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ふまじめな大人が増えること、悪くないと思います

2020.10.31

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「ふまじめなことが、人生を豊かにしてくれる」みたいな考え方を持っています。ただ良くないことに、自分で自分のことを「ふまじめだ」なんて思い始めて、修正したり戒めようとして、息苦しくつまんないほうに向かうことが多かった職業人生でしたね。

この忙しいときに、何やってんだ

こうして毎日、何かしらを思い、考え、書いている書いているこのブログですが、匿名ブログとして運用しています。

その理由は、過去に幾度か言及していますので、下記記事をご参考に。

そして、すでに何人かにはすでに身バレしています。

僕が直接「ブログとかも書いてるんですよ、萩ドットライフって検索したら出てきますよ」って伝えた人もいますし、ググってて偶然見つけたってことで「これって、もしかして○○さんのブログです?」って訊いてきた人も数名います。

そういう方は、だいたい僕と親しいし信頼できる方々なので「あ、見つかっちゃいましたね。そうです」って答えるようにしています。
おそらく「あの人萩市に移住する(した)らしいよ」とか「古民家買ってDIYしながら暮らすらしいよ」みたいなことが、どっかの仲間内で話題になってて、それで気になって、それっぽいワードで検索したんでしょうからね。

そういうときって、見つかったことがちょっと嬉しかったりもしますよね。

このブログを開設したのが2018年7月でした。
僕は「無職になるよ、セミリタイアするよ」とは宣言していたものの、まだいくつかの案件を案件を抱えてたときで、ブログ開設後に携わった新規案件もありました。

「セミリタイアするから、もう新規案件は請けませんよ」って伝えたら、ピタっと止まるようなものでもないのです…。

つまり、みんながWebサイトの公開に向けてバタバタしているときにも、僕はこのブログを毎日更新していたのです。
無職になる前の僕の職業はWebデザイナーでしたから、当然バタバタしているメンバーのひとりです。

フェーズによっては、いちばんバタバタしなきゃいけない係でしたよね。

おそらく、そのときにすでに僕がこのブログを毎日投稿してることを知ってる人からすれば「この忙しいときに、何やってんだこいつ」と感じてたことでしょうね。

僕自身は「こんな忙しいときにも、オレは毎日かかさずブログを書いてるぞ、どんなもんだい」って意識でいましたけどね…。

仕事を捨てるって「ふまじめ」なことですよね

僕は運良く、よきクライアント、よき制作会社にめぐり逢いました。
以前『結局「取引先の分散」なんてしなかったな』でも書いたように、おおむねひとつ(ときには複数だったりもしましたけど…)のクライアントとべったりな感じで案件を頂戴していました。

当然ひとりですべてを対応していたわけではなく、数名で仕事を割り振りながら、そのクライアントの業務にあたっていたのですね。
そんな最中に「オレは無職になるから、もう案件は請けない」なんて宣言したことに対して、後ろめたさを感じないと言えばウソになります。

かといって、僕自身焼きが回ってることを感じているのに、そのまま仕事に携わり続けることは何だか違う気がしたし、何より「自分の引き際を自分で決められる最後のチャンスかも」なんてことも思ってたんですよね。
(参考:デザイナーにとっての、セミリタイアと引退

一応、ちょっとだけ「オッサン・オバサンが退いて後進に道を譲ることは、素敵なこと」と考えたことにもしていますけどね…。
「仕事欲しい若手なんて、いくらでもいるんだから、僕が抜けた穴なんてすぐに埋まるでしょ」みたいなことも考えてたんです。

ただ、僕がどう考えたのかはどうあれ「イチ抜けた」と言ったことは確かで、スッキリとした気持ちと同時に、若干の後ろめたさを孕んでいることは確かなのです。

先日投稿した「無職になると損得を考えなくなるので、いいですよ」とも関連するのですが、忙しくバタバタとした日々を過ごしていると、「得」になりそうなことばかりを選んで手をだしがちになってしまうのですよ。

こういうのって長期的に考えると、人生を豊かにしてくれそうなことから遠ざかってしまうのですよね、疎かになるのです。

そんな日々を過ごしてるうちに、僕が思いついたのが「無職になって、セミリタイア生活を過ごしてみよう」だったのですよね。
その中で「ブログを書こう」とか「田舎に移住しよう」「古民家をセルフリノベーションしながら暮らそう」みたいな、将来の人生を豊かにしてくれそうなことを始めているのです。

こういうのって、毎日々々仕事と向かい合い、忙しくバタバタと過ごしてる人から見ると「ふまじめ」なことなのだろうと思います。

「ふまじめなことが、人生を豊かにしてくれる」か?

僕は、職業人時代の忙しくバタバタしているときに、上手に生活の中に「ふまじめ」を混ぜ込めることができる人だったならば、もう少しヨカッタかな? などと思っています。

「ヨカッタ」というのは、例えば「もう少し職業人生を永らえることができた」とか「もう少し楽しい職業人生だった」とか、そんな感じです。
ときどきは自分でも、そんなふうなことを感じていたので、まったくのゼロではなかったはずなんですけどね。

以前投稿した「断捨離を実行することにします」でも書いたように本の部屋ができるくらい本を読み漁ったりはしましたけどね。

それでも職業人生を終えてしまうと「もっとふまじめを取り入れてたほうがヨカッタな」などと思ってしまうのです。
得てしてそんなものなのかもしれませんけどね。

良くないのは、自分で自分のことを「ふまじめ」だと思ってしまうことなんですよね。

仕事が詰まってて、各処から矢のような催促が来てる中、小説を読みふけってる…「ふまじめだ」。
みんなが団結してバランス良く仕事を割り振って、クライアントに価値を提供している最中に離脱する…「ふまじめだ」。

でも、この考え方が自分を何かしら狭いところに押し込めてしまうんですよね。

窒息させて、つまんなくしてしまうのですよ。
おそらく人生も仕事も、です。

他人から「お前、ふまじめだぞ」って言われても「うるせーハゲ」で済まされることを、自分の中に抱えちゃうと「まじめ」に向き合わなきゃいけないからキツいんですよね。

とりあえず今んとこ、もう「ふまじめ」な方に舵を切ってしまったし、死ぬわけでもないので、このまま続けていこうと思います。

そうそう。前述の「ふまじめなことが、人生を豊かにしてくれる」みたいな考え方って、単なる憶測にしか過ぎません。
でも、無駄なことや意味不明なことを大切にするような意識を持つと、ちょっと楽しいのは、まんざら間違ってはいないと思うのです。

「まずは僕らオッサン・オバサンが試してみよう」みたいなことを考えているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。