15年間暮らした、東京のマンションを退去しました
2020.08.18
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「東京暮らしも、このマンションでの生活も、これで最後か」なんて感傷、エアコンの撤去とともに吹っ飛びました。とにかく「暑い! この場を立ち去りたい」「涼しい場所に逃げ込みたい」そんな、なんの味わいもない東京都民として最後の日でした。
真夏に引っ越しなんかするもんじゃないね
昨日「きょう僕は、山口県萩市に移住します」という記事を投稿しました。
僕はだいたい4時・5時台に目が覚めますので「そうだ、引越し屋が『当日はあまりエアコン使わないで』って言ってたな」などと思いつつ、エアコンを止めて窓を開けて扇風機を回しながら、
「この部屋から見る大手町方面のビル群も、共用廊下に出たら見えるスカイツリーも見納めかあ」
「入居したときは、こんなにビルなかったし、スカイツリーもなかったんだよな」
「湾岸方面のタワーマンションもめちゃくちゃ増えたよなあ」
なんて、少々感傷に浸りながら書いた記事だったんですよね。
でも、投稿してた直後くらいから状況が変わりはじめました。
夜明けとともに、ぐんぐん気温が上昇し始めたのです。
朝7時の時点で天気アプリ上での気温がすでに30℃を超えていたのですよ。室内はもっとあったんじゃなかったでしょうかね?
温度計付きの時計はすでにパッキングしていたので計れませんでしたけどね。
「こりゃたまらん。エアコン回さなきゃダメだ」と、1台だけ回すことに。
昨日投稿のブログで書いた、
ベッドをバラし、クローゼットからすべてのものを出し、ダンボールに詰められるものはパッキングし終え、エアコンを切って扇風機を回しながら引越し業者の到着を待っています。
なんて状態は、せいぜい3時間程度のものでしたね。
扇風機を「最強」にしても、水シャワー浴びても、どうにも我慢できなくなりましたもん。
エアコンの撤去とともに、名残惜しさは吹っ飛びました
引越し業者が到着したのは、8時半くらいでした。
「営業さんに『エアコン止めといてね』って言われてたけれど、回しちゃってますよ。この気温ですもんね」と告げると「ぜんぜんオッケーっす。この暑さでエアコン使わないとかムリっすよね。大丈夫、取り外し業者は慣れてますから」という力強い言葉をいただき、そのまま搬出作業を進めてもらっていました。
電気工事業者が到着したのが9時くらい。
「この気温なんで1台回しちゃってますよ。これ最後に外してください」と告げつつ、使用していないエアコンから撤去してもらうことに。
で「じゃあ、この使ってるやつも止めて外しちゃいますね」と、いうことになったのが、10時過ぎくらいでしたでしょうか…。
案の定、エアコン内部の水が漏れて水浸しになってましたけどね…。
それまでは、どんどん搬出されてガランドウになっていく我が家を眺めつつ、
「こんな風景見るの、入居以来15年ぶりだなあ」
「家具置きっぱなしにしたところ、結構焼けちゃってるもんなんだな」
「なんだかんだいいながら、住みやすくていいマンションだったよなあ」
などと感慨にふけっていたのですが、エアコンがすべて撤去されて気温が上昇し始めると、状況は一変。
窓を締め切っ状態で作業を進めていたし、扇風機も早々に運び出されていたのですよ。
窓を閉るのは、室内に設えた養生が風であおられて外れちゃうからなんですね。
そこからはもう、灼熱地獄ですよ…。
業者のスタッフが汗だくで家具をパッキングしたり、搬出作業をしている横で、ひとり扇いだり、ベランダで涼むわけにもいかず、僕も汗だくになりながら荷物がなくなったところを片っ端から掃除機がけ、拭き掃除、収納内部の再点検と、テキトーに仕事を見つけつつ邪魔にならないように動いていました。
その頃には、
「これで、このマンションともお別れかあ」
「生まれてはじめて買った家…」
「フリーになって、やっと仕事が回り始めたことのシンボルだったんだよなあ」
なんて感傷は一切なくなっていました。
「なんだよ、搬出作業いつまでかかるんだよ」
「仲介業者、鍵を引き取りつつチェックに来るって言ってたよな、早く来いよ」
「あれ? 東京ガスと水道局、メーターチェックに来てねえぞ」
「1秒でも早くここを立ち去りたい」
「早く涼しい清澄白河駅に向かいたい」
という気分に…。
明け方くらいまでは「最後にマンション内をグルっと1周まわって、フロントのお姉さんにも挨拶して、それから駅に向かうかな」「記念に写真も何枚か撮っとこうかな」なんて思ってたのですが、そんなことはすっかり頭から消えていました。
何の味わいもない、東京最終日でした
スケジュール上、仕方なかったのですが「真夏に引っ越しなんかするもんじゃない」ってことですね。
あらかた搬出作業が終わった頃に、仲介会社の担当者がやってきました。
しばらく世間話をしたり、各部のチェックをしているうちに搬出作業が終わり、すべての鍵を渡しつつ、引渡し日の現金の流れを再打ち合わせし、そそくさと「ではこれで…」と逃げるように、15年間暮らしたマンションを後にしました。
もう、暑さに耐えられなくなってたんですよね。
おそらく、仲介会社の担当氏も口には出さなかったけれども「なんじゃこれ、たまらん」と思ってたはずなのですよ。
シャツ、汗でビショビショになってましたもん。
僕も鍵を手放した以上、マンション内に残る意味もありませんでしたしね。
思い出作りなんて、頭から消え去っていましたし。
僕らがマンションを後にしたとき、引越し業者はまだ、共用部分に設えた養生を撤去している最中でした。
汗だくのTシャツのままサブエントランスを出て、清澄白河駅に向かい、駅でしばらく涼んで汗を引かせたあとに、トイレで着替えました。
朝までは「最後はメインエントランスから出よう」なんてことも考えてたんですけどね…。
それが11時半くらいだったでしょうかね。
予約していた飛行機は15時15分発のANA697便。
「これから4時間弱、どうすんだよ」ってことのほうが気になりはじめていました。
その日の朝までは「ランチは清澄白河でとろう。入ったことのないあの店にしようかな」なんてことも考えていたのですが、とにかく炎天下を歩きたくない…。
「TCAT内のマクドナルドでいいや」と半蔵門線で水天宮に移動したら「もう、いっそのこと羽田まで行っちゃおう、そしたら荷物預けて身軽になれるし…」という気分になり、フライトの3時間前にはもう羽田空港におりましたとさ…。
何の味わいもない、ただひたすら暑さと戦い、暑さから逃げ回った東京最後の日でした。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。