時間を楽しく使いたいなあ
2020.12.09
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。セミリタイア生活を始めてからの時間の使い方を「もしかして、すごく無駄をしてないか?」と思うことがあります。反面、よく寝られて、すごく調子がいいので「うん、これでいい」と思うことも。たぶん時間に対する評価が変わってきてるんですよね。
無駄な時間の使い方をしているのか?
ときどき「職業人時代のオレが、いまのオレを見たらどう感じるんだろうなあ?」と考えることがあります。
朝5時くらいに起きて、ブログ記事を書いて、ランニングしたりお風呂に入って、SNSやネットニュースを巡回して、気になるトピックについてググったり。
いまは第二種電気工事士の勉強をしているから、問題を解いたり解説サイトを読み込んだりしていると、お昼。
セミリタイア人だから、何時にランチしても構わないのですが、いちおう世間並みに「12時前後」と決めてるのですよ。
ちょっと外が暖かそうだと、食料品やら生活用品を買い出しに行ったり、庭に出て雑草を抜いたり、夏に切った木の枝を燃やしやすい寸法に切りそろえたり。
天気が悪ければ、ずっとPCの前に座って工事士の学習を続けたり、YouTubeを観て過ごしています。
ときどき、作業台に脚を上げてうとうとしていることもあります。
17時くらいには夕食を食べます。
これまた、何時に夕食を採ろうが、何時からお酒を飲み始めようが構わないのですが、誰かが訪ねてきたときに酔っ払っているのは恥ずかしいので「お酒は日没後から」と決めています。
いまはちょうど17時くらいが日没時間なので、夕食と晩酌を同時に始めます。
YouTubeを観ながら、作業台で食べます。
かつて、東京のマンションに住んでいて、同居人がいた頃にはダイニングテーブルもあったのですが、ずっと作業台の前で過ごすクセがついてしまい、いつしかテーブルは物置台になり、邪魔になり、結局処分してしまいました。
だいたい18時くらいには、もう食事も飲酒も終わっています。
たまに、なんかのスイッチが入っちゃって飲み続け、食べ続けちゃうこともありますけどね。
あまり深酒はしたくないのです。
しばらくYouTubeを観続け、19時くらいになったら、寝室に移動してソファでコーヒーを飲みながらYouTubeを観たり、SNSやネットニュースをチェックをはじめ、20時にはソファ・テーブルを片付け、ベッドに横になりながらそれを続けます。
20時半にはデパス(睡眠導入剤)を口に放り込んで消灯し、だいたい21時には就寝しています。
職業人時代には考えられない時間の使い方をしています。
当時の僕がいまをの僕を観たら「なんて、無駄な時間の使い方をしているんだろう」と思うに違いないのです。
何度も繰り返しますが、睡眠は大切です
ただ、このスタイルがとても心地良いのですよ。
何がいいって、毎日8時間寝られることです。
この「睡眠の質が向上して、すごく良いですよ」という話は、ついこないだ「上手いこと力が抜けてるなあ、良いなあ」という記事でも触れたばかりなのですが、何度でも繰り返して言いたくなるくらいに良いのです。
昔っから、アタマでは分かってたんですよね。
疲れたら、体力を維持したかったら、頭をクリアに使いたかったら、寝ろ。とにかく寝ろ、と。
いろんな人に言われてきたし、僕も人に言ってきましたしね。
でも、なかなか上手くできなかったんですよね。
こうして「セミリタイア人になって、8時間寝られるようになって、すごくいいですよ」と書きつつも、そりゃたまには夜中に目が覚めて、そのまま寝付けない日もあります。
でも、だんだんと「寝られない日」の方が例外になっていくのです。
このバランス。日を追うに連れ変わっていってるような気がします。
ほら、子供の頃って起こされなきゃ、果てしなく寝続けたじゃないですか、なんだかあの状態に向かってるような気がするのです。
そこで前項で述べた「1日の生活」を見直してみると「知的ストレス」と「身体的ストレス」のバランスがいいから、上手く寝られてるような気もするんですよね。
知的ストレス:
朝のブログ執筆、電気工事士の学習、ニュースやSNSを見ながら考えるあれやこれや
身体的ストレス:
朝ラン、野良仕事、散歩、買い物に行くときの坂道の上り下り
などなどですね。
やってみてわかったんですが「リタイアして、1日中ボーッとして過ごす」なんて無理ですよ。
それを求める人もおられるのでしょうが、少なくとも僕にとっては、ですけどね。
やはり、何かしらの刺激(ストレス)は欲しいんですよね。
年齢とともに時間の価値が変わってきますよ
職業人時代も、セミリタイア人になった今も、時間は等しく1日24時間と決まっています。
一番の違いは「他人に奪われる自分の時間」の量ですよね。
いち時期は「さあ、自分の時間を増やすぞ」とやっきになって働いて、逆に自分で使える時間を減らしてしまったようなことだってありました。
自分では気づいていないだけで、他人の時間を自分のために使わせていたことも、たくさんあったかもしれません。
「タダだと思ってた」というと、若干の語弊があるかもしれませんが、正しく価値を認識できてなかったような気はします。
だから、自分の時間を奪われるとイライラするくせに、他人の時間を奪うことには無頓着だったりね。
オッサン・オバサンになると、どこかのタイミングで「あれ、残り時間、少ないぞ」ということを自覚するのですよ。
だんだんと「時間のほうが、お金よりも大切かも…」なんてことを思うようになるんですよね。
自分の手持ちの時間を再評価しようとするのです。
若い頃って、寝すぎると何だか損をした気になってましたよね。
僕は、そう思ってました。
とくに休日なんて、朝方帰ってきたくせに目が覚めたら「なんだ、もう昼すぎじゃん。メシ食って掃除したら、もう1日終わりかよ」とか…。
借りてきた映画を見始めたら、すごくつまらなくて、でも「観なきゃもったいない」と思いつつ最後まで観て、結局「クソみたいな時間を過ごしちゃったな」なんてことを思うこともありました。
そのくせ、一杯の蕎麦を食べるために電車を乗り継いで好きな人と山の方の街まで出向いて、帰り際に「美味しかったね」と言い合える時間がものすごく充実したものに感じられたり…。
そんな体験を思い出しながら、「効果的に使う」「無駄遣いをする」どちらでもいいから「時間を楽しく使いたいなあ」と思うようになるのです。
お金も時間も似たようなもので、楽しかったか、いい使い方だったかどうかは、後からわかるものなんですけどね。
何が言いたいかというと、50代も半ばを過ぎると「寝ている時間は、いい時間」なのです。
たっぷり寝られると、起きている時間を楽しく使うことができるようになるのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。