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頭ごなしに、流行り物をバカにするのもどうなんだろ?

2020.11.14

こんにちは、萩ドットライフ()です。

鬼滅の刃、観ました読みました。すごく面白かったです。SNS上で「あ〜でもない、こ〜でもない」と論戦が繰り広げられてるのも大流行の証なのでしょうから、これはこれでいいと思います。ただ、美意識やセンスを強く押し出すことに関しては、一言。

鬼滅の刃がブームになってますね

遅ればせながら、鬼滅の刃のアニメ版を1話から26話まで見ました。単行本も22巻まで読みました。
「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は観に行っていませんし、単行本の23巻はまだ予約していません。

だいぶ前からネット上で「鬼滅、キメツ」というワードは目にしていたのですが、「へえ、いまこんなのがはやってるんだな」と感じるくらいで、あまり自分ごととは考えていなかったんですね。

それが、この数週間の間にドッと見聞きする機会が増えてきて、どういうわけかYouTube上でもLiSA氏が歌う鬼滅の刃のテーマソング「紅蓮華」がリコメンドされることも増えてきて「へぇ、なんだかスゴいな。観てみよう、読んでみよう」と思ったんですね。

これだけ流行しているのですから、当然SNS上では「アンチ」も一定数生まれます。

「昔見たことのあるストーリーだ」とか「表層的でつまらない」「女性蔑視だ」「デッサンが狂ってる」「表現がグロテスクだ」などなど、ケチをつけるためのワードは、道端にいっぱい落ちてるものなんですよね…。

まあ、これが「流行ってる証拠」になるのですから、これはこれでアリなのでしょう。

僕はざっと観てみて、読んでみて、単純に「面白かった」と思います。
あの世界観に、ドプンと入り込むことができました。

「一話の炭治郎が禰豆子をおぶって歩いてる雪のシーンで掴まれた」とか「鬼が消え去るときに回想する、人間時代の記憶を取り戻す場面でグッと胸を押される」とか、いろんな方々が語っておられる言葉を「おぅおぅ、その通りだなあ」などと感じながら、あの物語を楽しむことができました。

劇場版「無限列車編」も観てみたいし、単行本23巻も出版されたら買おうと思っています。
でも、フィギア付きのを予約する気にはならないかな…。

あまり深そうぶるのも、どうかと思うのです

僕、ずっとデザイナーという細部に気を配らなきゃいけないっぽい職業に就いていたくせに、こういう映画・芝居・アニメ・漫画みたいなものを観たあとに「あそこがヨカッタ」「ここがダメだった」「ヒネリが足りない」「チラシ過ぎて意味がわかんなくなってた」的な感想にほぼたどり着かないのですよ。

まったくないわけじゃないけど、上手に言語化できないというか、単純な「面白かったネ!」「ゴメン寝ちゃった」みたいなのが勝っちゃうと言うか、なんだかノッペリとした感想しか持てないのです。

オッサンなので、それなりの「あ〜でもない、こ〜でもない」があっても良さそうなものなのですが、ダメなのです。

正直なところを言うと、これでも僕は「物を作る人」の末席に座っていたことがありますので、なんとなく「ものを作るひと同士」だったり「作る人と観る人」で、うなずき合うような部分を感じないわけじゃありませんし、そういう発見から「面白味」を増幅されているところも皆無ではないのです。

そういうのって、言い始めちゃうと「センス」だったり「美意識」だったりに踏み込んじゃいますからね。
観たもの読んだものじゃなくて、自分の側の話になっちゃうんですよね。

「あなたが観た感想だもの、それでいいんだよ」なのかもしれませんけどね。

でも僕は「そういうのは、あまり前面に出すこともないんじゃない?」と思う派です。

どうしても年齢を重ねながら培ってきたもの、長い年月をかけて洗練されていったもの、が大切にされすぎるのも「どうなんだろね?」と思ってしまうのです。

自分がオッサンなものだから、なんとなく趣味性だったり、ものごとの深みみたいなものに関心があるし「若いときには気づかなかったことに気づけた。いいぞ」みたいなことも思ってるんですけどね。

だからこそ「自分が大切なものの価値を高く見積もらないほうがいいぞ」というブレーキが効いてるのかもしれません。
心のどっかで「こういうのが、見え方によっては『老害』だと思われちゃうんだろうな」とも思うのです。

パーマ屋の話

僕の母親は、そろそろ80歳になりますが、現在でも自宅でパーマ屋を営業しています。
以前「築40年を超える軽量鉄骨住宅、寒いっ!」という記事を投稿したことがありますが、この僕の実家である軽量鉄骨住宅にパーマ屋が併設されているのです。

この家を建てるときに、それまで勤めていた美容院を退職して開業したので、かれこれ40年以上この場で業を営んでいることになります。

見ていると、お客さんも似たような年頃の方々ばかりなんですね。
なので、年々「亡くなった」「車が運転できなくなった」「自転車に乗れなくなった」「歩けなくなった」「施設に入った」と、一人またひとりと減っていってるようです。

新しいお客さんはめったに来ません。
ときどき「近所の息子の家で暮らすことになったから」と、母親と似たような年代の方が新規顧客として来られるようです。

ここからは僕の想像でしかないのですが…。

美容師(母)もお客さんも、若い人が経営している「今風」の美容室の雰囲気だったり、カットや仕上げの技術が苦手なんじゃないでしょうかね?

たとえば僕らが居酒屋を選ぶときだって、安くて学生が集ってガシャガシャしてる店よりも、ちょっと高くてもいいから、ちゃんとした料理を出してくれる店のほうがいいのですよ。
もう脂っこいものをガンガン食べ、グビグビ飲み、ワイワイはしゃぐなんてできないから、味わい深いものをちょっとだけ食べながら、美味しいお酒をチビチビ飲むほうが楽しいのですよ。向いてるのです。

母も昔っからのお客さんが望む通りの経営をしているし、そういう店を求めて同年代のお客さんが集まってるのですね。

言い方はちょっとアレですが「老人倶楽部」が形成されているのです。

「趣味」「センス」を前面に出しすぎるのってそういうことだと思うのですよ。
自分が考える「心地よさ」の確認をし合うような行為といいましょうかね?

意に反して、自分の周りを「オッサン倶楽部」化しようとしている行為に他ならないと思うのですよね。
それが時を経て「老人倶楽部」になるんでしょうね。

僕の母は、この方式で80歳まで現役の美容師をやっていて、微々たるものでしょうが報酬を得ているので、こういう場があること自体に意を唱えるつもりはまったくないのです。

「センス」や「美意識」みたいなものも、重要な価値のひとつではあります。僕も、とても大切にしていますしね。
でも「オレは、こんなにも深みがあるぞ。どんなもんだい」とか言い始めちゃうと、ちょっと望まぬ方向へ向かってしまうんじゃない? と思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。