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人生の転機は、日々の暮らし方の変化から

2020.10.05

こんにちは、萩ドットライフ()です。

自分でもこのブログ内で「人生の転機」なんて言葉を使ってたりするのですが、思い返してみると「この日を境にガラっと考え方が変わった」なんて経験はないのです。日々の暮らし方に変化があって、それを繰り返しているうちに訪れるものなのですよね。

人生の転機って、どういうことでしたっけ?

そういえば僕もこのブログで、あまり深く考えずに「転機」なんてタグを付けた記事を投稿してたりしているのですよ。

ふと「転機って、どういうことだっけ?」って考えてみたのです。

ググってみると、

転機(読み)テンキ(デジタル大辞泉の解説)
他の状態に転じるきっかけ。「人生の転機」「一つの転機を迎える」
出典:転機とは – コトバンク(2019年10月05日現在)

って、ことらしいです。

なんとなく「思ってた通り」な感じですね。
ものすごく簡単に言うと「変わる」ってことなんですよね。

よく「人生を変えた1本の映画」みたいな表現をするじゃないですか。
「1冊の本」でも「1曲」でもいいし、「恩師」だったり「友人」「ライバル」みたいに人との出会いだったりするかもしれません。

進学だったり、職業選択、恋愛、結婚、引っ越しみたいな、状況の変化にも「人生の転機」要素って含まれてますよね。

ただ僕、これまで50年以上生きてきて「ある日突然、雷に打たれたように人生が一変した」なんて出来事に巡り合ったことなどないのですよ。
でも、あとから思い出してみたり、ときには現在進行中でも「たぶん今が人生の転機なんだろうな」と感じたことはいくつかあります。

おそらく「人生の転機」って、価値観とか考え方やモノの見方が変わるよりも先に、日々の暮らし方が変わってくるんじゃないでしょうかね?

たしかに日々の生活は変わりました

「剣先スコップ」「片手鍬」「熊手」「脚立」「剪定鋏」「レジャー鉈」…。
他にもいろいろありますが、これらが山口県萩市に移住してからのひと月半で買い揃えたものです。

「汗をかいたから」よりも「泥だらけになっちゃったから」で洗濯機を回す機会の方が増えています。

勝手口にゴム引き軍手置き場が常設されました。

常時いる場所(=作業場)を裏庭に面した3畳の板の間に決めたこともあり、常に裏庭の様子を見ているのですよ。
視界いっぱいに広がる緑と、裏庭の向こう側に広がる竹林を抜けて吹き込んでくる風、ずっと耳に聞こえる虫や鳥の鳴き声が心地よかったからこの部屋を作業場に決めたのですが、ずっと裏庭の変化が気になって仕方ないのです。

「クローバーの数、増えてきてるな」とか「なんか大きい芽が出てるぞ」とか「そろそろ落ち葉を集めて焼かないとな」などなど、常に庭に関心を寄せてるのですよね。

当然、家の表側にも庭はあって、当然こちらのほうがメインなのです。

表庭は、木の数を減らして植栽エリアを狭めようと画策中です。
なので「自分で抜ける木」を選んでひとつひとつ抜根(ばっこん)作業を進めています。

いずれは、業者に依頼して、一部を駐車場化するつもりなのです。

大きな木の剪定も、先月の始めくらいまではまだ「他人の趣味」感が残っていたので、少し遠慮気味に鋏で落とせる程度の枝を切りそろえるだけだったのですが、最近は太い枝を根本(ねもと)から切り落とすような処理をしています。

おかげで裏庭の小屋は切った木でいっぱいです。
枯れるまで待って燃やすまで、作業は終わりじゃないんですよね。

この辺は、この家を買うことに決めたときから悩んでいたことなのですよ。
(参考:他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました

いまだに「業者に依頼して、一気に処理してもらうとスッキリするんだろうな」と「自分の手で形を整えながら、時間をかけて決めていこう」のせめぎ合いは続いています。

正直、東京のマンションで暮らしていた間に「土に触れたこと」「生の木を切ったこと」なんて皆無でした。
日常生活で、しかも自宅で、靴や衣類が泥だらけになるなんて考えもしなかったことです。

萩に移住してから明らかに、見るもの、嗅ぐもの、触るもの…。生活上インプットされる、いろんなものの感覚が変わってきていることは間違いありません。

後から振り返ってみると…

人生が変わったか? と自問してみれば、まだその感触はありません。
でも、日々の暮らし方が変わったことは間違いありません。

土の表面からピョコと出ている芽の形をみて、どの程度のちから加減で鍬を振り下ろせばいいのか? 下に球根が隠れている種類ならばざっくりと深く振り下ろすし、広く根を張っているタイプなら浅めに地表を撫でるように振り下ろす。

なんとなくそんな知恵がついてきたし、落ち葉焚きピットで物を燃やすときにも、着火させるタイミングで燃やすもの、火力が強くなってから放り込むものの区別も付くようになってきました。

そして、そういうものに向き合うことが自分自身、楽しくなっているのです。

本来の目的だった「古民家再生をDIYでやりたい」からは、遠のいているのか、はたまた「外側から攻めている状態」なのかは、なんとも判断できてませんけどね…。

「日々の暮らし方が変わる」ということは、毎日の生活の中で起こる当たり前のことが変わるということなのですよ。
今の生活をこのまま続けていれば当然「人生変わったよ、萩への移住が人生の転機だったな」ってことになるのだろうと思います。

ようやく自動車学校の入校手続きをしました。
「通う生活」がはじまります。

毎日どこかへ「通う」なんて、いつ以来だろう? サラリーマンだったころ(=ほぼ四半世紀前)ぶりなんじゃないでしょうかね?
そういや、フリーランスになったことも明らかに「人生の転機」でしたね。

毎日どこか決まったところへ、決まった時間に通わなくなるって、割と大きな日々の暮らし方の変化でしたからね。
当然「月給がなくなる」とか「受注から回収、納税まで全部自分でやらなきゃ」とか、いろいろとインパクトの大きな事象に巻き込まれますので、当然そのときは進行形で「人生の転機」を感じてましたけどね。

でも、こうして後から考えてみると「通う生活ではなくなる」っていうちょっとした暮らし方の変化が、ずいぶんと自分自身の形を変えてくれたように思うのです。

なんとなく「人生の転機」って、日々の暮らし方が変わって、それが連続することで成り立つんだなという考え方で間違ってなさそうですね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。