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「タダでもやります」は、いろいろとNG

2020.06.27

こんにちは、萩ドットライフ()です。

発注者とのコネを作りたかったり、自分の意気込みをアピールしたかったり…。いろんな理由を元に、仕事を「タダでもやります」って言いそうになっちゃうことってありますよね。でもそれ、ダメなのですよ。仕事において、報酬と責任はセットなのです。

結局「これだけお金ください」ってことは「その分、責任持ちますよ」ってことだし、「タダでやります」は、その逆だということだろうと思うのです。
まずは、これが基本形なのですよね。

ところが現実には、仕事を発注する側、請ける側の思惑がいろいろと交錯して、ひと言では言い切れない状況がたくさん発生するものなのです。

やる気のアピールとしての「タダでやります」

まず思いつくのが、フリーランスになったばかりのデザイナーなんかが、発注者とのコネを作りたくて、
「私にも何かやらせてください」
「まずは経験が必要なのです、ノーギャラで構いません」
みたいなパターンですよね。

僕がフリーランスになった直後、何度この言葉が口から出そうになったことでしょう。
仕事がなくてお金がなくて、困り果てていた当時の僕にとっては、とにかく実績が欲しかったのですよ。その実績をもって受注の糸口としたかったのです。

「タダでもやります」という言葉も、やる気の表明として使うつもりでいました。

以前投稿した「何歳になってもコンプレックスを克服できない」でも書いたように、ちゃんとしたデザイン教育を受けてないことを負い目に感じていましたから「まず、オレの仕事ぶりを見てくれよ。組むか組まないかは、その後で決めてくれてもいいから」みたいな気持ちもあったかもしれませんね。

今から考えると、ちょっと傲慢な感じもします。

そのときに、思い出した言葉が「タダでやるってヤツは、責任持たないヤツなんだよ」って言葉です。
もう僕が20代くらいのときに聞いた言葉なので、誰がどんな場面で言ったのか、うろ覚えなのですが、かなり前に投稿した「リーダーの仕事」で登場する、

「社長の仕事なんて、メシとゴミの心配くらいしかないんだよ」

って、僕に言ってくれた小さな広告代理店の社長だったように記憶しています。

仕事として請けるからには、それなりの責任を持たきゃいけないし、途中で逃げたくなっても、どうにかこうにか踏ん張ってやりきらなきゃいけないんですよね。

その対価が報酬なのですよ。

「タダでもやります」は「途中で放棄するかもしれません」と宣言しているに等しいのです。
それを口にすることは、プロである発注者に対して、とても失礼な行為なのですよね。

とはいえ、現実的には「タダだ。出世払いでいいよ、餞別だと思っとくれよ」みたいなことも、あるっちゃあるんですけどね…。

発注者側がクソなケースも多いですよね

僕がフリーになったばかりの頃に、のど元まで出かかった「タダでもやります」という言葉を飲み込んだ理由のひとつが、ワリとクソな発注者を見かけることが多かったからなのですよ。

ある程度、食えるようになると概ね視界から消えたので、おそらく僕のポジション取りが下手くそだったということなのでしょうね。

「まずはクライアントに気に入ってもらうことが大切だから」
「うちの仕事をやれば、あなたの宣伝になる」
「大きな仕事を発注する前に、ちょっとこれ手伝ってくれない?」

みたいな感じで、軽微な作業を無料でやらせようとしたり、もしくは法外に安い価格を提示してきたりなんていう場面に一度や二度ならず出くわしました。

こういうのって、おそらく事業会社を経営もしくは従業している方々にも分かりやすいと思うのですよ。

たとえば、延々と「サンプル」を要求し続ける人とか、「親会社で採用されれば、下請けも右へ倣えだからさ」みたいなことを言いたがる人、多いですよね。

そんな感じだと理解していただければ、差し支えないと思います。

こういう人々がいつまでも存在し続ける理由には、やはり前項で紹介したような「やる気を見せるため」「コネを作るため」に「タダでやります」って言ってくるプレイヤーが後を絶たないからなのでしょうね。

このパターンに関しては正直、ちょっとお付き合いしたこともあるのです。
タダじゃありませんけどね。

零細企業とか小さな商店が、中堅企業や大企業と同じような予算をかけて印刷物やWebサイトを作れるはずもなく、クライアントのストーリーとか思い入れを伺った上で「予算内で、できるところまでお付き合いしますよ」という折り合いの付け方をしたことは何度かあります。

でも「大きな仕事に繋がります」って言ってきた人の中で、本当に大きな仕事を持ってきてくれた人は、ひとりもいませんでしたね…。

そんなもんです。

結局「タダでやります」は、ダメなのです

別に、自分自身を格付けしているわけではないのです。
プロには、それを名乗るにふさわしい責任と報酬がセットで付いているものなのですよ。

どうして無職になった今、こんなことを思い出したり考えたりしているのかというと、この先、山口県萩市に移住したあとも「元Webデザイナーだった」ということから「ちょっとお願いできない?」という話に発展しそうな可能性も無きにしもあらずだな、と思っているからなのです。

思い過ごしだったり、過剰な自意識のせいであれば、それで幸いなのですが、少なからず思い当たるフシがあるのです。

当然、事業規模だったり目的によって報酬もそれに見合ったものを要求することになるのでしょう。
「東京でのクライアント○○社では、この金額でやってました」が通用しないことは重々承知しています。

その依頼を請けることで、僕にとっても新しい体験をする機会を得られたり、経験値が上がることにも繋がるのだろうなあ、とは思います。

ただ、せっかく東京を離れ、山口県萩市へと住環境をガラっと変えるのに「なんだかんだで、東京にいたときと似たようなことをやってます」という着地の仕方はイヤだなあ、と思うのです。
せっかく無職になってまで、新しい環境を手に入れようとしているのに…。
(参考:風通しの良い場所へ、見晴らしのいいところへ

そんなことを考えていると、ふと、気のあった人、応援したい人に対して「趣味の延長で、タダでやってやるよ」だったらアリかなあ? などと考えてしまったのですよ。

その考えを打ち消すために、この記事を書いています。

上に『現実的には「タダだ。出世払いでいいよ、餞別だと思っとくれよ」みたいなことも、あるっちゃああるんですけどね…』などと書いてますが、この状態に至るまでには、それなりの人間関係とか付き合いの歴史があった上でのことなのですよ。

「いい人と思われたい」とか「これを武器にコミュニティに加わりたい」とかいう気持ちで「タダでやるよ」という気持ちになってはならないのです。

ときどき「○○社は、そんな軽微な作業で請求なんてしてこなかった」とか「△△さんは、xx円でやってくれた」みたいな言い方をする発注者がいます。

そういう話って必ず、価格を下げようとする場面で持ち出されるものなのですよ。

「あの人は○○万円の見積もり出してきた。高いと思ったけど依頼してみたらサイコーだった。あなたもそうなりなさい」みたいな文脈で語られることって滅多にありませんよね。

みんな「サクッと安価で依頼できる人」と「ここぞというときに高額報酬を積む人」って分けて考えてたりしますからね。

「タダでやります」「安くやります」は、市場も荒らすのです。
とりあえず僕は、今やってないことは環境が変わってもやらないようにしようと考えています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。