日常的な習慣を整えよう
2020.04.13
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。緊急事態宣言が出ています。僕の生活は変わっていませんけどね。社会的に大変なことになっていることには違いないのですが、僕たちひとり一人ができることって、日常の習慣を再度見直して、感染者にならないように心がけることくらいなのですよね。
何も変わらぬ日常なのですが…
なんだかんだと言いながら、新型コロナとか、三密(密閉/密集/密接)とか、不要不急の外出の自粛みたいなことを考え続けています。
先日「おおざっぱに言えば、何も変わらない」なんて記事を投稿したように、僕の生活そのものにはあまり変化がないのですが、やはり気になりますよね。
そうそう。マンションの売却計画が停止しています。
詳細は「東京のマンションを売ることにしました」をご覧いただけるとありがたいのですが、僕は山口県萩市への完全移住に伴い、東京のマンションを売却することに決めていたのですよ。
そのために仲介業者も決めて、suumoやat homeなんかのweb媒体に情報出してもらったり、水回りのクリーニングしてもらったり、買い主さんを連れてきてもらったりしていたのですが、このたび東京都に出た外出自粛のために「よほど買い主が強く望まない限り、案内は控えよう」ということに…。
まあ、仕方ないですよね。
「とっとと現金化して、この世界株安の今、まとまった資金を金融資産化すれば、ウヒョヒョ」なんて皮算用は、引き出しの奥底にしまい込むことになってしまいました。
日々刻々と更新される「感染者」「死亡者」の数を見ていると「なんだかエラいことになってるな」とは思うものの、建物が壊れているわけではないし、電車もバスも普通に動いているし、スーパーもコンビニも開いていますよね。
「マスク売ってないじゃん」とか「トイレットペーパーの種類が、ショボいやつに変わってる」とかはあるにしても、「災害だ!」と言われても、あまりピンと来ないのです。
でも、緊急事態宣言が出ているので、緊急事態なのです。
毎日の習慣を見直そう
ちょっとだけ、むかし習ったことが「これ、正しかったんだ」と再認識されましたよね。
僕が通っていた小学校では、ズラッと並んだ水道の蛇口に網に入った石鹸がぶら下げられていました。
体育の時間の後とか、給食の前、昼休みに校庭で遊んだ後には「石鹸で手を洗いましょう」ということになっていました。
同時に、うがいもさせられてましたよね。
アルマイトのカップが大量に置かれてて、使ったら洗面台下の竹籠に放り込む。それを用務員さんだか給食のおばちゃんだかが回収して、煮沸したものを持って来る、みたいなサイクルになってたと思います。
このシステム、途中でなくなって個人用のプラスチックカップを持っていくように変わった記憶があるんですけど…。どうなんだろ? 「アルマイトが体に悪い」って話と関係あったのかな? 少々記憶がぼんやりとしています。
まあ「手洗い・うがい・歯磨き」がセットで語られていたことは確かですね。
そうそう、給食当番のときは割烹着着てマスクして、教室前から並んで給食室に向かって、並んで教室に帰ってきてましたね。
整然と行動することも「清潔」の一部だよ、ってことなんでしょうね。
こういうときって、普段の習慣を見直すための、いい機会かもしれません。
大人になると、手が汚れたときや、パンとか手づかみでの食事前くらいしか手を洗わなくなりますし、うがいをするのもたいてい喉が痛くなってからですよね。
食事が出てるのに、周りの棚を開けたり締めたり、「あれがいる、これがない」とテーブルの周りを歩き回ったり…。
僕だけかな。
コロナに感染した人を治してあげることはできないけれども、自分ができるだけ感染しないように生活を見直すことはできるのですよ。
とくに物凄い努力をする必要なんかなくて、これまで雑にしてたことを、ちょっとだけ真面目にやるくらいで充分だと思うのです。
せっかくだから、孤独を楽しもう
なんとなく、コミュニケーションを渇望し始めている人が増えているような感じがしています。
SNSを見てると「リモート飲み」なんて言葉をよく目にするようになりましたし、今まで忘れ去られてたのに急に動き始めるLINEグループが出てきたり。
僕は20年以上、ずっと自宅兼事務所で仕事をするリモートワーカーだったので、孤独には慣れている、というか自分勝手に仕事をしたいので、フリーランスになりましたので、まあ今の状態に対して特に苛立ちを覚えたりするようなことはありません。
(参考:リモートワークは、孤独で自由です)
でも元来、人は集まりたい生き物なのですよ。
当然、僕もまったく同様です。
自分で認識できたいない自分のことを教えてくれるのは仲間だし、アホな話の中に互いの尊敬できる部分や羨ましく思っている特性を散りばめながら、楽しい時間を共有するのは、それはそれは楽しいものなのです。
僕にとっては、孤独と同じくらい必要な時間です。
しかし「望まぬ…」とはいえ、こういう状況になってしまったのだから、多くの人が「孤独」の価値を見直すきっかけを作ってくれるといいな、とは思います。
僕がもともとボッチ派であることは、過去に何度か記事を投稿していますので、関心がありましたらご一読を。
孤独を楽しめるようになると、また仲間と集まってワイワイやるときに、またひと味違った趣(おもむき)を感じられるんじゃないかな? そうなるといいな、と思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。