「仕事」をしていないのだから「納め」もありません
2020.12.28
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。仕事納めって「この日で本年の業務、終了ですよ」って意味のほかに、1年の仕事を振り返るというタイミングでもあるんですよね。年明けに立てた仮説を検証したりね。はじめてまるっきり仕事をしない1年間でした。わりと強めに寂しさを感じています。
振り返るべき仕事のない1年
先日「萩ドットライフ(ホントは本名ですけどね)さんの、年末年始のご予定はいかがですか?」というメールが届いていました。
かつて一緒に仕事をしたことがあったのですが、ちょっと偉くなられたせいか、なかなか現場でお顔を拝見しなくなってた方なんですよね。
互いに年賀状をやり取りするような仲でもないし、そもそも僕は年賀状制度を廃止してるし、年末だし、今年はコロナ禍で人と人が顔を合わせない1年だったし、なんとなくの近況報告の方便としてのスケジュール確認だったのかな? という印象を受けました。
ざっくりと要約すれば「最近見てないけど、どうしてる?」ってことだったんだろうと思います。
僕は本当に近しい人にしか「もう案件をお請けしません。セミリタイアします」ということを伝えていなかったのですが、どこからか聞き及んで「ホントにやめちゃったの?」を確認したかったのかもしれません。
当然、僕が無職になるときにも、東京を去るときにも連絡しなかった非礼を詫びつつ現状を報告したり、先方の現在のポジションや会社の取り組みなどを教えてもらいつつ、3往復程度のメールで話は終わったのです。
毎年この時期って「仕事納め/仕事初め」って、意識していましたよね。
僕の場合はフリーランスでしたので、いつも「成り行きです。何か手を動かすことがあればやりますし、なければ自然と休みになるんです」と返答してました。
とはいえ、結局はクライアントや代理店、制作会社からやってくる「年末年始休業のお知らせ」に書かれている日程に従うことになるんですけどね…。
同時に「今年は、こんな仕事があったなあ、よく頑張った」「あの人に助けられたなあ、お返ししよう」「こいつはクソだったなあ、こんど意地悪しよう」などと1年を振り返るタイミングでもあったんですよね。
仕事納めって「今年の業務は、この日で終り」という意味もあるのでしょうが、「このタイミングで、振り返りをやっとくか」って意味もあったんですよね。
年のはじめに設定した仮説の検証だったり、関わった方の人物評だったりね。
これはちょっと寂しいぞ
ずっと「セミリタイア快適、無職になって良かった」と、このブログにも書き続けていますし、強がりでもなく、自分の行動を正当化したいわけでもなく、ホントにそう考えているのですよ。
「案ずるより産むが易し」と心から思っているのです。
でもね、振り返るべき仕事をやっていないのが無職なのですよ。
「オレには、仕事納めって概念がなくなっちゃったんだな。当然、仕事初めもないよな」ということに気づいて、ちょっと寂しい思いをしています。
やったことは、たくさんあったんですよ。
家を買ったり売ったり、萩に移住したので、引越しやら個人・法人の移転手続きなどなど、慣れないことが多かったので、職業人時代の1年よりも疲弊した年だったのかもしれません。
この辺は、大晦日あたりに「1年の振り返り」としてブログ記事にしようと思っています。
でも「仕事納め」となると、そういうのとはちょっとニュアンスが違うんですよね。
去年の年末も、無職で迎えた年末だったのですが、振り返るべき仕事はありましたからね。
今回が、まるまる1年通して仕事をしなかった初めての年末なのですよ。
「そっか、何も振り返ることができないのか…。新しい案件も始めなかったし、手が離れた案件もなかった。新しい人とも会わなかったな」と。
1回も打ち上げをしなかったし、暑気払いも忘年会もしなかった。
これは、コロナ禍のせいもありますけどね。
思いがけず届いた、年末年始のスケジュールを確認する体(てい)のメールからの連想で「そっか、仕事納め/仕事初めって必要な節だったんだなあ」などと考えているところなのです。
「納め」ることも「初め」ることもないのです
ここ数日、今は自分の生活の中から失われてしまった「仕事」に関することを考えることが増えてきていますね。
昨日も「人生における仕事の役割を、過大評価してたかもしれない」なんて記事を投稿していますしね。
たぶんSNSとかで目にする「仕事納め」とか「年末年始休業」みたいな文言に反応しちゃってるんでしょうね。
税理士から年末調整用の資料送付の催促もありましたしね。
まる1年も生産活動をしていない自分に、ちょっと戸惑っています。
この状態を望んで無職になったくせに、です。
まあ、このブログが生産っちゃあ生産なんですけどね。
文章としては、かなりグチャグチャですし、朝起きて思いついたことを構成を考えることもなく、思いつくがままに書きなぐり、推敲もせずに投稿してしまってるものなので「生産」と言うには相当恥ずかしいんですけどね。
それでも「朝起きたら、まず何かを考えるよ。考えたことを文字にしてみるよ」という文章を書く練習にはなってるはずなのですよ。
文章を書くことで、自分が考えてることを確認できますしね。
あとで読み直すと「え、オレ。こんなこと考えてる?」ってことも多いのです。
ちゃんと考えてるつもりでも、文章にしてみると、ぜんぜんピースが足りてないこともいっぱいありますしね。
でもこれは、決して「仕事」じゃないんですよね。
だから「納め」ないし、「初め」もしないのです。
こういう生活を続けていたら、自分の身に何が起こるんだろう? と興味をもっています。
せっかく無職になったのだから、職業人時代とは違うことを続けてみて、別のかたちになっていく自分を見てみたいのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。