金を払ってるから、関心を持つのです
2020.07.24
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。お金を払うと、どうしても元を取りたくなるものなのですよ。その対価として商品やサービスを受け取るのは当たり前として、知識やら体験も得ようとしてしまう質(たち)なのです。もしタダでやってもらうと、そういう気にはならないように思います。
地方移住には、お金がかかりますね
東京から山口県萩市まで、2LDK規模の引越しをすると、20〜30万円程度のお金がかかっちゃうんですよね。
引越し業者を選定したときの話は「引越し業者を選定しました。最安を避けた理由」という記事にして投稿していますので、関心のある方はお読みください。
僕は今、15年ぶりに引越しをしようとしています。
38年ぶりに萩市民になろうとしてるのです。
なので普段体験しないようなことを体験していますし、それなりにお金もかかっています。
元より「生活コストを下げるために地方移住を」と考えての行動ではないので、そこそこのコストを要することは覚悟の上だったのですが、正直「思ったより、お金が要るものだなあ」という印象は否めません。
引越しの他にも、マンションを売却したので仲介手数料とか、古民家を購入したので移転登記費用とか、最低限の設備更新のための費用とか…。
(萩の古民家は空き家バンクを経由して購入したので、仲介手数料はかかっていません)
とにかく、いろんなことにお金がいるのです。
ただ、こういうときって新しいことに興味を持つチャンスなのですよね。
たとえば不動産仲介業者の業務なんて、普段興味を持つことなんてありませんもんね。
こういうときだから「こういうことって売主である自分が調べなきゃいけないの? それとも仲介業者にアレンジを依頼すべきことなの?」と、いろいろ調べたりしますよね。
みなさん、どうなんでしょ?
「安からぬお金を支払ってるんだから、丸投げして当然でしょ」とお考えの方もおられるだろうな、とは思いますが、僕は細々(こばごま)と自分で調べる質(たち)なのです。
調べて得た知識をひけらかしながら「ネットにこう書いてあった」などと言う気はさらさらありません、クライアントが中途半端な知識をひけらかしながら、いちいち進行を止めてくるパターンのやっかいさは身にしみて解かっていますからね。
でも逆に仕事の受発注がきっかけとなって、クライアントがこちらの仕事に興味をもってくれて知識を増やしてくれることが、ちょっとした会話や判断の潤滑剤になってくれるような、ウレシイ場面も体験しているのです。
お金を払うことの効能
お金を払っているのだから「元を取りたい」というワケではありませんが、せっかく当事者として関わることができる分野にまったく興味をもたないというのも、なんだかもったいない気がするのです。
逆に、誰か親切な人がすべてをタダでやってくれたら、そこまで興味をもつことなんかないと思うのですよね。
僕は以前『「「タダでもやります」は、いろいろとNG』という記事を投稿したことがありますが、同様に「タダでやってもらう」ことにも批判的だったりします。
もちろん何かの商品やサービスを注文・依頼するときに価格を気にしないわけではないし、積極的に交渉もしますが、知識もないくせに「高い、高い」言いながらディスカウントを迫るような態度を取ることを潔しとしません。
なんとなく「満足できる」と「諦めきれる」の間にコスト・パフォーマンスが納まっていればオッケーかな? くらいの感じでしょうかね。
最終的に「なんだったんだ、あのヤローは。クソっ」という結末を迎えることも皆無ではありませんが、受発注関係ができると互いになんとなく信頼関係みたいなものが生じますよね。
その信頼関係を選んだ自分を「間違った選択をしていない」ことにしたいのですよ。
だから、選んだパートナーが信頼に足る人物・会社だったことを証明したくて、いろんなことを調べてみるし、疑問や不満があったり理解の齟齬を感じたら、積極的にコミュニケーションを取りたくなるのです。
そうすることで、それまで興味のなかった分野に対する知見がちょっと深まるし、他人がやってる「仕事」を好きになったりもするんですよね。
ちょっとだけ、味がしてくるのです。
たぶんこれが「お金を払うことの効能」ですよね。
新しいことに向き合う稽古
ふだん関わることがない、他人がやってる仕事に対して関心を持ったり、ちょっとだけ知識を増やすことが何か得になるかというと、そんな機会はめったにやってこないはずなのですよ。
でもなんとなく感じているのは、これからの自分の人生を考えたときに、今までと同じ考え方、行動様式でこなせるものばかりではないということなのです。
役に立つかどうかは謎だけれども、普段の自分と違う思考様式や分野の知識を取り入れなければならない場面はきっとやってくるはずなのです。
そのための稽古みたいなもんでしょうかね。
これまで関わったことのないものって、少々気が重かったり、メンド臭かったり、僕がいま体験しているように複数と向き合わなければならなかったりするものなのですよ。
そんなときに「せっかく金を払ってるんだから、興味持ってみるか…」みたいな感情って、背中を押してくれるんですよね。たぶん、そのときだけでしょうけどね。
一度やっとくと、次からは「関わったことのないこと」ではなくなるので、かなり楽になるはずなんですよね。
あくまでも「そういう機会が来れば」ですけどね。
よく「転勤族」って言葉を聞きますが、そういう人たちって、僕よりもはるかに引越しの手際がいいはずなのですよ。僕が使えていない頭を使えているはずなのです。
今回、引越しでなんやかんやと苦心していますが、また次にそういう機会がないとも限りません。
引越しそのものではなくとも「これ、こないだ体験した引越しに似てるかもな」ということと向き合うことになるかもしれません。
そんなときにちょっとだけ自分を助けてくれるとウレシイな、と思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。