だんだんと自分に還りつつある毎日
2020.11.08
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ちょっとずつ、むかし使っていた萩ことばのリズム感を取り戻し始めているような気がするし、むかし感じていた鮮やかさで季節の変化と向き合うことができているように思うのです。期せずして、かつての自分と出会っているような感じがしているのです。
言葉と考え方は連動する
東京と萩を行ったり来たりの二拠点生活を続けていたころから、うっすらと気づいていたのが「オレ、いつの間にか萩弁のリズム感を失ってるな」でした。
東京で高校の同窓会があれば、その場では萩弁を使って話しているつもりではいたのですが、何十年にもわたる東京生活で、なんとなくネイティブじゃなくなってたんですね。
言うなれば、エセ萩弁を話しているような、ね。
なので、在京の同窓生同士では萩弁で会話できるけれども、萩に来て、ずっと萩で暮らしている人たちと会話するときには気後れしてまう…。だから「意図的に東京言葉とチャンポンにしてますよ」ということが伝わるような話し方になっちゃうんですよね。
ありがたいことに、かつて僕が暮らしていた頃とくらべて、少し方言のアクが取れているというか、マイルドになっているような気もします。
僕の話し方で「あ、この土地の人じゃないな」と判断されて、合わせてもらってるだけかもしれませんけどね。
それが、だんだんと萩弁のイントネーションとかリズム感を取り戻しつつあるような気がしています。
今のところ一番影響を受けているのは、毎日通っている自動車学校ですね。
ずっと車の中で世間話をしながら運転の練習をしたり、校内でちょこちょこっと交わす挨拶だったり、近くで誰かと誰かが話してる会話を耳にすることで、だんだんと僕の頭の中の萩弁が昔使っていたものに補正されつつあるような気がします。
もともと、この地で生まれて成長する過程で使い続けてきた言葉ですから、染み込んでいくのは早いですよね。
だんだんと頭の中でものを考えるときや、ちょっとした独り言も萩弁混じりになりつつあります。
そういえば僕、萩弁を使って仕事をしたことってないんですよね。
大学進学を機に東京に移り住み、それからずっと東京暮らしでしたからね。
もともと無職になって「セミリタイアするぞ」って目的で萩に移ってきたのですが、萩弁で思考するようになり始めてから、ますます仕事のことを考えなくなってるような気がします。
東京でデザイナーの仕事をしていた自分が、どんどん「過去の人」になっていくのです。
季節の感じ方も変わってくる
そういえば、東京にいるころ「一番好きな季節」なんて考えたこと、あったっけ? などと思うのです。
会話のネタに詰まったときに「夏と冬、どっちが好き」みたいなくだらないやりとりをしたことは何度もあったように記憶していますけどね。
まだ、萩に住んで2ヶ月ちょいしか経っていませんが、東京にいるころよりも季節の変化に対する感じ方が強めになってきたな、と思うのです。
おそらく、RC造のマンションから築56年の木造戸建に住み替えたことも影響してるでしょうし、窓から見える景色が山だったり林だったりすることも影響しているとは感じます。
それに加えて、どこかしらで昔の記憶が付加されてるからでしょうね。
夏には汗だくになって遊び、冬には服を何枚も何枚も重ね着させられて、それでも外で雪を触るのが楽しかった場所に「帰ってきてるんだよなあ」という感覚が季節の彩度を高めてくれてるのですよね。
こういうのって、何年も持続するもんじゃなくて、移住してきたこのワンシーズンだけしか得られないもののような気がして…。
それもまた、気分を高めてくれる要因となってるのです。
だから、これからやってくる冬がちょっと楽しみだったりもしています。
東京時代に「冬がやってくるね、楽しみだね」なんて考えたのって、毎年スキーに行ってた30代前半くらいまでじゃなかったかな? スキーをやめてからは「寒ぃなクソっ」以外の感想を持ったことありませんでしたね。
たぶん、みんなそうだから、やれクリスマスだ、正月だ、成人の日だ、バレンタインだってイベント事が盛り沢山なんでしょうね。
そうでもしないと、家に閉じこもって消費しませんからね、だって寒いんだから。
そして、おそらくもう3ヶ月も経ったら「そろそろ春が来るね、楽しみだね」なんてことをこのブログで書いてることだろうと思います。
なんだかちょっと不思議な感覚です
繰り返しますが、僕はこの生まれた街、山口県萩市に帰ってきてまだふた月ちょいしか経っていません。
そろそろ「三ヶ月弱」って言い換えてもいいくらいかな?
たったこれだけの期間に急速に、東京で職業人として暮らしてきたことや、プライベートで起こったあれやこれやが色褪せていくのがわかるのです。
なんだかちょっと不思議な感覚です。
今のところ「使う言葉と、季節の感じ方が変わったからかな」などと思っているので、こういう文章を書いています。
なんだか、高校時代までこの街で暮らしていた自分と、今の自分が直結された感じになっているのです。
「子供時代の記憶が蘇る」ってのと同じような、ちょっと違うような、上手く言葉にできない感じです。
でも、あの頃もこの言葉で物事を考えていたし、東京で暮らしていた38年間よりもずっと季節が身近 に感じられていました。
おそらく大人につれ意識しないと、そんなことを感じなくなるのですよね。
僕はセミリタイアをして、生まれた街・萩に移住することで、期せずしてそのことを意識する機会を得たのだろうと思っています。
なんだか、自分が「自分」に還りつつあるような感じがするのです。
もちろん、東京でデザイナーをしていた頃の自分も「自分」であることには違いないんですけどね。
なんだかよくわからない感覚なのですが、そう感じているので仕方ないのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。