この暇、つぶすことを求めていないのです
2020.12.20
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。いまこうして、毎日が暇であることがとても快適なのですよ。そのために数年がかりで無職になったのです、ようやく得た暇なのです。だからとくに、この暇をつぶすことを求めてなどいません。余白のまま置いておけば、そのうち満たされるはずなのです。
暇は暇ですよ。無職ですからね
前もってお伝えしておきますが、これから書こうと思っている話は「なんだよ、まったくもってどいつもこいつも」という話ではないのです。
むしろ例外的な「そうだな。こういうヤツ、皆無じゃないだろうな…。ほら出た」程度の話なのです。
僕はいまこうして、無職になって山口県萩市に移住してきています。
とはいえ、このコロナ禍なので、あまり人と会ったり飲み会に呼ばれたりなんてことはしていません。
それでも非常に少量ではありますが、新しい、もしくは、懐かしい出会いもあったりするものなのです。
当然「萩に来て(帰って来て)、何してるの?」なんてことを聞かれたりもします。
僕は「無職です」とか「セミリタイア中です」みたいな返答をすることになります。
だって、無職だしセミリタイア中ですからね。
そこに若干の興味を持たれているような感触はあります。
「普通みんな、仕事してるでしょ」が前提にありますからね。
人によっては「じゃあ、これから萩で仕事を探すの?」みたいな反応をする人もいますし「リタイアしたの? いいねえ」もあれば「長期休暇? 次のことはこれから考える感じ?」と様々ではあります。
僕が50代後半ということもあるでしょうし、僕が出会って会話する人というバイアスもかかってるんだろうと思います。
僕と同世代の方ならば、なんとなくおわかり頂けると思うのですが、僕たち漠然と「これから55歳の定年まで社会人を続けることになるのか」なんてことを思いながら社会人になったのですよ。
当時は企業の定年って55歳だったのですよ。
後になっていろいろ調べてみると、60歳に延長されようとしている真っ最中だったのですが、大学卒業時にはそんなことにあまり関心を持ちませんよね…。
始まるときに考えてた、終わりの年齢にはなっているのです。
だから「リタイアしたよ」って言っても「え〜っ?! 早すぎるよ」なんてことにはならないのです。
そして大体聞かれるのが「日中、何して過ごしてるの?」です。
暇をつぶす何かを、紹介してくれなくていいです
実際には、以前投稿した「「シロートから始めて学習して。を繰り返していこう」」でも書いているように、第二種電気工事士の学習を進めていたり、庭に出て草むしりをしたり、YouTubeを観たりして暮らしています。
(参考:萩市民となった僕は、まず草むしりを…)
「冬なのに草むしり?」と思う方もおられるかもしれませんが、雑草ってこの季節でも普通に生えてきますよ。
そして、夏場ではとうてい足を踏み入れることができなかったような場所に、ようやく分け入って作業できるようにもなるのです。
また、次から次へとむしったり切ったりして出てくる草や木を燃やさなければなりませんしね。
会話の時間が取れる場面だったり、ちゃんと会話が噛み合うことが分かってる人には、そんな話もするのですが、何気ない話の流れで「日中は何を?」みたいな問いをいただいた場合には「まあ、暇にしてますよね」と答えることにしています。
そう答えるとだいたい「あ〜。いいっすねえ」で話が終わるものなのですよ。
そこで冒頭で触れた「ほら出た」につながるのです。
具体的に言うと、これまでにたった二人しかいないほどに稀なケースなのですが、何かを紹介しようとする人が現れるのですよ。
ひとりは「知り合いが、自分の会社のホームページをリニューアルしたがってたけど、紹介してやろうか?」でした。
もうひと方は「〇〇をやってるグループがあって、そこが『人が足りない』って言ってる」でした。
おそらく、好意でそのように振る舞われておられます。
「どうせ暇なのならば、有意義に使えば?」ということなのでしょうね。
これが「無職で居場所のない、お可愛そうなあなたのために、こんなにも親切な私が間に入って差し上げますよ」みたいな感じならば「うるさいボケ、話かけるな」で済む話なのですが、これまで出会ったお二方ともケレン味のない感じでスッとおっしゃってこられたので「ありがとうございます。でも今はこの生活を始めたばかりで、そういうフェーズではないのです」と、丁重に拒みました。
暇は余白です
一日じゅう家にいて、いろいろとやっていることはあるのですが、すべて自分がやりたいことをやりたいタイミングでやっているので、暇っちゃあ暇なのですよ。
「いろいろやることあるんだよ、暇なわけないだろ」とは申しません、暇です。
でもこの暇、数年がかりでようやくこさえた暇なのですよ。
僕にとって、とても大切なものなのです。
「暇だから、暇つぶしに何かしなきゃ」なんてことは考えていないのです。
人生の「これまで」と「これから」を分ける余白だし、この余白を使って頭の中のゾーニングっぽいことをしている最中なのです。
これまで僕は、自分で作ったものを他人にプレゼンテーションして、他人の意見で補正して修正して「作りたかったもの」から少し外れたものを成果物とする、そして報酬をいただく生活をしていました。
いつしか初っ端から「他人が好みそうなもの」を意識してものを作り始めるようになっていました。
デザイナーってそういう職業だから、それで正解なんですけどね。
せっかくそういう生活をやめて、好きなものを作っていい状態に向かっているので、いったんグラウンド整備をしているようなフェーズなんですよね。
このブログでも、一時期「ゼロに戻す」って言葉を多用しながら、自分の人生の場面転換をイメージし続けていたことがありました。
この「暇」は、ほっとけば「作りたいもの」「やりたいこと」で満たされるはずなのです。
それが他人の目に「おっスゲぇ」と映るものなのかどうかは謎ですし、そのへんはあまり気にしていません。
無職になるっていうことは、目先の損得によって自分の行動を変えることをしなくなるってことなのですよ。
何かをやるときに「好きな人とやる」か「楽しいことをやる」のどちらかの条件でサクっと動けるってことなんですよね。
そのために、この暇は余白として空けておきたいのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。