follow hagi.life

セミリタイア人の自覚

2020.05.09

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ふと気づくと、自分がセミリタイア生活を始めていたことを忘れています。それだけこの生活に馴染んできてるってことなんでしょうけどね。反対に、あれだけ「長く続けてきた」と思っていた現役生活を「あっという間だったな」と思い始めているのです。

忘れるってことは、慣れてきたってことでしょうね

気付くと、自分がいまセミリタイアしていることを忘れています。

以前投稿した『「無職」って言っちゃうとウソになる。でも言いたいのです』で書いた通り、僕は2019年9月25日を「失業記念日」ということにしていますから、あれからもう半年以上が経過したんですね。

だんだん、仕事をせずにダラダラとしている生活に慣れてきたというべきか?

いま世間を騒がせている、新型コロナウイルス禍によって「セミリタイアのことなんて考えてる場合じゃねえぞ」ってことになっているのか?

とにかく、ここ数日間で「オレ、セミリタイア人だわ」って自覚したこと、たぶん数回しかありません。

ところで、あなたはいつごろ「新型コロナ、ヤベえな」って思いました? それとも「新型コロナなんて大したことないんだから、1日も早く経済活動を再開ずべきだ」派ですか?

僕は、世界中の株価が暴落し始めた、2020年2月下旬ころから「ん? こりゃただ事じゃないぞ」と思い始めました。
だって、自分のセミリタイア資金がどんどん目減りしていくんですもん。穏やかじゃいられませんよね。

経済活動に関しては、先日投稿した「思い思いでいいんじゃない?」という記事とも関連してくるのですが、あまり神経質にならずに自分の行動くらい各々で決めていけばいいと思っています。

とはいえ僕はセミリタイア中なので、経済活動しないんですけどね…。

セミリタイア人であることを自覚しなくなったことに話を戻しますね。

なんだか急速に「短い職業人生だったなあ」と感じるようになり始めてるのですよ。

このブログ内でもよく「社会人になって30年以上」とか「20余年のフリーランス生活」なんて書いています。
自分でも「長く働いたなあ、そろそろバテたからセミリタイアを」という印象をもっていたのですが、ちょっとね、印象が変わりつつあるのですよ。

現役生活なんて、あっという間だったな

仕事から離れてセミリタイア生活を始めると、だんだんと視点が変わってくるようです。

前項で述べたように、現役生活を短く感じるようになったのって、完全に過去の出来事に置き換わっちゃったからなんでしょうね。

逆に「これからのセミリタイア生活、まだまだあるなあ。長い道だなあ」と思い始めています。

かつては仕事を中心に、毎日の生活を組み立てていました。
暇な時期や、特に差し迫った作業がないときでも、緊急対応に備えてあまり遠出しなかったり、作業場でなんだかんだと、そのときにできることをコツコツと継続していたりしていました。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと

フリーランスといえども、あまり好き勝手にはできなかったんですね。
セミリタイアして、無職になることなんか考えもしませんでした。

過去に何回も書いていますが、僕がセミリタイアを選んだのは、自分自身で「焼きが回った」と感じたからです。
上手く言ってるときは、そんなこと考えませんよね。

セミリタイア生活に関しては、まだまだ始めたばかりですから、上手くいってるも何もないのですが、このまま20年くらい経過すれば「50代半ばから始めたセミリタイア生活、振り返ってみると短かったな」なんてことを考えるようになるんでしょうね。

そういうのを繋ぎ合わせていくと「人生は短い。あっという間だよ」ということなのかもしれません。

これからのセミリタイア生活、長そう

前述の通り、今は「これからのセミリタイア生活、まだまだあるなあ」と思っています。
現在の僕が50代半ば。健康年齢が70代半ばとして、まだまだ20年くらいあるんですよね。

僕がフリーランスになってから今までと、ほぼ同じ長さなので、入り口にいる今は「長い道」なのですが、終わってしまえば「あっという間」だということは、頭では分かっているのです。

ただ、セミリタイア人になってみたことで、ちょっとした違いは生じています。

うっすらと「余命」を意識し始めてるんですね。

決してネガティブな考え方ではありません。
「上手いこと、優先順位が変わるタイミングがやってくるものだなあ」という印象を受けています。

いっとき「生産的な趣味」とか「娯楽としての仕事」なんて言葉を使いながら、いろんなことを考えつつ、このブログにも記録し続けていました。
(参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)

僕にとっては、まだカラダもアタマも動くうちにセミリタイア生活に入ることが必須だったんですね。

当然、セミリタイア人になりたいと思ったときに実行するために、資産問題が解決されていることが前提です。
「焼きが回ったから、セミリタイアした」と前述しましたが、周辺業務として、いろんな準備行動は取っていたのです。

ひと口に「STEP 1、STEP 2」で説明することは困難ですが「オレは死ぬまでデザイナーなんだろうな」と「早いとこやめて好きなことだけして生きよう」がずっとアタマの中に同居していて、それらに折り合いを付けるために「資産形成しといたほうが良さそうだな」と思い始めた感じでしょうかね。

それも、ずっとじゃなくて間欠的でしたね。
「ときどきそんなことを考えることもある」って程度ですね。

そういう意味では、現役時代に仕事が上手くいってる人の方が、セミリタイア準備はしやすいのです。でも、そういう人は「ずっと現役で居続けよう」って思っちゃうんですよね。

反対に、仕事が上手くいっていない人ほど「セミリタイアしたいんだけども、お金がないんだよ」という状況に陥る…。

得てしてそんなものですね。

もういっかい、セミリタイア生活を妄想し直そう

僕はたまたま今、セミリタイア生活を始めていたので「そうだ。いろんなものの優先順位を入れ替えてる最中だったな」と再認識しているのですが、同時に社会全体が今回の新型コロナ禍によって、いろんなことを考え直すタイミングが来ているようにも感じます。

もしかすると、セミリタイア人も現役の職業人も、さほど変わらないような方向に向かってるのかもしれませんね。

僕がセミリタイア人になってやろうとしていた、

  • 田舎の一軒家に引っ越して他人との距離を取るよ
  • 毎日、好きな時間に好きなことをやって暮らすよ
  • 景色のいい場所で、気持ちのいい風を感じるよ

を、みんなが目指すようになるのかな? みたいなことをちょっと感じます。

そうなったらそうなったで、いろいろと楽しいことになりそうだな、と思うのです。

今なかなか物理的な移動が制限されているときなので、アタマの中でいろんな妄想を繰り返して楽しんで置くつもりです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。