落ち着いたら落ち着いたで、次のことを
2020.09.21
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ずっとバタバタしていたあれやこれやが、ようやく落ち着いたような気がします。目に見える景色が秋色に変わりつつあるという、心理的効果もあるんでしょうけどね。でも落ち着いたら落ち着いたで、次のあれやこれやを考え始めてしまう性分なのですよ。
自分の起こした変化に戸惑っていた数ヶ月間
前庭にも裏庭に数本の木が植えられている家を買って、引っ越してきて。
裏庭の向こうには、他家の竹やぶ(竹多めの雑木林)が広がっていて。
だから1日の大半を過ごす作業部屋を、裏庭に面した場所に設定して、ずっと1日中裏庭と竹やぶを見ていられる環境で暮らしています。
思い出してみれば、1階の窓を開けたら地面が見えるところで寝起きするのは、社会人になったばかりのときに借りてそのまま10年間住み続けたアパート以来なので、ほぼ四半世紀ぶりなんですよね。
地上何メートルかわからないけれども、ベランダからは遠くのビル街しか見えない東京のマンションよりも、季節を感じやすいことは間違いありません。
入居してきたときよりも茶色みを帯びていたり、少し勢いがなくなりつつある視界の木々を見て「このひと月で、いっきに秋に向かい始めたな」と感じています。
約38年ぶりに、生まれた街・山口県萩市に住民票を移してから、ひと月が経過したことも相まって、
「なんだか、落ち着いちゃったな」
と感じているのです。
考えてみると、すべては自分で「いったん無職になって、積み上げてきたものをゼロに戻そう」「田舎に転居して、生活全般を再構築しよう」などと思いつき、実際に行動しはじめたからなんですよね。
もともと僕は、さほど変化を好む質(たち)ではありません。
静かに、同じ毎日を淡々と繰り返しているほうが快適なのです。
せっかくフリーのデザイナーとしてメシが食えていたのですから、そのまま行けるところまで行くほうがラクに決まっていたのですよ。
人間誰しも、ひとつのことで一生収入を得られるわけありませんから、どこかしらで引退勧告を受けることにはなったのでしょうけどね。
四半世紀前に「サラリーマンであることをやめて、フリーになろう」と思ったときもそうなのですが、ときたま変化しない自分に苛立って、行動したくて仕方なくなるときがあるのです。
そうなったらそうなったで「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」って、毎日がガシャガシャすることに耐えられなくなったりするんですけどね…。
実際に無職になったのが、去年の9月。あれから1年が経過しましたが、その間ずっとそんな感じでした。
(参考:「無職」って言っちゃうとウソになる。でも言いたいのです)
「予定通り、無職になった。さあ萩で住む家を買うぞ」から始まって、東京のマンションを賃貸運用するのか? 売却するのか? を決めなきゃいけないし、決めたら今度は退去して空き家にしなきゃいけない。
当然、萩の家も買ったままじゃ住めないので、設備の改修工事を依頼しなきゃいけないし、当然引っ越しに伴う事務作業もあれやこれやと発生するのです。
自分で「こうしよう」と決めたくせに、そういう状況に陥ると軽くパニックになるのですよ。
というか、この1年間くらいずっと間欠的にパニックになり続けていました。
それがここにきて、ようやく落ち着いたような気がしているのです。
お金を稼がない生活って、ドキドキするんですよね
前項で「無職になって1年間」って書きましたけれども、当然ながら人生初体験でした。
当然、親の庇護下にあった子供〜学生時代は含めませんよ。
もちろん前もって、
- 今このくらいの資産があって
- 毎月、このくらい使うし
- 何年後には年金受給できる
- たぶんあと30年後くらいに死んじゃうでしょ
みたいな計算はしているのですよ。
大雑把な皮算用としては「4,000万円持っていて年利4.4%で運用する。毎月20万円ずつ取り崩せば、30年後にゼロになる」という計算をしています。
(参考:セミリタイアと資産運用)
住む家があって毎月20万円使えるならば、贅沢はできないけれども死にゃあしないでしょ。
しかもこの20万円は「手取り」とほぼ等しいのです。
正確には運用益に課税されますし、最低限の社会保険料は納める必要がありますから、完全なる手取りではないんですけどね…。
これをベースとして考えて、それを越える資産とか、セミリタイアの「セミ」の部分の労働収入、そのうちやってくる公的年金の受給といった部分に関しては、完全に生活を豊かにするための資金として使うことができるのです。
「油断は禁物だけど、まあ大丈夫でしょ」くらいの見込みはあるのですよ。
でも実際に収入がなくなると、ものすごくドキドキしますよ。
普通預金口座から、お金が減り続ける一方の生活に馴染んでいませんからね。
ましてや僕は、フリーランスになった直後にご飯に塩をかけて食べるような赤貧を経験していますからね、どうしてもそのときのことがフラッシュバックしてくるのですよ。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう)
この状態に馴れるのにも数ヶ月かかりましたかね。
これに関しては、新型コロナ禍の影響もあります。
みんなが「たいへんだ、仕事できなくなっちゃった。案件止まっちゃった」って騒いでるころ「結果的に、対コロナの準備してたのと同じ効果を得られたな…」と、感じていました。
パニックになってる方々には、心苦しいんですけどね…。
現時点でまる1年間、ひと月の収入がひと桁万円で暮らしてみました。
この数字にさえ慣れたら、あとは落ち着いたものです。
落ち着いたら、安心感を得られたはずなんだけど…
ようやく、僕が考えていたセミリタイア生活が始まったような感覚でいます。
このブログで書いているように「自動車の運転免許取らなきゃ」とか「早くDIYを開始するタイミング決めなきゃ」とか、いろいろと積み残しはあるのですが、いったんはここで「はあ、落ち着いたな」と、ただただ現状を噛み締めています。
「しばらくの間、このまま怠けていたいな」と感じています。
バタバタと次の行動を起こすのが、億劫なのですよ。
ただ、どうしてもいろんなことを考えてしまうのですよね。
「この家は断熱が貧弱だから、冬はツラいぞ」とか「自転車生活だと、雨の日に買い物行けなくて不便じゃん」とか、次から次へと考えてしまうのですよね。
せっかく「落ち着いたな。ひとまず安心だ」という感覚を得たのに、自分の内から次々と打ち消してしまうんですよね。
そうして次から次へと「やるべきこと」を作ってしまうのですよ。
そういう性分だから仕方ないんですけどね。
繰り返しますが、僕は大して変化のない淡々とした生活が好きなのですよ。
だから、そういう生活を構築すべく努力したり、行動したり、ときには自分で決めた「やることリスト」に追いかけまさされながらも、自分が望む状態にたどり着くのですが、そうなったらそうなったで、次のことを思いついてしまうんですよね。
あまり考えても仕方ないので、結局は成り行きで進めてしまうことになるんですけどね。
とりあえず今日は、庭いじりをしないことに決めました。
いっとき、このブログで盛んに触れていた「生産的な趣味」についても、あれやこれやと考え始めています。
(参考:定期的に「生産的な趣味」について考える)
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。