テクノロジーは孤独を埋めるのか?
2020.05.12
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。またオンライン飲み会のことを考えています。こないだ誘いを無視したことを「悪いことしちゃったな」と、少しくらいは気に病んでいるのです。みんな孤独を埋めるために、いろんなことを試してるんだよねとか、これから先どうなるんだろうねとか…。
オンライン飲み会、なんでウザく感じるんだろ
先日「ウザいから、オンライン飲み会の誘いを無視した」という記事を投稿しました。そして最後には、
ここまで書き連ねてきたことを、最後でひっくり返すようで申し訳ありませんが「次は招待に応じてみようかな?」という気になってきました。
なんてことを書いていましたね…。
その後、誘ってくれた(僕が無視した)方から、またメッセージが来たのですよ。
「こないだは残念でした。僕ら、ちょくちょくやってますので、またお誘いします」と。
それに対し僕は「オレ、オンライン飲み会やらないから、誘わなくていいよ」と返したのです。
やっぱり「また誘われちゃうと、ウザいな」と思ったのですね。
「あ、そっすか。了解で〜す」みたいな感じでやりとりは終わったのですが、先日ブログネタにもしたこともあって、いろいろと考えていました。
僕、オンライン会議も、飲み会も、1回もやったことないのですよ。
傍から見ると「ワープロなんてダメだ。手書き文字こそが真心を伝える」なんて言ってた、30年前のオッサンと同じ感じで「オンライン飲み会、ウザいからいいよ」と拒んでいるように映ることでしょう。
僕がオンライン会議っぽいものに対して「なんか馴染まないな〜」と思うのって、YouTubeとかTVerとかで観る動画コンテンツの影響なのですよ。
オンライン会議用アプリって、もともとはリモートワーク用のツールだったのですが、ここに来て急速に広まったのって緊急事態宣言からの自粛要請が影響していますよね。
あらゆる対談や会議方式の動画コンテンツで、このツールが活用されているところを目にすることが多いのです。
そして、そういうコンテンツを観ながら「あ〜ウザいな。イライラするな。見づらいな」などと思っているのです。
会話だけでは、得られないもの
そのオンラインツールが、人々の孤独を埋めるために使われだして、「オンライン飲み会」という生活様式を産んでいるのですよね。
僕は無職なので、緊急事態宣言が解かれてもミーティングに出席する機会はそうそうないのでしょうが「オンライン会議なら歓迎します」というと思います。
むしろ、5年前くらいに周囲がこのオンライン会議ツールを使うようになっていてば、今のようにセミリタイア人になっていなかったかもしれません。
請け負う案件を減らしながら、地方で暮らすことをベストだと考えた可能性が強いのです。
僕をずっと東京に貼り付けていたのは「紙」と「会議」でしたから。
(参考:完全リモートワーク化のための手間)
そして「誰かがしゃべり、みんながそれを聞く」というルールが守られたまま進行していく会議や打ち合わせならば、このオンライン会議ツールは有効だろうと思います。
YouTubeなどの動画を観ていてイライラするのは、みんなが「我が我が」で喋りたがる、討論形式のコンテンツなのですよ。
「雑談」や「飲み会」なんかもこれに近いのですよ。
常に、話し手と聞き手に役割が分かれたまま、座が進行していくわけじゃありませんからね。
たとえば、5人の飲み会をするとしましょうか。
話題を順番に回しながら、5人がひとりづつ語り、それに対して意見があったり話を広げたいものが挙手をして割り込む、というふうにはなりませんよね。
テキトーに話しの腰を折ったり、他人の話に被せたり、爆笑オワリで話題が変わったり…。
ルールなんてあったもんじゃないのです。
2対3に分かれて話が進んでいながら、他チームの話をなんとなく聞きつつ、ちょっと気になったワードに反応してみたり。自分以外は興味のない話で盛り上がってるときは、相槌を打つふりをしながらずっとスマホをいじってたり…。
現実社会の居酒屋では、当たり前のように行われていることが、オンライン会議ツールを通すと、ガシャガシャになってしまうのです。
話題がないときに「なんかつまみ頼もっか」とか「これ食べた? おいしいよ」みたいな会話で間を埋めたり「トイレ言ったら、席の場所わからなくなっちゃってさ」みたいな、ちょっとした場を共有しているからこそ生まれる話題もなくなってしまうのです。
雑談とか飲み会って、会話だけじゃないんですよね。
これから先のコミュニケーション
話すときの物理的な方向性って、重要な情報だったりしますよね。
たとえば、そこにいるAさんの方を向かずに、Bさんに向かって「こないだAさんが、乗ってきた自転車がさ…」みたいな話し方をすると「Aさんの自転車に興味があるんだけれども、Aさんとサシで話したいんじゃなくて、共通の話題にしようと思ってるんだよ」みたいな意思表示になったり。
僕たちは、同じ場にいて会話をすることで、いろんな会話以外の情報をやりとりしてたりするんですよね。
雑談やら飲み会の面白みって、そういうところだと思うのです。
そして、それらが孤独を埋めてくれるものなような気がするのです。
前述の通り、僕はまだオンライン飲み会をしたことがありません。
でも、オンライン会議ツールを使って制作された動画を視聴して、なんとなく「これはストレスかかりそうだな」と感じているのです。
人々が孤独を埋めるために「これだ。オンライン会議ツールを使って飲み会を催せばいいじゃない」と考えることに異存はありませんが、何にでも向き不向きがあるように「これは、オレには不向きだな」と思うのです。
ならば、上手に孤独を楽しむ方向に向かったほうがよさそうだぞ、と。
ただ、これから先も突然、新しい感染症が登場して「人と人との接触を避けましょう。家の中にいましょう」ということが繰り返されると考えておくべきでしょうね。
今回の新型コロナは、なんとなく「そろそろ解禁かな」という気もしていますが、将来的には1年以上、もしくは「ワクチンが完成するまで2年間の自粛生活もしくはロックアウト」というときがくるかもしれません。
冒頭で引用した「ウザいから、オンライン飲み会の誘いを無視した」でも書きましたが、オンライン会議ツールは、だんだんとリアルな人間同士の雑談や飲み会にも対応できるようになって来るんでしょうね。
僕も何年かしたら「飲み会? 終わったらすぐ寝たいから、オンライン参加でいい?」なんてことを言っているのかもしれません。
そして、リアルなコミュニケーションのハードルがちょっと上がるのかもしれません。
オンラインで何度か会話してみて「信頼できるから」「楽しいから」「もう少しいろんな感覚を得たいから」……だから直接リアルで会って、時間と場所を共有したい、と。
どれだけオンラインツールが高機能になっても、誰かと一緒にいたいという気持ちを失うことはないように思うのです。
そして逆に「とりあえず、お会いしてご挨拶だけでも」という儀礼は失われていくと思うのです。
これは、とても良いことだと思います。
◆ ◆ ◆
違う。「オンライン会議(飲み会)やったことない」じゃなかった…。
以前、ある「知恵を出し合いましょう」的な会議に呼ばれたとき、モニタの中に福島の漁師さんとかがいたことあった。そうだそうだ、思い出した! だからどうってワケでもないんですけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。