不要なことを端折ろう
2020.12.23
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「始める」ことよりも「辞める」ことのほうが難しかったりしますよね。辞めるほうが面倒くさいから続けてることって多いはずなのですよ。いまコロナ禍で、人々の生活スタイルが変わっています。「ちょっと試しにね…」が許されるときなんですよね。
レジにて。もう言葉、要らないんじゃない?
クレーマーっぽい感じになるのがイヤなので、よっぽどじゃないと表情にも態度にも出さないし、これまでの人生の中でお店の店員に声を荒げたことなど一度もありません。
だけども最近ちょくちょく、イラっとする出来事に遭遇しているのです。
おそらくそれはコロナ禍によって、僕も入店時にはマスクをするし、レジ係の店員もマスクをしていて、さらに両者の間にビニールカーテンが垂れ下がっているからだと思うのです。
言葉でコミュニケーションを取ることに向いている環境とは言い難いですよね。
それなのに「いらっしゃいませ」から始まって、
- 「温めますか」
- 「レジ袋は必要ですか」
- 「〇〇円になります」
- 「お支払い方法はどうされますか」
- 「ポイントカードはお持ちですか」
- 「箸はご要り用ですか」
- 「レシートは必要ですか」
などなど、いろいろと言葉で確認してきますよね。
おそらく、マニュアルで決まってるのでしょうから、とくにとやかく言う気はないのですが、前述のように両者の表情・口元が見えず、ビニールカーテンに仕切られている環境なので、当然コンフリクトが発生しますよね。
よく起こりがちなのが「(店員)温めますか?」と「(僕)レジ袋、要りません」が同時に発せられて「(店員)え?」「(僕)え?」ってなるパターン。
さほど頻度は多くないのですが「(店員)レシートは必要ですか?」「(僕)捨ててください」で、手渡されるってことも…。
おそらく語尾の「…ください」に反応してるんだろうと思います。
これは僕にも非があって「要りません」が正解なんでしょうね。
でも、もう長年「捨ててください」って言い続けてるので、クセになってるのですよ。
手渡されたレシートをそのまま捨てたら、変な空気になっちゃうので、マルシェバッグに放り込んで家に帰って捨てますけどね。
「もう言葉、要らないんじゃない?」と思うのです。
レジ台に買い物かごを置いたら「これだけ買います」の意思表示に決まってるし、「温めるかどうか」「レジ袋や箸の要不要」なんて、必要なら客の側から依頼すればいいし、値段はレジの表示を指せばいいのです。
レシートも黙って手渡して、黙って捨てたほうが処理速度が大ですしね。
作業開始時に「モゴモゴ」って言えば「『いらっしゃいませ』って言ったな」と思うし、レシートを渡しながら「モゴモゴ」って言えば「『ありがとうございました』って言ったな」と感じるものなのですよ。
「言葉で多くのことを説明するほうが親切」って状況ではないのですよ。
「え、この人なんて言ってる?」という不要な集中を求められる方がストレスなのです。
店舗側には店舗側の言い分があるのでしょうけどね…。
郵送される紙DMとか…
先日投稿した「年賀状を出さない人。もう大丈夫でしょ」という記事でも書いたように、僕は過去20年にわたって、年賀状出さない派です。
お返しの年賀状も送りません。
この記事で書き忘れたのですが「コロナなんだから、年賀状のやり取りを控えたほうがいいんじゃない?」ってことなのです。
施設に入るときには必ず手をアルコール消毒させられますし「めったやたらに、いろんなところを触れないようにしましょう」ってことになってますよね。
お店でも、人の手を介する現金決済よりもキャッシュレス決済のほうが衛生的だということになっています。
なので、当然「紙メールは不衛生」だということになろうかと思うのです。
たとえば年金機構からの振込用紙の送付とか、そいういう行政系の連絡はシステム上の問題もあり、すぐに「全部デシタルに」なんてことはできないんでしょうけど、個人のやりとりとか、民間のご挨拶的なものは「新型コロナ禍だし、紙のやり取りはやめましょ」でいいと思うんですよね。
僕は2020年8月に東京都江東区から山口県萩市に転居したのですが、郵便物の転送サービスを依頼しているのですよ。
届出日から1年間、東京の旧自宅・オフィスに届いた郵便物は、萩に転送されてきます。
まだ、引越して4ヶ月しか経っていないので、直接送られてくる郵便物よりも転送されてくるものの方が多いのです。
そして、その大部分は「DM(ダイレクトメール)」なのですよ。
「この令和の時代に、郵便受けに入ってるDMで消費行動、変わると思ってんの?」とか「いまDMって言ってたら、ダイレクト・メッセージだよね」とか、いろいろと引っかかりはあるのですが「もう、そろそろ辞めたほうがいいんじゃない?」と思うのです。
たぶん、マーケ部門とか営業推進系の部門で「昔からやってるから」って理由でやってるんですよね。
誰か「コロナ禍の中、人が手で運んでくる情報って嫌われません?」って言い出す人が出てもいいような気がするんですけどね。
全部コロナのせいにしちまえばいいじゃん
ギチギチの満員電車での通勤とか、意味なく大人数が集結してる会議とか、「情報交換も兼ねて週1回は…」的な定例会とか、そういう要らないものを全部コロナのせいにして辞めてしまえばいいと思うんですよね。
僕はもう無職になっていて、職業人としての席を失っているので、メディアやSNSなんかから漏れ伝わってくる話しか情報源がなくて、現場の空気感もさっぱり分からないのですが、どうやらさほど上手く行ってるわけではなさそうですね。
オンライン会議とか言いながら、複数人が同時刻に拘束し合ってるようですし、一時期、陽性者数が減り始めたときには、従業員に出社を求めた法人も多かったみたいですしね。
「そのうち、満員電車で通うような働き方は必要なくなる」とか「上の世代が居なくなったら、もう無駄な会議なんてしなくなる」みたいなことって、僕が社会人になった30年以上前からずっと言ってきてるのですよ。
その他「虚礼廃止」みたいなことを言ってた時期もありましたよね。
お歳暮とかお中元は、若干減ったんでしょうかね? どうだろ? 僕の周りだけのことですかね?
人は何かがないと「辞める」ってできないのですよ。
下手すると「始める」よりも困難だったりしますよね。
僕もこのブログで「20年前に年賀状をやめたぜ」とか「もう10年以上もプリンタもFAXも使ってないぜ」などと書いたりしていますが、たまたま上手くできたことをアピールしてるに過ぎないんですよね。
50年を超える人生を振り返ってみると「辞めたほうがいいんだけどな」と思いながら、惰性で機会を失ってきたことがいっぱいあります。
飲み会とかでは「そのドア閉めないと、次のドアが開かないよ」みたいなエラそなことも言ってきたんですけどね…。
今ちょうどコロナ禍で、突拍子もないことをしても「試み」として許される時期だと思うのです。
この際、全部コロナのせいにして「ほんとは辞めたいんだよな」ってことを辞めるいい時期だと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。