がっつりと、ひとりごと
2020.07.30
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。大きめの声で、しっかりと長時間ひとりごとをいうクセがあるのですよ。フリーランスになって、自分ひとりの作業場を確保してからはじまったクセだと思います。ここ数年は、外を歩きながらもやっています。アタマが整理されて、なかなかいいのです。
よくひとりごとを言います
以前も、このブログのどこかで触れたかもしれませんが、僕は同じ空間に他人の気配がすることにストレスを感じるのですよ。
もちろん会議に出てくれと言われれば、出席して自分の役割を果たすことくらいはできるし、宴席に誘われれば、その時間は楽しく過ごすことができるのです。
メンバーにもよりますけどね。
(参考:飲み会を「つまらない」と思うようになった理由)
ただ、何かに集中したいときとか、反対に完全に脱力したいときに、視界に他人の姿が見えるとイヤだし、他人がカサコソ音を立ててるのも気になるのです。
「仕事中だから、静かにしなきゃね」と息を潜められるのも、それが気になって仕方なかったりします。
だから、フリーランスになって、ひとりの作業場で働くようにしたのは大正解だったんですね。
「独立してちゃんと食えるようになるヤツなんて、ひと握りだよ」とか「あんたが考えるほど、世間は甘くないよ」みたいなことをいてくる人はいたし、そこそこ当たってたようにも思いますが、僕にとっては、なによりも他人の気配がしない空間で働けることを求めていたのです。
独りで働ける環境を手に入れたからなのか? もともとそういう質(たち)だったのか? その辺の順序は謎なのですが、僕はよくひとりごとを言います。
おそらく、あなたが想像されるのは「何だよチクショー」とか「そうだそうだ、忘れるところだった」などの自分に対する相槌みたいな感じじゃありませんか?
僕のひとりごとは、そういう口からポロっとこぼれるようなヤツではなくて、明瞭な言葉で長々と語るのです。
我ながら、そうとう気持ち悪いですよ。
僕は長らくフリーランスのデザイナーをしていました。
黙ってPCに向かって、手を動かしたり、複数のバリエーションを並べて眺めて、アタマの中であ〜でもなこ〜でもないと考えていればそれなりに進んでいく仕事なのです。
それでも上手く集中できなかったり、思考が堂々巡りをはじめると、ひとりごとを言い始めるのですよ。
アタマの中にあるものを、もうひとりの自分に対してプレゼンする感じです。
場合によっては、iPhoneのボイスメモを起動して、録音するときもあります。
聞き直しはめったにしません。
「さ。録音開始」というアクション自体が大切だったりするのです。
他人に聞かれると、バツが悪いですよね
いつしか、朝ランのときにもこれをやるようになりました。
走っているときには呼吸が激しいので、アタマの中で考え事をしているだけなのですが、いつもの8kmコースを走り終わったあとに10分程度、ひとりごとを言いながらウォーキングしています。
一応、周囲に気は配っているのですよ。
前から人が来ているときとか、他人と並行して歩いているときにはできるだけ声を発しないようにしています。
冒頭で「同じ空間に他人の気配がすることにストレスを感じる」と書きましたが、道を歩いてたり公園にいるときに他人の気配がしても、ほとんどの場合は何とも思いません。
ただ、問題なのは僕を追い抜いていく人なのですよ。
ひとりごとに集中していると、後ろから人が来ていいることに気づかなかったりしますからね。
たぶん「このオッサン、がっつりひとりごと言ってる。気持ち悪っ」と思われていることでしょう。
でも最近は、耳掛けのヘッドセットで電話しながら歩いてる人もいるので、僕自身が思うほど気持ち悪さはないのかな?
他人に目撃される、ということに関していえば、僕の作業部屋はマンションの共用廊下に面しています。
サッシにはペアガラスが入っているので、閉めていれば外には聞こえないはずなのですが、それでも春秋の風が心地良い季節は、窓を全開にしたまま過ごしますよね。
当然、無意識にひとりごとモードに入るし、そこに同じ階にお住まいの方や、管理人、様々な業者の方々を通りかかることになります。
「あそこの部屋の人、よく誰かとしゃべってるな」と思われてるんじゃないでしょうかね。
朝ラン中と違って、作業場でひとりごとモードに入ると、長いときには1時間近く喋ってたりしますからね。
僕なりの思考が止まったときの解決策なのです
このように、そうとう気持ち悪いクセを持っているのですが、ひとしきり喋り終わると、なかなか頭の中が整理されているものなのですよ。
とくに資料に目をやることもなく、思いつくままにダラダラとしゃべるし、ときには巻き戻してやり直しをすることすらあるのですが、そういうことをすると、それまできちんと認識できていなかったキーワードや言い回しが出てくるんですよね。
逆に、思いついていたコンセプトワードを実際に発声してみたら、ものすごくカッコ悪かったり…。
当然考えてなきゃいけなかったことがスッポリと抜け落ちてて、まともなストーリーに仕上がっていなかったり…。
その後、再び手を動かし始めたり、調べごとや思考を再開すると、なかなかアタマがスッキリとしているし、スピード感も上がった感じがするのです。
僕はいま無職になっています。
なので、以前ほどアタマをブン回す必要にかられることもなくなったのですが、このひとりごとのクセは抜けませんね。
気がついたら、こうしてこのブログでよく書いているようなことをしゃべっています。
たぶん、思考が止まって前に進まなくなったときの自分なりの解決方法として確立しちゃってるんでしょうね。カッコは悪いですけど、まあ仕方ありませんよね。
ただ、調子が悪いから思考が止まってひとりごとモードに入るのか? それとも、ひとりごとは「はずみ車」みたいなもので、それをやりながらどんどん調子を上げていっているのか? は、自分でもよく分かっていません。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。