将来の目標って、いる?
2020.04.21
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。物心ついてからずっと「夢を持て」とか「将来の目標は何?」とか言われ続けてきましたよね。僕もなんとなく「うん目標を持とう」と思っていた時期もありました。でもなんとなくしっくり来てなかったんですよね。「将来の目標なんて、いる?」と…。
あまり「将来の目標」を考えることがなかった
小学校に通うようになってから、社会人として会社で働くようになったくらいまで、ずっと「将来の目標」について、訊ねられたり、発表させられたりすることが定期的にあったように思います。
たとえば年明けや、年度初めにも「今年の抱負」とか「今期の目標」みたいなことをさせられましたよね。
運動部に所属していた大学時代は必ず「来季のインカレやリーグ優勝に向けて」的なことを納会のときに言っていましたしね。
最近はKPI(Key Performance Indicator)という言葉をもちいて、達成度合いを計測するために定量的な指標を持つことがよき、ということになってるっぽいですね。
このあたりは、他人が言ってることを傍からぼんやりと眺めている程度の知識しかありませんので、深くは踏み込みません。
この「将来の目標」について、誰かに求められてちゃんと言葉にしたことって、会社の従業員ではなくなって、つまりフリーランスになって以降、ほぼないのですよ。
と、思いつつこのブログを「目標」というワードで検索してみると「大学を卒業するときには、10年後に自分の会社を持ちたかった」とか「フリーになった当初は、まず年収1,000万円欲しかった」みたいなことを書いていますね。確かに、こんなことを思っていました。
でも他人に「私の目標は」というカタチで言葉にしたことは、大学を卒業してすぐに入った会社の面接で「10年後に自分の会社を持ちますので、それまでお世話になります」って言ったくらいだったでしょうかね…。
それ以降とくに「目標」を設定した記憶ってないんですよね。
そりゃ、各々の案件について「○曜日にここまでやっといて、△曜日にプレビュー送るか」とか「今日は何ページコーディングしたら終業しよう」みたいな細かい目標は数々ありましたよ。
でもなかなか「将来オレはこうなりたい」とか「会社をこういうふうに成長させたい」なんて目標は持ってこなかったですね。
訊ねられたことは何度もありました。
その場その場でテキトーに答えていたか、思ってもいない作り話をしていたような気もします。
だいたい、そういうのを聞かれるときって酒の席なので、誰も覚えちゃいないんですよ。当然、僕も。
そして今は、無職になっているので、当然「こういう将来につながる案件を受注したい」とか「本年度はこの程度の受注額を達成したい」なんて目標も持っていないわけです。
プライベートも含めた「これからどんなセミリタイア人生を送っていこう」みたいな目標だと、ずっとこのブログに書き続けているようなことで、話題にするたびに少しずつカタチを変えていたり、いつのまにか言及することに飽きてしまってることがあったりして、なかなか言語化することに困るようなことばかりなのです。
「将来の目標」について、考えたことがないわけじゃなくて、言語化する習慣がないんですね…。
という気にかかり方を最近し始めていますので、それについては後述します。
将来の目標を持つことって必要?
さっぱり忘れてましたけど、大学のとき就職の面接に備えて「将来の目標を聞かれたときの答え方」みたいなのってやりましたっけね?
そういう授業だかセミナーがあったんだか、自分で買って読んだ本に書いてあったんだか覚えていませんが「ただ質問に答えるのではなく、アピールを混ぜましょう」みたいなことなどなどを教わったように覚えています。
「1分くらいの簡潔な話にまとめる」とか「長期目標と短期目標を織り交ぜる」とか、そんな感じだったですよね。
今でもそんなことやってるんでしょうかね? むしろ、今のほうがちゃんとやってるのかもしれませんね。
30年以上も昔の話なので、記憶がグズグズです。
サラリーマンになってからも、定期的な会議とかで部署ごとに「将来の展望と、今期の目標」みたいなのを発表させられる、みたいな儀式がありましたね。
僕は3年目くらいまでは、ちゃんとやってましたけど、次第にムニャムニャ言いながら逃げてましたけどね。逃げようと思えば逃げられる、ユルい会社だったんですよ。
問題は「いちいち将来の目標って、いる?」ということなのですよ。
なんだかんだと30年以上、社会人として生活してきて、そのうちの20年ちょっとはフリーランス。失敗したら、収入ゼロになっちゃう可能性もある身分で生きてきました。
僕の感想は「将来の目標。あってもいいけど、テキトーでいいんじゃない?」です。
むしろ「その時々で、気になったことに躊躇せずに手を出してみる」のほうが、のちのち身になったように感じるのです。
目標に縛られて「今はこんなことやってるフェーズじゃないから」と、やりたいことを見送るほうが良くないんじゃないでしょうかね?
実際、僕が社会人になってから「デザイナーになりたい」って言い出したのも、フリーランスになったのも、開業時に舞台公演のプロデュースをしてみたり、変な事業を考えてしくじってみたり、紆余曲折を経ながら、最終的に軸足をWebの世界に移したのも「ちょっとこれやってみたいな」に手を出し続けた結果なんですよね。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう)
「将来はフリーのWebデザイナーを生業にします」なんて目標、1回も持ったことなんてないのです。
だって、僕が大学を卒業して社会に出る時点で「Webデザイナー」なんて職業、存在してませんでしたもんね。
たとえば10年後の目標を設定する場合、今ある職業の中から選ぶのって意味ないのですよ。
だから、目標を設定してもいいけれども、突発的に思いついた「やりたいこと」を阻害しない程度にユルめに考えておくくらいが一番なんじゃないでしょうかね。
最近になって、将来の目標を意識し始めているのです
僕はこのブログ内で自分の年齢を「50代半ば」と書いています。
特に正確な年齢を隠しているわけでもなく、現在56歳なのですが、いちいち1年ごとに数字を増やしていくのもメンド臭いし「56歳」よりも「50代」の方がSEO的に良さそうかな? と思い、そうしているのです。
もう、明らかに人生の半分以上は過ぎているのですよ。
ところが、ここに来て少々「将来の目標」みたいなものを意識しはじめているのですよ。
前項で「テキトーでいいんじゃない?」などと書いたにもかかわらず、です。
おそらく、何かにチャレンジするパワーが衰えてきていることを自分で感じているからなのかもしれません。
なんとなく30代40代の頃とくらべて、これまでやっていなかったことを今日からやり始めるといった機会が減りつつある感触があるのです。
もう、ホワイトボードいっぱいに選択肢を書きなぐるようなことは、ないように思うのです。
「まだまだ若いもんには負けないぞ」という踏ん張りが利かなくなったような感じでもなく、快適な方を選んでいくと、自然とそうなっちゃうんですよね。まあ、加齢のせいってことなんでしょう。
そうすると、自分が歩むべき道がそこそこ狭まってきて、ようやく「将来の目標」的なものを設定する意味が見えてきたのかな? というのが、50代半ばのぼくの目標に対する目線です。
とはいいつつ、たぶんずっと「気になったから、試しにやってみる」をし続けるのだろうとは思うんですけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。