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観光の習慣がないので、東京の名所にも行ってない…

2020.07.05

こんにちは、萩ドットライフ()です。

名所や旧跡、著名な建築物、話題のお店などなどを積極的に散策してみようという欲求に欠けているのですよ。どうやら好奇心を向けるポイントがそっち方面じゃないみたいです。長年、東京で暮らしましたが、東京の名所をまったく訪れていないのです。

観光下手なのです

予定では、あとふた月もしないうちに東京を離れて、山口県萩市に移住することになっています。

ときどき「萩人になる」よりも「東京人じゃなくなる」ことを強く考えることがあるのですよ。なんとなく、ちょっとずつ頻度が高まってるような気もします。

前の引っ越しのときもそうだったかな? 江戸川区から江東区への近距離移動でしたけど、住環境が変わるときって、そういうことを考えがちなのでしょう。

それよりも、東京と萩の双方での「あれしなきゃ、これやっとかなきゃ」に頭を支配されてるときのほうが多いんですけどね。

僕は、東京に38年くらい住みました。そのうちの15年くらいは千葉県民だったのですが、千葉都民エリア(東京に通勤する人たちが暮らすところ)だったので、丸めて「東京」ってことにしています。

気付いてみると、僕はほとんど東京の観光地を訪れたことがないのですよ。

当然、浅草には行ったことがありますし、東京タワー付近を歩いてたこともあります。
皇居周りも何度タクシーに乗って通ったことか…。

でも、浅草寺を参拝したことはないし、東京タワーに登ったことも、歩いて二重橋を訪れたこともないのです。

いっとき「スカイツリーができたね、行ってみるか」などという話をしていたこともありますが「混んでるんだってさ、そのうち空くだそうから、そしたら行ってみよう」なんてことを言ってて、それっきりですね。

僕の所有しているマンションは、江東区の清澄白河という街にあるのですが、そこから東京タワーもスカイツリーも見えるのですよ。

まあ、さほど有り難みはなくなりますよね…。
ときどき「こうして毎日見てるけど、1回も登ったことないんだよな」なんて思うことはありますけどね、思うだけです。

そうやって考えていくと、いわゆる「名所」とか「観光地」と呼ばれるところの近くには行ってたり、なんとなく外から「ああ、これがあれね」みたいな感じで眺めたり、あとから「こないだのあそこ、有名な場所なんだってよ」と教えられるという経験は、数え切れないほどあるのですが、そういうところを観光目的で訪れるということがないのです。

これたぶん、僕の性分ですね。
観光という行為に、さほど心を動かされないのですよ。

せっかくの名所、見なきゃ損。ですか?

これ、僕が大学進学で上京するまで暮らした、山口県萩市時代でもそんな感じでした。
萩って観光地なのですよ、名所旧跡の多い街なのです。

当然、松陰神社にも、東光寺、高杉晋作誕生地、萩城跡などなどなど、多くの名所に何度も何度も行ったことがありますが、おしなべて「子供の遊び場」として訪れてるんですよね。デートもどきみたいな感じだったり。

田舎は「今度いっしょに○○行こ」の○○に当てはめるものが少ないのですよ。
なので、街なかにたくさんある、名所旧跡も○○の候補になり得るのです。移動手段は、自転車か徒歩でしたし。

もしかしたら、小学校のときに校外学習的なものがあったのかもしれませんが、記憶に残っていません。

これまた有名な「秋吉台」なんかは萩市ないじゃありませんし、車がないと行くことができません。
学校の遠足と、父親に連れられて何度か行ったくらいです、これはなんとなく「観光」な感じがしますね。

よく「萩・津和野」と、ひとくくりの観光コースになってる島根県の津和野に初めて訪れたのは、30代になってからです。
僕が会社員をやめてフリーランスになるときに、ひと月の長期休暇を取って萩で生活していたのですが、そのときにドライブデート半分・観光半分みたいな感じで行きました。

そのときは「大人になってから、生まれた街を再度観光地として見直すのもいいものだなあ」などと思っていたように憶えてるんですけどね…。

それをきっかけに観光熱が高まった、なんてことは特にありませんでした。

昨日投稿した「田舎に住むメリットなんて、なくていいんじゃないかな」で書いたことにも通ずるのですが、なんとなくその場を訪れてみて、気持ちがいいとか、心落ち着くみたいな感じになるのは好きなのです。

でも「せっかく来たんだから、見なきゃ損、行かなきゃ損」「みやげ話にもなるし、写真も撮ろう」みたいな感じが苦手なのだろうな、と思っています。

おととしの秋から2年弱続いた、東京と萩の二拠点生活でも、一度も萩の名所巡りなんかはしませんでしたね。

実家の近所に松陰神社という有名な観光地があるのですが、そのすぐ側に「郡司鋳造所」という、僕が萩で暮らしていた頃にはなかった「名所」が新設されていたので、そこは散歩がてら「なんだ、これ?」と訪れたりもしてみましたけどね…。

東光寺も萩城跡も、ランニングの途中にちょっとだけ寄ってみたりはしました。
僕が観光地を訪れるのには、なんかしらの「がてら」が必要なんですね。

そのうちまた来るだろ

これまでの人生で何度か「こんなんじゃダメだな」と思ったことあります。

「清澄白河にお住まいなんですか、清澄庭園いいですよね〜」
 「いや僕あそこ、前はよく通るんですが、中に入ったことないんです」

「萩のご出身なんですか、送り火と迎え火、どっちがどっちでしたっけ?」
 「東光寺と大照院っすよね。僕もどっちがどっちか知りません」

みたいなことが、ときたまあるのですよ。

僕の知識不足とか、あまり観光に気乗りしない性格のせいで、先方がせっかく見い出してくれた話の糸口をブチ壊しにしてるみたいで申し訳なく思うんですよね。

出かけた場所で、かつ、ものすごく暇を持て余してたらホテルのフロントで「このへんに旧跡名所的な場所ってあったりします? のんびりできる公園でもいいんですけど」みたいなことを聞いたりはします。

でも「旅の栞」でも制作しそうな勢いで「やれ観光だ、それ観光だ」って気にはならない質(たち)なんですよね。

ましてや、自分が暮らしてるところだと「そのうちいつか、行く機会もあるだろ」と、ないがしろにしてしまうのですよ。

なんとなく、近隣のことを調べたりはしますので、いちおう知ってたりはするんですけどね。

それよりも、買い物をする場所だとか、ちょっと寛げそうなお店、気分良さそうなランニングコースなどの方に関心は向いてしまいますよね…。

そんな感じで、長年住み慣れた東京を後にしようとしています。

「ならば、残された期間で都内の名所旧跡を巡ってみようか」などという気はさらさら起らず、「そのうちまた来ることもあるだろ、東京だもん」くらいに考えているところです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。