もう職業人には、戻れないかもなあ
2021.01.11
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。無職になったからなのか? それともそういう年齢だからなのか? いろいろと自分自身に変化が起こりつつあることに気づいています。ポジティブ・ネガティブ、両面ありますが、どちらにせよ「もう職業人には、戻れないよなあ」という気がしています。
ちょっと前なら簡単に気づいていたことなのに
いま住んでいる家に入居してはじめて「あれ? ネットに繋がってないじゃん」という事態に陥りました。
単純にwi-fiルーターの不具合で、再起動後にすぐ復旧したんですけどね。
もう何年も使ってるルーターで、東京のマンションで使っていた頃から「繋がらなくなっては再起動する」を繰り返していたのです。
「それでも繋がるんだからいいか、復旧しなくなったら新しいのを買いに行こう」ってくらいのもんです。
いざとなったら、テザリングで緊急事態の回避はできますしね。
ところが「ネットに繋がってない」から「またルーターか」と思いつくまでに、数分間要してしまったのですよ。
いまの環境は作業部屋とルーターを設置してある部屋が別々なので、ルーターのランプが見えなくて異常に思い至るまでに少し時間がかかったみたいなことなんでしょうけどね。
些末なことではありますが、最近そういうことが多いのです。
ずっと「なんかが軋むような異音がするな」と思っていました。
古い木造の家に住み始めたので「湿度の関係で木材が軋んだりしてるのかな?」などと思っていたのですが、なんのことはない、外付けHDDの駆動音がときどきテーブルと共鳴しているだけでした。
これも東京にいたころから把握していた現象で、HDDの下にクッション材を敷き忘れてただけだったんですよね。
50代も半ばを過ぎますと「人や物の名前が思い出せない」とか「あれ、何を取りにこの部屋に来たんだっけ?」ということも増えてくるのですが、そういう感じと違って、なんとなく「デジタル環境に対する関心が薄れてきてるな」という感じがしています。
感度が鈍ってるのですよ。
異常とか異音に際して、頭の中でリストアップされる「もしかして」のピントが合わなくなりつつあるんですよね。
できもしない能書きを考え始めてる
ちょっと前までSNS上で、たとえば新型コロナ対策みたいなニュースに対して、あ〜でもないこ〜でもない、政府は、行政は、○○は無能だ、自分の考えが正解だ、みたいな言説を投稿し続けている人を見て「専門家でもなかろうに、できもしない能書きを垂れるなよ」なんてことを感じていました。
デザイナーだった時代にも、他人の仕事を見せられて「これ、どう思う?」って訊ねられることが苦手だったのですよ。
とくに「どう?」の向こうに「自分は気に入っていないので、同意して欲しい」みたいなニュアンスを感じたときなんかは、内心「面倒くさいことになっちゃったな」と思ったものです。
発注時点でのテーマ設定とか、予算感とか、制約とか、はたまた進行中の発注者と制作者のやりとりがわからないと、なんとも言えないのですよ。
自分でも「これはないよなあ」と感じていても、その状況に置かれると似たようなアウトプットになる可能性もあるのです。
だいたいの場合、正直に「状況次第では、僕がやってもこの仕上がりになる可能性はあります」という言い方をしてましたね。
その上で「なんの制約もないのであれば、もうちょっとここをこうして…」みたいな言葉を付け加える程度でした。
自分が、その状況に置かれてもいないのに他人の仕事についてあ〜だこ〜だと評論めいたことをするのが、とてもイヤだったのです。
系統立った美術教育を受けていないという負い目もありましたしね。
(参考:何歳になってもコンプレックスを克服できない)
それがつい先日、出資先の経営者からビジネスプランの相談の電話がかかってきたのですが、その会話の中で先方の説明に対して「でもさ、でもさ」と屁理屈ばっかり並べて、否定とも取れるような意見ばかりを返してたんですよね。
僕が「じゃあこうしよう」と解決策を提示できるわけでも、したとしてもそれを裏付ける実績もないくせに、です。
自分が苦手だったはずの「できもしない能書きを垂れる人」になっていることに気づいたのですよ。
もともとが僕の役割は、その経営者が自分の頭を整理するための壁打ちの壁みたいなものなので、話を聞きながら引っかかったところを掘り下げるとか、思いついたことを口にする程度なので、何にどう反応してもさほど影響はないんですけどね。
それでも話してる間じゅう「でもさ、でもさ」言われると、あまり気持ちのいいもんじゃありませんよね。
僕も話しながら「なんとなく、自分のコミュニケーションスタイル変わったな」と思い続けてたのですが、なかなか途中で修正することができないものなんですね。
無職になって1年超、もう戻れないな
無職になってから1年と数ヶ月が経過しています。
前述の
- 作業環境への関心が薄れる
- できもしない能書きを垂れるようになる
といった現象が、無職になって職業上の自分の居場所を失ったからそうなったのか? それとも老いによって、そういう時期に差し掛かっていたのかは謎です。
前者ならば「へえ、環境が変わると人間が変わるもんなんだな。新しい環境づくり、ていねいにやろう」という気になりますよね。
後者ならば「このタイミングでセミリタイア人になったの正解だったな。やっぱり変わり目ってあるよね」なのだろうと思います。
おそらく両方なのでしょうね。
どちらにせよ「もう職業人には、戻れないなあ」という気がしています。
とくに未練があるわけではなく「この状態で現場にいなくて良かったな」と感じるのです。
作業環境に対する(おそらく新技術に対しても)関心が薄れ、能書きばっか垂れてるオッサンなんて、老害そのものですもんね。
いま起こりつつある自分自身の変化、ポジティブな面、ネガティブな面、両方あるようです。
そういうことに敏感になってるのも、無職になったことだったり、こうしてブログを書く習慣を得たことの効能かな? と思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。