自分の監視から、逃れられない
2020.09.24
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。無職になって1年が経ったのですが、なかなか自分で自分を監視する感覚が抜けないのですよ。リモートワーク(テレワーク)時代のクセですね。ただ、そのおかげで自分と向き合う時間を多く作って、チカラを蓄えることができているようにも感じるのです。
自分を監視する自分
リモートワーク(テレワーク)が染み付いてしまって、上手くサボれなくなってるという、お話を。
僕は過去、四半世紀にわたって在宅勤務をしていました。
自分で会社を持って、自分ちを「本店所在地」として登記していたのです。
いわゆる「ひとり親方」というスタイルです。
なので、最近の新型コロナ禍で急速に広まり始めたリモートワーク(テレワーク)とは、ちょっとスタイルが違いますけども、リモートワーカーっちゃあリモートワーカーだったのです。
僕はいま「ほぼ無職」になって東京を離れ、山口県萩市に移住しています。
ほぼ無職というのは、あるWebサイトの運用業務が残っていて、毎週1回だけ5分程度稼働しなければならないことと、法人を所有しているので、それの事務作業から逃れられないのです。
それ以外の時間は無職なので、ずっとサボっていてもいいのです。
サボるために無職になったのだし、サボりやすい環境を得るために田舎暮らしを始めたのです。
田舎で暮らし始めたら、それはそれでいろんな「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」があるし、ちゃんと向かい合ってやり始めたら、それなりにいろんなことが前に進むことは分かっているのですが、当面いまはサボることを優先したかったはずなのですよ。
それが実際「さあ、サボりましょうか」という段になっても、なかなか上手くいかないのです。
四半世紀の間、ずっと「家が仕事場」という感覚でいましたからね。
事実、萩の家に引っ越してきたあとのブログを読み返しても、パソコンを置いてブログを書いたりYouTubeを観たりして過ごす部屋のことを「作業場」って書いてますしね。
どうしても、そこには「働く自分」と「監視する自分」がいることになっちゃってるんですよね。
そういう感覚が染み付いているのです。
さすがにもうセルフブラック化するようなことはありませんけどね、それでも「やるべきこと」を並べ始める自分がいるんですよね。
(参考:「セルフブラック」の功罪)
「その前はどうだっけな」と、在宅勤務者になる前のサラリーマン時代のことを思い出してみるのです。
おそらくその頃は、自宅って仕事のことを考えなくていい場所だったような気がするんですよね。
その代わり「シャンプーが切れちゃってるな」とか「台所のスポンジが汚い、ありゃもうダメだ」みたいなことに関しては、かえってその頃のほうがよく気づいてたような気もするんです。
四半世紀も前のことですから、相当あやふやですけどね。
「在宅勤務で生産性向上!」も良し悪しですよ
今回の新型コロナ禍で多くの方がリモートワーク(テレワーク)を体験することになって、その評価をアンケートした結果、なかなかポジティブに捉えられていたという記事を目にしました。
ブックマークしておかなかったので、どこで見た記事だったかは覚えていません。
もしかして、YouTubeで誰かがしゃべっていたのかもしれません。
概ね「20〜40代の方々にとってはポジティブ」。
「実際に顔を合わせないと、細かいニュアンスが伝わらない」とか「同じ場所にいないと一体感がない」みたいな意見を言ったのは主に50代・60代、ってことになっていたように思います。
「まあ、そんなところだろうな」と感じました。
余談ですが僕は「リモート会議って、そんなもん要る?」と思っています。
もちろんブレーンストーミングみたいに、誰かが言ったことをヒントにして「それがアリなら、こういうのも楽しいんじゃん」みたいなパス回しを延々と続けながら思考のステージを上げていくような「会議」もありますから、決して全否定してるワケじゃありませんけどね。
僕、結局リモート飲み(ZOOM飲み/オンライン飲み)に1回も参加しませんでした。
現場のノリだかなんだか、急に「部屋番号:xxx/パスワード:xxx。待ってるし」とか送ってくるのもウザいし、なんで、せっかくみんながバラけて自由な時間を作れるようになってるのに、わざわざ時間を拘束し合おうとするんだ? と思うのですよ。
(参考:ウザいから、オンライン飲み会の誘いを無視した)
すでに無職になっていた僕は、1回しかリモート会議に誘われませんでしたけど、なんとなく「それ、時間を共有しながらやる必要ある? メッセージやチャット、メールなんかの非同期のほうが効率良くない?」という会議が多いんだろうな? ということは簡単に想像できますよね。
僕が誘われた唯一のリモート会議は「リモート会議を試してみたいんですが、参加します?」でした。
「いいえ、興味がありません」と答えました。先方からは「ですよね…」と。
本論に戻すと、多くの人にとって在宅勤務によって作業効率は上がると思っています。
「調整型の人がいる」とか「ムードメーカーの役割を担ってる人が…」みたいな意見もあるのでしょうが、それも「別に同じ場所にいる必要ないじゃん」ってことなんですよね。
ただ、前項で書いたように、在宅勤務が上手くハマる人って、自分で自分を監視できる人なんですよね。
僕は在宅勤務が可能な時代だからこそデザイナーになれたし、それでメシも食ってこれたと思っています。
フリーになった初期の頃は、メールやチャットよりも、FAXとバイク便でしたけどね。
それと、電話での会話も多かったし、フットワーク軽く要所々々で打ち合わせにも行ってたな…。
プリンターも持ってたし。
今から考えると「セミ在宅勤務」みたいな感じだったのかもしれません。
それでも、昼前くらいから深夜まで事務所に詰めててときには寝袋で泊まったり、近所のカプセルホテルで仮眠したり。
その上、他人にかかってきた電話も取りながら作業している同業者とくらべると、ずいぶん恵まれてると思ったものです。
結局は「セルフブラック」に陥ることになるんですが、セルフブラックって嫌々なるもんじゃないですよ。
喜んで、自分からそういう状態になってるんです。
寝る時間もないほど仕事がやってくる状態が、嬉しくて仕方ないのです。
カラダを壊しますけどね…。
だから「オレ在宅勤務に向いてる」ってのも良し悪しなのです。
他人のことばかり考える自分にならなくて、助かってるかも
自分を監視する自分の存在って、いつまで続くんでしょうね?
考えてみると、これはいいことなのかもしれないのですよ。
あまり他人のことに気が行かなくて済みますからね。
前々項で「在宅勤務者になる前のサラリーマン時代のことを思い出してみた」と書きましたが、サラリーマン時代には他人のことばかり考えていたような気がするのですよ。
もちろん「この先輩のような社会人になりたい」とか「この人の仕事の仕方を盗みたい」みたいな、ポジティブな「他人のこと」もないわけじゃありませんでしたけど、ほとんどはネガティブな感情ですよね…。
「経営者に先見性がない」「上司の言ってることがピント合わない」「取引先の能力不足」「顧客が身勝手」などなどですね。
とにかく自分のことは棚に上げて、他人のことばかり考えてましたね。
そのうち「社会が悪い」「政治が悪い」「誰々が何々してくれない」みたいな「オレがそんなこと考えてなんになる?」みたいなことまで考え始めることになるのですよ。
「そんなことより、目の前の課題を突破しろよ」ってことなんですけどね。
そうやって、自分以外のことばかり考えてるときって、他人がバカに感じるんですよね。
ちゃんと理屈を積み重ねて「他人はバカ」って結論に至るんじゃなくて、「他人はバカ」と感じることが快楽になっちゃってるんですよ。
これがですね。あくまでも「僕の場合は」ですけどね。
自分で自分を監視するスタイルになってから、ぐんと他人のことを考えることが減ったのですよ。
そりゃ他人の悪口を言わないわけじゃありませんよ。
でも「自分ひとりで自分の仕事をやる、しかも監視者は自分」って体制だと、ひとしきりクライアントだ代理店だの悪口をさんざん言ったあとに「でもオレがやるしかねえんだよな。さ、はじめるか」ってフェーズに着地せざるを得ないのですよ。
結果、他人のことを考える時間がどんどん減っていくのですよ。
「せっかく無職になったのに、自分のことを監視し続けてる自分がずっといる。イヤだなあ」と思いながらこの記事を書き始めたのですが、こうして書いている間に「結局はそれが自分と向き合う時間を増やしてくれていて、チカラを蓄えることにつながってるのかなあ」などと感じるようになってきました。
まあ、先は長いのだからテキトーにやります。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。