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タバコ吸いたいから、ひと息入れない? が、なくなってる

2020.10.08

こんにちは、萩ドットライフ()です。

めっきり、街中でタバコを吸ってる人に出会わなくなりましたねよ。新型コロナ禍の影響で他人に会ってないということもありますし、着々と分離も進んでいますからね。だんだんとタバコのことを考える機会すらなくなってることに気がついたのです。

久々にタバコを吸ってる人々を見た

「おっ、こんなところにいたのか」と。

新型コロナウイルス禍の声を聞いて、すでに半年以上経過していて、もうそろそろ1年が経とうとしています。

フリーランスのデザイナーだったので自宅にこもって作業をしていることが多かったし、そこそこオッサンと認識されるような年代になってからは、つまんなそうな飲み会への誘いを「行きません」と断ることに躊躇しなくなっていたので、もともと人の群れの中にいることが少なかったのです。

ですが、新型コロナ以降、輪をかけて人と合わなくなっています。

だからなのか? それとも、分離が進んだことによるものなのか? 久々に見かけたような気がするのです。

タバコを吸ってる人々。

見かけたのは自動車学校です。
昨日投稿した「時間割に則った生活」で書いたように現在、人生三度目の自動車学校通いをしているのですが、屋外の一画に灰皿が設置してあり、その周囲にごく数名の方々がたむろってタバコを吸っているのです。

時代のせいなのか? 今が閑散期だからなのか? ホントにごく数名なのです。
始めて「あ、喫煙所だ」と気づいたときには、その場を使っておられたのは、ひとりだけでした。

タバコを吸ってる人を見かけたのは、おそらく数ヶ月ぶりなんじゃないでしょうかね?
当然、僕が見えているのに認識できていないだけの可能性はありますけどね。

前回、僕が自動車学校に通っていたのは、30年以上前の大学卒業時です。
急遽「入社前に、自動車免許取っておいてね。地方の営業所に配属されることもありえるからね」と言われ、雑誌で探した山梨県の合宿免許にあわてて申し込んだのでした。

当時は僕もタバコを吸っていました。
多くの教習生が吸ってたし、教官も吸っていました。

当然、建物内に喫煙スペースはあったし、教習の間の休憩時間は、そこに多くの人々が集っていました。

今回通い始めた自動車学校の閑散とした喫煙所を見ながら「もう、タバコの存在すら忘れちゃってたな」と思い出したのです。

喫煙欲って作業や思考を分断しますよね

何度トライしても禁煙できなかった僕が、ようやく辞めることができたのは、パニック障害を発症したおかげです。
その日を境にピタっとタバコが吸えなくなったのです。

理由はわかりません。

1年間くらいは「タバコ吸いたいな〜」と買って火を着けてみたことも何度かあったのですが、そのたびにひと口吸っただけで「うぁ、これ毒だ」と、もみ消して残った箱を捨てることになるのです。

なんとなく、パニック障害を発症したときの感覚が戻ってくるような気がするんですよね。

あれからそろそろ10年が経とうとしています。

「ニコチン中毒」という言葉を使っていましたね。
今もそういう言い回し、するんでしょうかね?

僕はそれでした。
作業中も常時タバコに火を着けていたし、移動中も駅のホームで取り出していたし、食事会も「タバコ吸えるとこ」ってリクエストをしていました。

あの頃って、タバコを吸う理由を探すために作業や思考を分断していたような気がするのですよ。
煙を吸い込みながら「こうやってゆっくり考える時間が大切なんだよ」なんて言いながら、ね。

タバコを吸わなくなってから昔を振り返るとよくわかるんですが、タバコに気を取られないほうが「ゆっくり考える」ことができます。

作業中「焦げ臭いな。あ、タバコが燃えきってフィルター燃え始めてるじゃん。新しいの着けよ」で中断されることはないし、ミーティング中も「もっと優れた解決方法はないのか」よりも「あ〜タバコ吸いてえ、早く終わらないかな」が上回ることはないのです。

それ以前の、どこでもタバコ吸えた時代ならば、そんなこともなかったんでしょうけどね。

僕が社会に出た1980年代は、事務所のデスクに灰皿を置いてましたし、会議室も「この会議室は、真ん中に大きな灰皿」「この会議室は各人の席に小さな灰皿を人数分」なんて決まってたりしましたからね。

僕はサラリーマン時代はずっと、知らない人が置いていったお古の灰皿を使っていました。

フリーランスになってからも、しばらくはタバコ吸いながらのミーティングって多かったですね。

クライアントのオフィスに行ったとき「タイヘンです。今月からこのフロアでタバコ吸えるの、エレベーター前の灰皿んとこだけになってしまいました」って大騒ぎしていましたからね。

数年後には、ビルの1階に設けられた喫煙所1箇所だけになり、別のビルに移転してからは屋外に追いやられてましたけどね。

とにかく、みんなでいる場所でタバコを吸えなくなって以降、ずっとアタマの片隅でタバコを吸いに行くための理由を探してたような気がするんですよね。
「ちょっと、ひと息入れません?」って言ってみたりとか、トイレに行くふりをしながら、とか。

禁煙の最大のメリットは「タバコのことを考えなくなる」です

僕がこのブログを書き始めたときは55歳だったので、よく「50代半ば」って書き方をしているのですが、そろそろ57歳になりますので「50代後半」って書いたほうが良さそうですね。

僕が社会に出たころには、55歳定年だったので、あの当時見かけた「おじいちゃんたち」は、いまの僕よりも年下なのです。
もちろん役員でほんとうのお爺ちゃんもいましたけどね。

当然、老いを感じます。

60代の方からみれば「50代なんて、まだまだ走れるじゃん」なのでしょうし、70代の方からみれば…、80代の方からみれば…、だったりするのでしょう。
僕も「40代なんてまだまだ。あの頃やり残したこと、悔やんでるんだよ」なんて思ってますしね。

そういうのって、順繰りなんですよ。

ただ、タバコを吸わなくなったことは正解でしたよ。

「肺がきれいになる」とか「他人に迷惑をかけない」「マネーセーブになる」なんて理由も皆無じゃありませんけど、僕が感じる最大のメリットは「タバコのことを考えなくなる」です。

老いの症状のひとつに「なんとなく、粘りがなくなってくる」ってのがあるんですよ。
自身で「ヤキが回ってきたな」と感じた原因のひとつなんですけどね。

タバコを吸っていたときには、これを「タバコ吸いたくなってきちゃったな」に変換していたのです。

あのときタバコをやめていなければ、いまだに「なんだかタバコを吸いたくなることが増えちゃってさ」なんてことを言いながら、自分自身が加齢の影響で考え方を変えるタイミングが来てることに気づいていないんじゃないかな? などと思うのです。

当然「今が考え方を変えるタイミング」だったかどうかは、何年か後に答えあわせしなきゃいけないんですけどね。

久々に「あ、タバコ吸ってる人がいる」と認識したもんだから、そんなことを考えてみたのでした。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。