follow hagi.life

タバコを吸っていたころの自分を思い出す

2020.12.13

こんにちは、萩ドットライフ()です。

タバコをやめて10年近く経ってるのですが、最近ときどきタバコを吸っていたころのことを思い出すんですよね。そして、あのタバコをやめた日が、自分の人生にとっていろんな変化をもたらすきっかけとなった日だったんだなあと振り返っているのです。

タバコをやめた日

僕がタバコをやめたのは、2011年(平成23年)4月11日です。

なぜ覚えているかというと、東日本大震災のちょうど一ヶ月後だからなんですね。
あれから今日で3,534日目。もうそろそろ10年が経過しようとしています。

それまで、何度も何度も禁煙を試みては挫折していたのですが、ちょうどこの日にパニック障害の発作を起こしてしまったんです。
文字通りパニックになっていたので、救急車を呼んで大騒ぎをして、運ばれた先の病院で高血圧症と心臓肥大が見つかり「まずは早急にこちらの治療をしなければなりません」って話になって、定期的に病院に通うようになって今に至ります。

この辺の経緯は、以前投稿した『「セミリタイア」をはじめて意識したとき(前編)』で触れていますので、ご参考に。

この日を境に、ピタッとタバコがやめられたのですよ。

救急病院で降圧剤をもらって「明日、必ず内科の診察を受けてください」って言われて、家に帰ってからタバコに火を付けると、パニック障害の発作が起こったときの記憶が戻って吸えなかったのです。

翌朝も同じ状況でした。
タバコや灰皿、ライターが家の中にあるのもイヤになって捨ててしまったんですよね。

それから3ヶ月後くらいに、お酒を飲んでいるときにどうしてもタバコが吸いたくなって、近所のコンビニに行きタバコとライターを買って、近所の公園で吸ってみたのですが、1本吸いきれませんでした。
残ったタバコもライターも、そのまま持って帰って捨てました。

それ以来、1本も吸っていません。

タバコをやめても、しばらくはちょっとしたタイミングで「手持ち無沙汰」な感じになるんですよね。
「あれ? こういうときどうするんだっけ」みたいな感じ。

それもだんだんと頻度が少なくなっていって、3年目くらいにはタバコをやめたことすら忘れてましたから、そのあたりでようやく「元喫煙者」になったような感じだったでしょうかね。

それが、セミリタイア生活を始め、萩市に移住してきてから「タバコを吸っていたころの自分」を思い出すようになっているのですよ。

そんなに頻繁にじゃありません。
ほんとに、たま〜にってくらいです。

庭で雑草や木を燃やすことにしたときに、数年ぶりに100円ライターを買ったのですよ。
(参考:落ち葉焚き用のピットを作ってみた

おそらく最初はそれがきっかけとなって喫煙者時代の記憶が蘇ったんじゃないかと思っています。

東京時代とくらべて、萩で出会う人のほうが喫煙率が高いような気もしますね…。
お年寄りなんて、フツーに歩きタバコしてたりしますしね。

当然、視界にタバコを吸ってる人がいることが増えるので、タバコのことを思い出すことが増えるんでしょうね。

間違いとは、間を違えること

同時に、ずっと「タバコやめたい」と思いつつもやめられなかったことも思い出すのですよ。
タバコをやめて10年も経つと「吸ってた自分」と「やめようとしてた自分」が記憶の中でセットになっちゃってるんですね。

「なんでやめようとしてたんだっけ?」と記憶をたどってみると、理由はいろいろあって、

  • 健康に悪い
  • 部屋が汚くなる
  • お金のムダ
  • 社会的に嫌煙ムードが…

などなど、だいたい皆さんと同じようなことを考えつつ「もう、やめなきゃな」と思っていたのですが、僕の場合、それに加えて「間を外すのがイヤだな」みたいなことを考えていたのですよ。

たとえばミーティング中、みんなであ〜でもないこ〜でもないとアイデアを出し合ってるとき、上手いタイミングで自分の意見を投げ込みたいんですよね。

正しい意見だったとしても、ちょっとタイミングを外すと「今それじゃないでしょ」みたいな空気になっちゃうし、「ちょっと場違いかな?」って考え方でも、間が良ければ「うん、それもアリっすね」って、軌道修正のキッカケになったりね。

よくお芝居とか、演劇、スポーツなんかで「間(ま)」って言いますけど、仕事の現場でも大切だったりするんですよね。

それが、ミーティングが長引いたときに「タバコ吸いたいな〜。トイレ行くふりして吸ってこようかな〜。喫煙所近くにあったっけな?」みたいなことを考えてると、ちょっとだけ気が散って、タイミングを外しちゃうんですよね。

こうして文章で書いてみると、ちょっと大袈裟な感じに仕上がっちゃうんですけど、なんとなくのニュアンス、伝わりますかね?

「ここでパッと言葉を挟むのはやめて、いったん一服しながらストーリーを練るのもアリだな」って考えがアタマに浮かんだ時点で、一歩下がっちゃうような感じですね。

今は、無職になって毎日をダラダラと過ごしていますが、これでも職業人時代は真剣に仕事に取り組んでいたのですよ。

むかし、どっかで「間違いとは、間を違えることだ。内容の云々じゃないんだよ」って話を、読んだか、聞いたか、したことがあったんですよね。
たぶん、それがアタマの中にあって、こんなことを考えていたんだろうと思います。

元ネタを知りたくなったので、ちょっと手を止めて「間違いとは、間を違えること」でググってみたのですが、上手く見つかりませんでした…。
有名な方の口から出た「名言」とかじゃないのかもしれません。

もしかすると、名もなき同業者から飲みの席なんかで聞いた話だったりするのかもしれませんが、いっとき心に残ってたことがあったんですよね。

タバコのことを思い出すまで、忘れてましたけどね…。

いろんなことが変わった日

考えてみると、あのパニック障害の発作を起こして、冷や汗ダラダラ流しつつ、何が起こったのかわからず、119番に電話するのが精一杯だったあのときを境にいろんなことが変わったんですよね。

何時間も苦しんだように覚えていますが、もしかすると数秒の出来事だったのかもしれません。

ピタッとタバコをやめられたのもそうだし、あの日を境にセミリタイアをイメージし始めたし、「オレって健康じゃないんだ」ってことが判りましたからね。
当時、なんとなく体重が増加していて、睡眠の質も悪かったし、不調は感じていたんですが「3ヶ月も走り込めば、15kgくらい絞れるし復調するだろ」くらいに思ってたんですよね。

若い頃はずっと、そんな感じで体重管理してましたから。

「そのうち、そのうち」のまま、数年が経過していたのですよ。

あの発作は、いろんな意味での警鐘だったのかな? と思っています。

以来パニック障害の発作は起こっていません。
その前から、夕方くらいに動悸がしたり、寂寥感を感じていろんなことが億劫になって手が止まったりしていたのですが、それはあの日以降もしばらく続いていました。

でも、血圧を薬で抑え、心肥大の治療が進むうちに症状はどんどん軽くなっていきました。
「ツラくてガマンできないとき用に」と、デパス(エチゾラム/抗不安薬)を頓服薬として処方してもらってたのですが、いつの間にか睡眠導入用にしか使わなくなっています。

朝ランの習慣もこの頃から復活しました、いまだに続いています。

「いつまでも仕事を続けられるわけじゃない。休息(セミリタイア)しなきゃ」と思い始めたことで、お金の使い方も変わり始めました。
資産運用について、真面目に考えはじめたのもこの頃からです。

最初のうちは「まずは、住宅ローンを完済しよう」と思ってましたから、すぐに金融資産を購入しはじめたワケじゃありませんでしたけどね。
あの日をきっかけに、マネーセーブ・モードに変れたのは大きかったと思っています。

これがセミリタイア資金の原資になりましたからね。

僕にとって「タバコをやめた日」は「セミリタイアに向かい始めた日」だし「健康を取り戻した日」でもあるんですよね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。