ソーシャル・ディスタンス。人との距離だけじゃなく
2020.05.04
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。最近、ちょいちょいネットから距離を取ることを意識しています。数十分とか、数分間PC前から離れることを意図的にやってるだけなんですけどね。自分が弱っていることを感じているのですよ。だから、自分なりにしっくりくる精神状態でいたいのです。
「弱ってるな」と感じています
「オレずっとリモートワーカーだったし、独りでものを考え続けるのが仕事だったから、あまり生活変わんないよ」と思っているし、このブログでも何度か、それふうなことを書いた記憶があるのですが「う〜ん、それでもアレか。弱ってるか」などと思い初めてますね。
僕は、弱ってるときには「自分が弱ってる」ことをちゃんと考えたほうがいいと思うのです。
そうすることで、ほんの少しだけユルまる気がしますしね。
そんなふうに考えられるときって、まだまだ元気なのですよ。
本当に弱り切ると、言葉も考えも頭の中に浮かんで来なくなって、横になって眠るしかなくなりますからね。
「ネットが緊張感を帯びてきたなあ」と思いますね。
ここ数日ってことじゃなくて、もうかれこれ四半期(3ヶ月)くらいかけて、ジワジワとですね。
攻撃的な言葉や、悪者を探し回る仕草にいちいち反応していると、こちらも疲れるので「反応するんじゃなくて、考えることに専念しよう」などと思っているのですが、それでも、なんだか妙に急かされる感じとか、困惑するほどの重苦しさとか、そういった念みたいなものが自分の中に残ってしまうのです。
ネットから距離を取ることも、大切かもしれませんね。
僕の場合、朝起きたらこうしてブログを書くのが習慣になっているし、決まったサイトを巡回して社会の出来事をチェックすることも日課なので、急に「ネットと接続されない生活」なんて、考えにくいのですけどね…。
それでも最近は、ダイニングテーブルでご飯を食べるようにしました。
20分でも30分でもネットから離れられますからね。
コーヒーもリビングのソファで飲んだり、ベランダの縁にカップを置いて立ち飲みしてみたり。
数分で構わないから、モニタに表示されているものを目にせずにものを考える時間を作ろうとしています。
これまでは、食事もコーヒーも、そしてお酒も、ずっとPCの置いてある作業台で、ネットと接続されたまま済ませていたのです。
いつの間にか「ちょっとネットから離れるか」と思ったら、意図的に工夫しなきゃいけないようになってたんですね。もう否応なく、生活の一部になっちゃってますからね。
ネットはライフラインって言っても過言じゃありませんもんね。
気がつくと、悩みながら食事をしています
いつも以上に「ちゃんとやらなきゃ」という気持ちが芽生えているような気もします。
実際は何もちゃんとやっていないのだから、そう思ってるだけなんですけどね。
そう思うことで、弱ってる自分と向かい合うチカラが残ってることを確認してるんでしょうね。
そんなことをしてるから、意味もなくバテるんですけどね。
そして、ふだん以上にいろんなことに敏感に反応してしまうのでしょうね。
ネット上とかで他人の攻撃性を感じて「イヤだなあ」と感じるのって、どこかしらで自分の中にも攻撃性が生じていることを認識しているからだろうと思うのです。
バテてるのは、僕だけじゃなくてみんななんですよね。
そして「こうすればいいよ」っていう解決策がどこにもないのがツラいのです。
前項で書いた「ネットから離れてみるか」は、「もしかしたら、こうするといいかもね」という、辺りを見渡してみて見つけたヒントのひとつでしかないのです。
「ちょっと試してみるか」程度のことなのです。
普段ならば「美味しいものを食べてみるか」とか「好きな人とお酒を飲みながら会話してみるか」とか「街に出てぶらぶらしてみるか」とかとか、いろんなことを試すことができるのでしょうが、なんせこんな時期ですからね…。
だからこそ「ちゃんとやらなきゃ」と思うし、そう思いながら過ごしていると、何かにつけ悩んでしまうのですよ。
気がつくと、悩みながら食事をし、悩みながらお酒を飲んでいるのです。
そのたびに「これ、やめよう」と思っています。
でも、切り替える先がないのですね。せいぜい「仕方ない、寝るか」くらいのもんです。
とりあえず、ゼロに戻そう
まだ1週間は経っていないと思いますが、朝ランをやめています。
いつも江東区の木場公園というところを走っているのですが、やたらとマスクをして走っている人が目につくようになったのです。
「このまま、ランナーも要マスクってことになるのか…。イヤだなあ」と感じてから、走りに出かけるのをやめました。
そのせいでモヤモヤが溜まってる感じはありますね。
僕はいっとき「ゼロに戻す」ということをよく考えていました。
セミリタイアしたり、いったん無職になってみたり、山口県萩市に移住を試みていたり。
ちょうど人生の転機だから、いったんすべてをリセットして、環境も仕事も人間関係も再構築しようと考えていたのです。
(参考:二周目の人生)
最近は、この感覚を毎日の生活の中にも求め始めているのですよ。
前項で「仕方ない、寝るか」という言葉で表現しましたが、なんとなくモヤモヤしている自分を切り替える先を1日中探し続けているのです。
たとえば、ベッドでさほど興味のないYouTube動画を観ながら(聞きながら)、寝落ちする瞬間のような感覚を探し求めている、みたいな感じでしょうかね。
あちこちにバラけていた自分の思考が、その瞬間だけは所定の位置に戻ってくるような感覚があるのですよ。
「なんだか、以前にもこんなこと書いたことあるぞ」と思い、過去記事を検索してみると、1年以上前の「準備作業としての、セミリタイアとか長期休暇とか」という記事で、
いったんゼロに戻す工程ってあるのですよ。
たとえば、お風呂掃除だったり、キッチンの片付けだったり。運動部経験のある人ならば、グラウンド整備とかコートのモップ掛けとか。
「やり終わった状態」ではなくて「やる前の状態」を作る工程ですね。
なんてことを書いていますね。
あらためて読み直してみて「まあ、そんな感じだな」と感じています。
「戻ってくる場所」でもあり「どこへでも行ける場所」を確認する作業ってことでしょうかね。
今こういう時期なので、自分がゼロに戻る場所を確認したくなる頻度が増えているのだと思います。
やさしい言い方をすると「しっくりくる精神状態」みたいなことですね。
とにかく、自分にまとわりついたいろんなバイアスを取り除いて、身体感覚だけの状態に戻してから1日を終える、みたいな感じです。
「ソーシャル・ディスタンス」なんてことを最近よく見聞きします。
人と人との距離を取りましょうということなのです。「それによってウイルスに感染するリスクを減らしましょう」と。
物理的な距離のことですね。
でも、それだけじゃなくて「自分自身と情報」だったりとか、自分の中で考えてる「アレとコレ」だったりとか、新しいものに接したときに向かいがちな「アッチとコッチ」だったりとか、いろんなものの距離感を意図的に整理しないと、気分良く暮らせない昨今だなあと思うのです。
後ろの二つは「ソーシャル」じゃないか……まあいいや。
どちらにせよ、早くなんとかならないものでしょうかね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。