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自分の好きなようにやればいい

2020.04.12

こんにちは、萩ドットライフ()です。

無職になってしばらく経ち、だんだんとボーッと「なにもしない」状態でいることに苛立ちを感じなくなってきました。むしろ快適なのです。つくづく「自分の好きなように生きればいい」という考えが間違っていないんだな、という気がしてきています。

「なにもしてない」が、快適に感じられるようになった

ようやくポツポツと「無職でいることに慣れ始めたかな」という瞬間を感じられるようになってきました。

いま世界中が自粛ムードなので「なにもしていない自分、世界中のみんなと同じだ」と同調しちゃってるものだから、少し安心感を感じてるのかもしれませんね。

どういうところに「無職に慣れた感」を見出しているかというと、「なにもしない」ができるようになりつつあるのですよ。

現役でデザイナーをやっていた頃と変わらず、1,800×750mmの作業台の前が僕の定位置ですし、目の前の3台のPCに電源が入りっぱなしではあります。
常に何かを聞きつつ、別のものを目で追いながら暇を潰しているのですが、フと気付くと何の刺激も受けないまま、時間が過ぎていたりするのです。

そしてそれを「なんだか今日は無駄な時間過ごしちゃったな」とは感じるわけでもなく、ちょっとスッキリした感覚を得られるようになっているのです。

なんとなく「その昔、休日ってこんな感じだったな」と少し新鮮な気持ちになっています。
失ったんじゃなくて、忘れてたんですね。

こういうときに感じる「懐かしい薫り」ってありますよね。
匂いとか触感とか景色とか音とか、いろんなものが混ざり合った記憶を呼び起こしてくれて、フワフワした感情に包まれる感じ。

昨日投稿した「風通しの良い場所へ、見晴らしのいいところへ」ともつながるのですが「ああ、オレってこんな感覚を心地よく感じるんだな」と、感じることが増えているのです。

加齢のせいなのかもしれませんし、二拠点生活によって定期的に生まれた街の風にあたっているからなのかもしれません。

どういうわけだか今、「なにもしない」状態でいることと「懐かしい薫り」を感じていることが同調していることが増えつつあって、それがなかなか気持ちいいのです。

これまで見えていなかった自分がいるのです

現役でフリーランスのデザイナーをしていたころには、他人に評価される自分でいることに最適化し続けてきたような気がします。

表面的には、好き勝手な振る舞いをさせてもらった記憶も多々ありますが、芯の部分では「他人に認められてナンボ」の職業人ですからね、そこはちゃんとわきまえていたという自負はあるのです。

「ちゃんと見ようとしてこなかった自分が、いるな」と感じ始めています。
というか「オレ、自分のことすらなにも解ってないじゃん」という感情に近いかもしれません。

ずっと暇さえあれば、職業人としてのレベルを上げるために「こうしたほうがいい」とか、環境の変化についていくために「これをやっておくべき」みたいなことを優先的にやってきてたんですね。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと

そんなことではなくて、ただただひらすらに「自分だけ」のことを考えて、「これ楽しそう」というシンプルなモチベーションで行動する先に「これまで見ようとしなかった自分」の姿がうっすらと見えるのです。

この辺なんとなく、セミリタイア人になることを決めて少しずつ仕事を減らしつつあるころから、なんとなく気付いていたことではあるのですが、無職になってしばらく経ったいま、ようやく言葉になりはじめました。

たぶん、ちゃんと息を吸うことができ始めてきてるのでしょうね。

フリーランスになったばかりの頃には「息もできないくらい忙しくなりたい。みんなに僕の能力を認められたい」などと思っていたものですが、その考え方が長い年月の間に僕自身を変なカタチに作りかえてたのかもしれませんね。

50代半ばを過ぎて「他人に干渉されずに、自分のすきなようにやりたい」なんて思い始めたのですから。

「なにもしない」ができるようになりつつあるのも、少しずつ自分のカタチが補正されつつあるということなのでしょう。

自分の責任で、好きなように

「好きなように生きればいい」とか「自分のことは自分で決める」なんて、僕が子供のころからずっと見たり聞いたりしてきた慣用句なのですが、この歳になってようやく「うん、そりゃそうだよなあ」と思い始めているとこです。

ちょっとだけ、自分の言葉で似たようなことを言えるようになりはじめた気がします。
まだモヤモヤしてる部分が多いので「気づきを得た」なんて言えるフェーズじゃありませんけどね…。

たぶん30年以上職業人として生きてきて、自分が好きなようにやっていい分野とか、責任を持てる範囲が解ってきたからだと思うのですよ。

  • 「ここの部分は、自分には大したチカラがないから、社会通念の中で用意されてる選択肢の中から選ぶようにしよう」
  • 「この分野に関しては、自分が思う通りにやってみたほうが、いろいろと楽しそうだぞ」

みたいな仕分けが、なんとなく描けるので「じゃあ、実際に確かめてみようか」というフェーズなのです。

巷では「自分勝手な人」って嫌われたり問題視されがちですよね。
「自分勝手な人」で、ググってみても「自分勝手な人の対処法」的な記事が上位を独占してますしね。

でも「自分」の責任で「勝手」に生きてる分には、まったく構わないと思うのですよ。
「好きにさせてくれ」ってことですよね。

他人の迷惑になったり、法に触れたりするようであれば、それはそれでまた別の問題ですよね。

とりあえず僕が好きなようにやってみて、そのことについて考えたことやった結果などをこうしてブログに記録し続けたり、当然、僕も好きなようにやってる人のブログを読んで影響受けたり。

そうやって「好きなようにやればいい」と考えて行動する人が増えると、少し社会の空気も変わると思うのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。