僕は低機能者らしい
2020.10.09
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。精神的安定度という項目が、ゴミクズでした。この「運転適性検査」ってやつ、数十年前にも複数回受けているのですが、こんな結果になった記憶ってないんですよね。おそらく、変わったのは僕の精神安定度じゃなくて、検査に臨む姿勢だろうと思います。
ショックと納得が半々…
運転適性検査票ってヤツが返ってきました。
自動車学校に入校した初日に、そういうのをやらされたのですよ。
「精神的安定度」の欄に
- 神経質傾向:2
- 気分の変わりやすさ:1
- 上っ調子になりやすさ:2
- 自己主張の強さ:2
なんていう低い数字が赤文字で書かれている…。
注意事項欄にも「注意を要す」とか「心がけること」みたいな文言が書かれてるところに「○」スタンプが押されてるし。
- 協調性:3
- 自分をよく見せる傾向:3
は「特に問題ない」ってところに○がついてるけど、1と2が赤字だから、3は「かろうじて…」ってところなんでしょうね。
たぶん5段階なのかな?
その精神的安定度内の項目の合計っぽい「情緒安定性」って欄も、13って赤文字で書かれてる…。
その他に「状況判断力」とか「行動の内容」って項目もあるんだけれども、そちらは概ね問題なかったようです。
でも「行動の内容」内にある「動作の速さ」については「優れているが過信、冒険は禁物」って欄が設けられれて、そこに○を付けられてるんですよね。
「これ何すか」って聞くと「速すぎるのもあまり良くないんですよ」ってことらしいです、へぇ。
で結果。総合判定評価は「2」ってことらしいのです。
その横に「低機能者(1〜2点台)の注意事項」なんて欄があるので、僕は総合的に「低機能者」ってことですね。
昨日投稿した「タバコ吸いたいから、ひと息入れない? が、なくなってる」でも書いたように、人生三度目の自動車学校なので、これをやるのも三度目のはずなのですが、前回・前々回もこんな感じだったっけな?
僕の記憶ではわりとこういうの「問題ありません」的な結果しか受け取ったことないはずなんですけどね。
「えっ。なんでだろ? ちょっとショックだな。オレサマは高機能なはずだぞ」と「うん、そんなもんだろうな。だからサラリーマン勤まらなかったんだし、生活がいろいろと壊れてるし」とが半々な印象です。
これが世間の目なんでしょうね
逆に「オレって世間から低機能者って見られてるんだろうな」という視点を改めて得たような気がしますね。
文言を正しく覚えてるわけではありませんけど「正しいと思ったら、目上の人にも意見する」とか「何かに夢中になって我を忘れることがある」「何かが気になって眠れないことがある」的な設問に、いっさい躊躇せずにバンバン「はい」って答えていたような気がするんですよね。
実際、普段の生活、そうですからね。
だから、フリーランスになったり無職になってセミリタイアしたりしてるんですもん。
逆に、この傾向のおかげで周囲の人々から面白がってもらえたり、一緒に仕事して欲しいって言われたりして、生活が成り立っていたような気もするんですけどね…。
そもそも今回の運転適性検査を受けることになったのも、20年前くらいに運転免許を「もういいや、要らない」って流しちゃったことが原因ですしね。
当時は「東京で暮らしてる限り、自分で車を運転することってないだろうな」なんて思っていましたから、更新に行くことよりも「眼の前の案件について考え続ける」ことや「高いクルマを買おうとしている消費欲をガードする」ことの方が大切だと感じていたのですよ。
そして、実際にそのように行動(=更新に行かずに失効)しましたしね。
以降、車の話題になるたびに「僕、クルマに興味持っても仕方ないんですよ。免許、流しちゃいましたから」なんて言うと、軽く盛り上がるんですよね。
なんとなく「取ったときのお金と時間、もったいないじゃん」みたいな感じで食いついてきてると思ってたんですが、違うんですね。
「うわっ。ここに低機能者がいる」って感じだったんでしょうね。
まあ、こういうのって仕方ないんだと思います。
車の運転って、みんなでルールとか常識を共有し合うことで、全体の安全を確保するシステムですもんね。
「オレは、こう思うからこう振る舞うよ」ってヤツは異物なのですよ。
当然僕も、そういうの理解していて、車を運転してるときと、自分の生活上の意思決定は別アタマのつもりなのです。
過去に10年以上、車に乗ってたときに反則切符切られたのって、速度オーバーの1回だけですしね。
指導員が「若い方には、ときどきこういう傾向の方もおられるんですけどねえ」って言ってましたけど、僕は若い頃、こういう検査結果が出たことないんですよね。
たぶん、昔はこういう検査をするときに「世間的にこちらの回答の方が好ましい」ほうにチェックしてたんでしょうね。
はっきりとは覚えてないけど。
変わったのは、検査に取り組む姿勢です
なんとなくですが「老害ってこういうことかな」などとも思うのですよ。
おそらく僕の「精神的安定度」なんて、そんなに変わっちゃいないのですよ。だって同じ人間なんですもん。
けれども、若い頃は「良い検査結果を出したい」という意思をもって回答をしていたと思うのです、たぶん。
それが、数十年ぶりに受けた今回の検査では「ありのままでいいじゃん。そういう検査なんでしょ」って気持ちで回答してましたよね。
そのへんの違いなんじゃないかな? と思うのです。
ここが変わった理由は、おそらく「加齢」かな…。
この「他人からどう見られようと関係ないよ。自分は自分のままが一番快適なんだから」という考え方こそが、巷間言われている「老害」の根源なんじゃないんでしょうかね。
「オレはやりたいと思ったことを、思ってるままにしておくのがイヤなんだよ。ちゃんと行動に移したいんだよ」ってことですね。
- 組織に縛られたくない(=フリーになろう)
- 緑に囲まれた気持ちのいいところで暮らしたい(=田舎暮らし始めよう)
- 生活資金のために労働したくない(=セミリタイアしよう)
なんてのも、その一環なんでしょうね。
僕がフリーランスになったのなんて30代半ばですから、そのころから「老害」を積み重ねてるんですね。
たぶん本来は「老」でもなければ「害」でもない事柄なのでしょうが「叶えたいけど叶えられない願望」要素を含んでいるので、人は「老害」なんてラベリングをしたがるのでしょうね。
当然その中には「老」が及ぼす「害」という形で表出する現象も含まれていますよね。
でも、街中で爺ちゃん・婆ちゃんが好き勝手な振る舞いをして周囲に迷惑をかけてる場面だけを抽出しても、うまく説明できない話なんじゃないかな? と思うのです。
とりあえず僕は「低機能者」という評価を叩き出してしまいましたので、「そうね」と思っておくことにします。
それ以外、どうしようもありませんもんね…。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。