが娯楽になっているのです。
ネット疲れの原因は、ネットになんかになくて自分の側にあるのですよ。
常時流れ続けるニュースや他人の言説に対して、いちいちシンドイ処理をしているだけなのですね。
僕は、ちょっと薄情なくらいの覚めた目で社会の出来事に接するくらいでちょうどいいような気がしています。
自分にとっての関係性とか、自分ならどういう場面でどう振る舞うべきか、大切にすべきものはなんなのか、などをゆったりと考える時間を設ける。
そのときの僕は、ネットから切り離されているのです。
そうして考えたことが、こうしてブログネタにもなりますしね。
ずっとネットに向き合ってインプットばかりを続けていたり、他人の感情に対して自分の感情で反応し続けていると、気が滅入りますよね。
結果、それが自分をネットから離脱できなくする原因にもなりますしね。
アウトプットする習慣を持っていると、自然と自分の頭の中だけで考えを巡らせる時間を設けることになり、結果そこがネットとの距離を置く時間になるので、なかなか良いと思っています。
一方で「1年くらい完全オフライン生活してみるのもアリだな」などと考えている自分もいます。
そうしたら、このブログの投稿も中断することになって、せっかく組み立てた習慣を失うことになる…。それはそれで惜しいのです。
さて、どうしたものか。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。