人生における仕事の役割を、過大評価してたかもしれない
2020.12.27
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。かつては生活すべてが仕事を中心に回っていたし、仕事が生き甲斐でした。それで楽しかったし、充実もしてたんですよね。でも、セミリタイア人になって振り返ってみると「病んでたなあ」と感じるのですよ。他の大切なことに気がいってなかったのです。
仕事こそが人生、か?
ずっと「仕事こそが人生」みたいな考え方をしていました。
豊かな生活をしようと思ったら、お金が必要だし、お金を稼ぐためには仕事をしなきゃいけない。
どうせ仕事をするのならば、やりたいことができたほうがいいし、楽しい方がいい。そのほうが「やりがいがある」から。
とくにフリーランスになってからは、始業時間・終業時間なんて概念がなくなった(意図的になくした)ので、仕事のことを考えている時間がどんどん増えていきました。
「喜びも悲しみも、生き甲斐も、休息も、すべて仕事の中にある」みたいなことも考えていました。
新しく知り合った方には「どんなお仕事を?」と訊ねるようになっていました。
昨日「無職になったら、居場所のことなんて考えなくなってた」という記事を投稿したのですが、今日もそれに近いことを考えています。
大ざっぱに言えば、職業人時代に大切に思っていたことが、セミリタイア人になって環境を変えてみると「さほど大切なことでもなかったかな」と思うフェーズに入っているのですよ。
人生のストーリーを仕事で繋いでいく、とか、一緒に仕事を進めてきた仲間の存在を感じながら充実感を得る、とかを否定するわけじゃありません。
「それ抜きのパターンも、やってみるとなかなかいいぞ」くらいの感じですかね。
肩の力が抜けてる状態を把握するために、1回方にギューッと力を入れてみてからストンと力を抜くと「あ、これが肩の力が抜けてる状態か」ってわかりやすいじゃないですか。
おそらく僕はいま、そういう状態にあるのですよ。
これまで数10年にわたって、力み続けていた仕事との向き合い方をガラッと変えたものですから、ストンと力が抜けてる状態になってるんですよね。
僕は、仕事を楽しくやってきたほうだと思います。
30代半ばにはフリーランスになったし、その後も従業員を雇用しなかったし、とにかく対人ストレスを避けようとしましたしね。
(参考:人を雇わない会社を経営してきた理由)
「この人、なんか違うな」と感じたら、いつでも関わりを避けるようにしていたのですよ。
やりたくない仕事は「僕、それやりません」って言いやすい環境でもあったと思います。
それで、食うに困らない程度の報酬は頂いていたし、50代半ばにして「いったん無職になっとこうかな」と決断できる程度には蓄財できましたしね。
業績に関しても、なんら不満はないのです。
それどころか「ほんとに運が良かったな」と、今に至るまでずっと感じ続けています。
どんなに楽しくても、仕事にストレスは付きものです
でも、セミリタイア人になって思うのは、どんなに楽しくて、自分が望んで取り組んで、満足いく報酬をいただける仕事であっても、ん〜「だからこそ」なのかもしれませんけどども…、絶対にストレスからは逃れられないのですよね。
それでも職業人時代は「打ち上がったら、ストレスはいったんゼロに戻る」ような気がしていたし、どうにかこうにかコントロールできてたようにも思ってたんですけどね。
ときどきは「このままじゃ不味いぞ」なんてことを思いつつ、生活スタイルを補正したりもしてましたしね。
(参考:「セルフブラック」の功罪)
それでも、こうして無職になってみると「仕事のストレスって、結構なものだったんだなあ」と感じるのです。
この辺は千差万別なんでしょうけどね。
仕事を辞めたら、やることが見つからなくて、それがストレスになっちゃうみたいな話も聞きますしね…。
僕はこうして「仕事を辞めたら、ストレスが激減して、すごく調子が良くなったよ」という話を書いているのですが、みなさんに当てはまる話かどうかは、謎です。
昨日のブログでも書いたように、仕事仲間に囲まれた「居場所」を失っても、割と平気ですし、もともとが「オレ、そろそろ焼きが回ってきてるな」と感じて、自分から群れを離れたって経緯もありますからね。
これが、定年とか戦力外で居場所を失ったのならば、そのこと自体が大きなストレスになってたかもしれませんね。
自分の意思で辞められたことも、これまた幸運だったのだと、しみじみ思います。
健康とか、学習とか
ならば「仕事から離れて、いったい何が生き甲斐になるんだ?」というところなのですが…。
いま、それを模索している最中なんですよね。
数年後には「生き甲斐? そりゃ仕事だよ」ってことになってるかもしれません。
しばらく前に、このブログ内でしきりに「生産的な趣味」というワードを使って頭を整理していた時期があったのですが、生活のために働くことをしなくても良くなることで、仕事も趣味も学習も同列に考えることができるようになるんですよね。
もともと僕はデザイナーを生業にしていたくらいなので、手仕事が好きなのですよ。
だから「仕事こそが人生ってわけじゃないよね」と言いつつも、何かしら手を動かしていたいのです。
それで古民家を買って、セルフリノベーションしながら暮らしてみるか、なんてことを考えて今の状況に至ってるのですしね。
それと、先日投稿した「シロートから始めて学習して。を繰り返していこう」」でも書いたように、何かしら新しいことに取り組むのが楽しいのですよ。
いまのところ「毎年、何かの入門者になるようにしよう」などと考えています。
詰め込みでもいいから、何かしらの知識をインストールすると、自分の視点がちょっと変わる感じがして、なかなかいいのです。
手仕事の技(ワザ)も増えますしね。
そんな生き方をするためには、もっと大切なものがあって、それが健康ですよね。
僕は、体育学部健康学科なんてところを卒業しているのですが、自分自身の健康に関してはちゃんとできてなかったのですよ。
今は心を入れ替えて、定期通院して管理をお願いしたり、週に3・4回の朝ランを習慣化していますけどね。
心なしか、職業人時代よりもセミリタイアしてからのほうが、朝ランの爽快感が増したような気がします。
走りながら何か思いついちゃって「早く帰ってPC触りたいな」なんてことから解放されてるからでしょうね。
セミリタイア人となってからの後解釈に過ぎませんが「そんなに仕事を大切に考えることもなかったよね」なんてことを最近、よく考えるのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。