無職になったら、月日が経つのが早すぎる
2020.06.17
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。無職になって、もう9ヶ月が経過しようとしていますが、なんだか月日が経つ感覚が早まったような気がしているのですよ。その原因を考えているのですが、職業人と無職では成果の質が違っていて、それに馴染めていないのからなのかな? と思うのです。
なんだかんだと、忙しく感じるのです
「もう土曜日かよ」とか「今日、通院日じゃん」とか、とにかく月日の巡りが早いのです。
そういえば、先週の土曜日にも「もう土曜日かよ」と思ったし、前回の通院日も同様でした。
僕はもう50代半ばのオッサンなので、もともと「月日が経つのが、どんどん早くなるねえ」と、毎年のように、人と会うたびに、話題がなくなるたびに言っていたものなのですが、無職になってからそれが加速したように感じています。
そろそろ無職になってから9ヶ月。4分の3年が経とうとしているのですが、なんだかあっという間でした。
「フリーに曜日は関係ないっすから」とか言いながら、クライアントからも広告代理店からも電話がかかってこない週末を実は楽しみにしていたのだなあ、などと思い出すこともあるのですが、はるか昔のできごとのような気がします。
思い起こしてみれば、無職になる前は「オレもうすぐ無職になるんだ。そしたら、ああして…、こうして」みたいなことばかりを考えていました。
無職になったら「山口県萩市に古民家を買おう」とバタバタし、萩で古民家を買ったら「東京のマンションを売ろう」と、あれやこれやを準備しはじめ。
(参考:他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました)
そして、東京のマンションを売却する段取りをつけ始めた頃に、緊急事態宣言が出され、社会全体が動きを止めてしまいました。
振り返ってみると「無職だ。ヒマになったぞ」と言いながら、次から次へと「やるべきこと」と向かい合ってたのですよね。
なんだかんだと、頭の中を忙しくさせていたのです。
そして、東京のマンションを売却することが決まった今「引っ越しだ」「法人の移転登記だ」「いつなにしよう?」などと、なんやかんや考え続けているのです。
(参考:東京のマンションに買い手がつきました)
傍からみれば、昼間っからブラブラしてるヒマなオジサンにしか見えないはずなんですけどね。
とにかく、月日が経つのが早すぎるのです
僕は5週間に1回、通院しているのですよ。
常用している、血圧をやら、コレステロール、尿酸値を下げる薬と、睡眠導入剤をもらいに行きつつ、定期的に血液検査をしてもらったり、ワクチンを打ってもらったり、気になってる変化を伝えたりしています。
事務の人とも、近所で開業している薬局の人とも顔見知りなので「あと数回しか通えないな」と、ちょっとさみしく感じています。
そういう意味では、近所のスーパーとかコンビニとか、マンション内で挨拶を交わす人々もそうなんですけどね。
そういうのって、長く一緒に案件を進めてきて「そろそろ完売だ。完売処理が終わったらクローズだね」みたいな感覚ににてますよね。
仕事ならば「打ち上げ、する?」「今回のメンバーは、要らないんじゃない?」みたいな話を、誰からともなくし始める場面だったりしますよね。
「月日が経つのが早すぎる」って話に戻しますね。
無職になったら月日が経つのが早く感じるようになって、非常事態宣言で周囲も動きを止めたことでさらに拍車がかかったのです。
これって、どういう現象なんでしょうね?
無職になった方は、さほど多くないでしょうから「そんなの知らねえよ」なのでしょうが、多くの方が非常事態宣言下でStay Homeされていたのでしょうから、同じように感じられた方も多いんじゃないでしょうかね?
僕は以前「無職はつらいね。まだ1ヶ月目だけど」という記事を投稿しています。
人間だれでも、慣れない状況に置かれて、慣れない日々を過ごすようになると、いろいろと気忙しく動いちゃうものなんですよね。
普段の何にもないときには「長期休暇が取れたら、しばらくボーッとするぞ」なんて思ってるのですが、いざ本当に暇になってしまうと「アレやろう」「コレ観よう」と、結局忙しくしがちだったりするんですよね。
職業人と無職では、成果の質が違うのです
無職にしろ、Stay Homeにしろ、これまでよりも暇になったに決まってるのに、どういうわけだか忙しく感じたりするのですよ。
1日にやることはたいてい決まってるし、そりゃ家を売買したり、移住したりするような大イベントの真っ只中ではありますが、数ヶ月間もずっと何かをやってるワケじゃありませんからね。
概ねボーッとしていて、必要なときに必要な分だけ忙しくすりゃ済むことなのです。
おそらく…。なんとなくの予想でしかありませんが、暇なときにやることって、これまで職業人としてやってきたことと、成果の質が違うのですよ。
前述の「無職慣れ」みたいな話に戻りますが、この成果がわかりにくくて「結局、なんにもできてないな」と思いながら、時間ばかりが過ぎていく感覚になってしまうんじゃないでしょうかね?
だから「断捨離」とか「片付け」「掃除」「洗濯」「布団干し」みたいな、小さな成果が見えやすいものに取り組みがちなのでしょうね。
そして、輪をかけてバタバタした毎日になっていく、と。
もしかすると、東京を後にして萩に完全移住すると「これでなんとなく、ひとつの成果を得たぞ」という気になれるのかもしれません。
これからは、ゆったりとしたインプット/アウトプットを繰り返していくのかな?
職業人だった頃の「案件受注した」「ローンチした」「クローズした」「報酬もらった」みたいな、分かりやすい成果じゃないものと向き合いながら生きていくんだろうな、という気がしています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。