SNSを使いこなす日は、やってくるのか?
2020.05.27
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。僕としては、付かず離れずくらいの距離感が一番いいような気がしています。ずっと「SNSを使いこなせるようにガンバロ」とは思っているのです。傍で見ている分には構わないのですが、どうもあの諍いを探し求めているような感じに馴染めないのです。
Twitterのアカウントを3つ持っています
以前「facebookを使うのをやめた理由」という記事を投稿したことがあります。
タイトルの通り、ほぼfacebookを使っていません。
とはいえ、完全にアカウントを消したわけではなく、ときどき友達申請が来れば対応するし、ときどき開いてみては、上の方にある10コくらいの「友達」の投稿に「いいね!」を付けてみたり、何より電話番号もメールアドレスもLINE IDも互いに知らなくて、メッセンジャーでしかやりとりしていない人もいるので、なんとなく残している感じです。
もう、名刺交換をした人の名前で検索して友達申請しようとしたり、他人の投稿にコメントを付けたり、その場で対話を始めようなんてことは、いっさいしていません。
僕にとっては、そのくらいの距離感がちょうどいいのです。
以前は、あまりにも不快な投稿が多かったり、くだらないメッセージを送ってくる人は鬱陶しいので、友達から外したりブロックしたりしてたのですが、最近は「ミュート」という機能を憶えたので、少しは快適になっています。
それと、オンラインのステータスをオフにすることも最近知りました。
僕、1日中PCでブラウザを開いているのですが、facebookのサイトを開いたページをタブを固定していたのですよ。メッセージが来たら、対応しなきゃいけませんからね。
まったく見ないのに常時オンラインになってたんですね。
そりゃ「こいつ暇なんだろうな」と思われて、暇つぶし相手に選ばれますよね…。
だから、時々くだらないメッセージが来てたんですね。
まあ、facebookのことはどうでもいいのです。今日はtwitterについて書いてみようと思います。
僕は、twitterアカウントを3つ持っています。
「本名」「匿名サブ」「萩ドットライフ」です。
本名のアカウントは、もうほぼ使っていません。
一応、リアルで付き合いのある方々と相互フォロー関係になっていたりしたのですが、みんなあまり使わないし、僕もちょっとしたtweet内容から、いろいろなことを詮索されたり、いちいち「どうしたの、大丈夫?」みたいな連絡が来るのが鬱陶しいので、いつの間にかログインしなくなりました。
「萩ドットライフ」は、このブログを開設するにあたって作ったアカウントです。
「ちょっとでもブログのアクセス数を増やすことに寄与できればな」と思って作ったのです。
毎日、ブログ記事を投稿するたびにtweetしていますから、一応「毎日使ってる」ということになってますね…。
今「もっとちゃんと使いこなしたいな」と思っているのは、このアカウントです。
だから、ときどき思いついたように、どうでもいいようなことを呟いて(tweetして)みたりしています。
気が向いたときだけですけどね。
でも、常時監視しているのは「匿名サブ」アカウントなのですよ。
僕がtweetすることは、ほぼないのですが、政治家だったり、言論人だったり、ニュースサイト、企業アカウントなどなどをフォローしていています。
「社会で起こってることを収集するため」という位置づけにしているアカウントなのです。
そこで見かけたtweetから、このブログネタを着想したりもしています。
東日本大震災のときには、地震や防災に詳しい人をフォローしてたし、今は医療関係者や防疫に一家言ある人のフォローが増えていますね。
そして、知らない人同士の言い合いや罵倒の仕合いがタイムラインを埋め尽くしがちなのも、このアカウントです。
世間の諍いに関しては、傍観者でいるくらいが良いのです
もともとは、最初に作った本名のアカウントだけで運用していたのですよ。
文字通り「腹減った、コンビニ飯イヤだから、どっか食べに行く」とか「起きたら夕方だった、1日損した」みたいな、どうでもいいことを、文字通りつぶやくだけの使い方をしていたのです。
それがいつの頃からか「フォロワー数多いほうが影響力ある。偉い。優れてる」みたいな価値観が蔓延し始めた頃から様相が変わりだし、全然知らない人が自分のtweetにケチつけてくるようになったり、普段温厚な知人が、ずっと社会や政治に対する文句ばかり言ってたりする姿が目につくようになったりしてきたのですよ。
それで「とりあえず、世相をなんとなく大づかみするために、情報収集ようのアカウント作ろう」と思って作ったのが、匿名アカウントなのです。
おそらくですね、普段ならば会うはずのない人どうしがコミュニケーションできることがSNSのよきところだと思うのですよ。
住んでる場所だったり、生息している領域だったり、社会階層だったりね。
まったく違う立場から、同じ話題について語るから、自分にはない視点を得ることができたり、思考に幅を追加できたりするのだろうと思うのです。
ただ、同時にうんざりするほどバカバカしいトラブルも頻繁に起こるのですよ。
そういう中に自ら身を置いて存在感を示すことが「フォロワーを増やすコツ」なのでしょうが、まあメンド臭そうですよね…。
僕は、傍観者でいるくらいがちょうどいいと思っています。
うんざりした気分でタイムラインを眺めているのに、なぜか目が離せなくなったり、別のことをしていて「そういや、あの諍いどうなったんだろ」と気になる程度には、自分の野次馬根性を満たしてくれるんですよね。
ちょっとした依存性を感じますね。
そして、自分がフォローしている人たちにもよるのでしょうが、なんとなく今、自分に関係のない世界において話題になっていることや、問題視されていること、向き合うべきことなどが提示されてきます。
一見、自分から情報を取りに行ってるようにも思えますが、実は向こうからやってきてるんですよね。
そして、年を追うごとに、なんだかやけに怒っている人が多いツールになってきましたよね。
僕が、そういう人々を選んでフォローしているからなんでしょうけどね。
どうしても、社会の出来事をインプットしようとすると、自分の正義を声高に叫んでいる人が目につくものなのでしょうね。
SNSを使いこなす日…。ちょっと遠いかな
このブログと連動しているアカウント「萩ドットライフ」は、とても穏やかなアカウントです。
なんとなく「セミリタイア勢」と「資産運用勢」「地方生活者勢」で構成されているのかな?
天気の良さを喜んだり、市況の上げ下げにちょっとコメントしたり、スーパーで見かけたオバチャンの態度に腹を立てたり、なんだか初期のtwitterの振る舞いが、そのまま残っているような感じがします。
その分「目が離せない」ようなトピックは流れてきませんので、1日中監視するようなことにはなりませんけどね。
でも、みんなが狭い場所にひしめき合って「自分こそが正義だ」「お前なんてクソだ」と声の大きさとか、飛ぶツバの量を競うような空間よりもはるかに快適だと思うのです。
おそらく、延々と攻撃対象を探しながら、twitterをし続けている人々は、自分自身で「こういうの、精神的によくないなあ」と分かってるんじゃないでしょうかね?
傍から見ていると、他人に絡んでいってる人に限って「絡まれた」って表現していますから、どこかしらで「自分は好まないのだけれども」という、言い訳を作っているような気がします。
自分に言い訳をする程度には「良くない感じ」を認識しているはずなのです。
前項でもチラっと書きましたが「依存性」みたいなものがあるんでしょうね。
「結局、スッちゃうんだけどね」と言いながら毎日パチンコ店に開店前から並んでいる人のような、娯楽と、習慣と、依存が混ざりあったような、そんな状態にあるんじゃないでしょうかね。
このブログで何度も書いているように、僕はいま無職だから暇なのですよ。
(参考:余白を作るために、無職になったはずだったじゃん…)
同時に「ちゃんとSNS使いこなして、フォロワー数増やすことにもチャレンジしたいな」「Twitterとか好きになると、暇つぶしになっていいのかな」なんてことを思わなくもないのです。
いったいどうしたもんかなあ? などと考えてみるに、僕はSNSではないものに楽しさを求めたほうが、幸福そうな気がしているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。