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やらないことを決める。などと、申しますが…

2020.12.10

こんにちは、萩ドットライフ()です。

萩市に移住してきて初めての年末を迎えています。ですが、とくに「ヨシ、これをやるぞ」ということを思いつかないのです。巷ではよく「やらないことを決める。そうすると、やるべきことが明確になる」なんてことを申しますが、そうでもないのです。

「やることを決める」とは、やらないことを決めること

やるべきことは、引き算で決めるものなのですよ。
まず、アタマに思い浮かぶものから「やらないことを決める」、そして残ったものが、いま向かい合うべきことなのです。

「未来の種まき」と称して、無駄なことに時間を費やしてやしませんか? 逆に、短期的な利益のために、できること、やったことのあることばかりを組み合わせた仕事ばかりやって、将来の準備を怠ってやしませんか?

……。

こんな話を過去に、なんど聞いたことでしょうかね? 他人のブログだったり、ちゃんとした媒体に掲載されている随筆でも、なんども目にしたような気がします。

僕だって、酒席を囲みつつ、ちょっと小威張りしながら若い方にこんな話をひけらかしてしまった夜も何度かあります。

たぶんこれは正しい話なのですよ。

他人が言ってるのを聞いてても「うん、うん。その通りだねえ、やらないことを意識しなきゃね」ってすんなりと受け入れることができますし、僕が誰かに言ったときにも、だいたいが「そうっすよね」という答えが返ってきますからね。

ただ、実際に実行しようとしても、なかなか簡単には行かないものなのです。

「やらない」と決めたことが、やるべきことの端っこの方にくっついていたり、やるべきことに向かい合うことが面倒くさくて、すぐに手をつけられる「やらない」と決めていたことを「やるべきこと」の準備動作にすることで、いろいろとスムーズに回りだすことだってありますからね。

この辺のことは、先日投稿した「面倒くさいことをそのままにしないための準備動作」でも少し触れましたね。

「ヨシ、これはやらない」と決めていても、ものすごく好きな人から「一緒にこれやらない?」って誘われたり、「いや、絶対にやったほうがいいよ」なんて勧められたら、それはそれで心が動くものなのです。

なんで、こんなことを考えているかというと、12月(=年末)だからなのですよ。

セミリタイアの「セミ」の部分でお請けしている、Webサイトの運用業務で、更新情報に「年末年始休業のお知らせ」を掲載する旨、指示があり、「そうだよな、もう年末なんだよな」などと考え始めた次第です。

山口県萩市に移住してきて、初めての年末です。

セミリタイア中と言っても、概ね無職です。他人に「ご職業は?」と聞かれたら「無職です」と答えてますしね。
なので職業人時代と違って、「年末進行が終わった後にまとまった休みがやってくる」「その休みの間にやること決めなきゃ。掃除とか飲み会とか」って感じでもないのですよ。

しかも、今は昔と違って季節感もないし、新型コロナ禍の影響で忘年会もなさそうだし「年末? だから何?」といった感じなのですが、それでも一応は「そうだな、萩で暮らしはじめて初めて迎える年末年始だな」と考えてみたりはするのです。

考えてはみるのですが、とくに「やること」が思い浮かばないのです。

年末だからやることって、何もないぞ

それで「ヨシ、やらないことを決めよう。そうすれば、やるべきことが浮かび上がってくるに違いない」などと思いついてしまったのですが、これがなかなか上手くいかないのですよ。

例年ならば「さあ、大掃除をするぞ。要らないものを片っ端から捨てよう」が必ず「やるべきこと」として残るのですが、今年は東京から萩への引越しが去年のうちから決まっていましたので、ずっと断捨離を続けてきたのですね。
(参考:断捨離を実行することにします

しかも仕事をやめているので、大量の紙資料がやってくる案件とはもう関わっていません。

強いて言えば、和室用のお掃除セットがなくて不便しているのですが、掃除機と雑巾でどうにかなってますしね。
荷物がないから、どうにでもなるのです。

庭の雑草やら樹の始末も「年末だからどうこう」ってワケじゃありませんしね。

もともと「田舎で古い家を買って、セルフリノベーションしながら暮らすぞ」と決めて、いま住んでいる家を買ったのですが、今のところ「ワンシーズンこのままで暮らしてみてから、リノベーションプランを練り直そう」と、すでに「やらないこと」に決めているので、これまた「年末」とは関係なくなっているのです。
(参考:古民家再生をDIYでやりたい

つまり「年末だからこそ、やるべきこと」がまったく見当たらないのです。
年賀状だって、出さなくなってもう20年くらい経ってますしね。

それで「そっか、まずはやらないことを決めればいいのか。そうすれば、やるべきことが見えてくるだろう」などと思いついてみたのですが、結局ただの浅知恵でしたね。

とくにやることがないのだから「やならいことを決める」も何もないのです。

以前は、なんでバタバタしてたんだっけ?

それでも、まだ法人を所有しているので「今年度は確定申告するから、年末調整しなくていいよ」みたいなことや「1月になったら源泉の納税だね、準備お願いね」みたいな話を税理士事務所とやりとりしなきゃいけなかったりしますが、その程度なんですよね。

そうなると「職業人時代の年末、なんであんなにバタバタしてたんだっけ?」ってことになるのですよ。

たしかに「年内になんとか形にしたい」とか「クライアントが年明け早々に見たいって言ってる」なんていう案件が集中しがちではありました。
「どうせ休みなんだから、事務処理やっとくか」って気にもなっていました。
前述の通り「溜まってる要らない資料、ざっくり捨てよう」みたいなことにもなっていました。

いわゆる年末進行に関しては、一昨年の年末が最後だったようですね。
(参考:セミリタイアしてるはずなのに年末進行にハマってる

職業人であるかぎり、こういうのはある意味仕方ないことなのですが、その他に関しては「ぜんぜん重要じゃない」ことでバタバタしてたんですよね。

事務処理にしても、ゴミ捨てにしても「この休みの間に片付けなきゃ」って思うから、なんとなく緊急性を帯びてくるのですが、普段のちょっと時間の空いたときに済ませておけば年末年始にバタバタする必要なんてないのです。

その証拠に、冒頭で書いたように去年の秋ぐらいから「断捨離するぞ」って決めて、計画的にものを捨てていたので、年末に大量のゴミ捨てなんてしませんでしたからね。

さて、1周まわってもう一度「やらないことを決める」について考えてみましょう。

巷間言われているように「やるべきことが浮き彫りになる」という効能は確かにあります。
その部分は、決して間違っていないのです。

今年の僕の年末にフィットしない考え方でしたけどね。

加えて、未来の「やらないこと」を決めることによって、その手前で小さな暇を見つけてはやっておいたほうがいい細々としたことに意識が向かうという効能もあるように思うのです。

たとえば「年末は、事務処理やらない!」と決めることによって、毎月ちゃんと時間を作って会計ソフトへの入力をするようになる、みたいなことですよね。

ただこれもまた、実際に実行しようとしても、なかなか簡単には行かないものなのなような気がしますねえ。

まあ、暇になるためにセミリタイアしたようなものなので「やることがないならば、それでヨシ」ということにして、のんびりと過ごそうと思います。

改めて、セミリタイア人って、無職って、そんなものなんだな、と思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。