断捨離。満ちたり引いたり
2021.01.14
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。断捨離って、決して「始めたよ」「終わったよ」で済むことじゃなさそうですね。ものを減らしたり増やしたりを繰り返しながら、自分自身や環境の変化と向き合いつつ、暮らしをフィットさせる作業を延々と継続していくことのような気がしているのです。
暖房器具、全部捨てて大後悔
僕が「ヨシ断捨離しよう」と決心したのは、一昨年の秋頃です。
業務として受け持っていた最後の案件も、終わりが見えてきて「ようやく無職になれる、そしたら山口県萩市へ本移住する準備を始めよう」と、萩での家探しを始めると同時に行ったのが、断捨離だったのです。
(参考:断捨離を実行することにします)
そこから半年くらいかけて、少しづつ断捨離を進め、東京のマンションを売却することが決まったときには、かなりスッキリした状態で購入希望者をお招きすることができました。
売却が決まり、萩の家に移るときにも、東京で40年弱暮らしたとは思えないほど少ない荷物で引っ越すことができましたし、現時点でも日常使わないものは、ほぼ押入れひとつの中に納まっています。
ただ、先週の大寒波で、大変な後悔をすることになってしまいました。
東京のマンションで暮らしているときには「邪魔だな。ここに越してきてたら1回も使ってないぞ」と、真っ先に廃棄対象になって捨ててしまった、
- ファンヒーター
- ホットカーペット
- 電気ストーブ
これらのうち、ひとつかふたつでも手元にあればあんなに寒い思いをしなくて済んだのに…と。
その他、厚手のウールやフリースの衣類も、部屋の中で使えそうなものはすべて捨てていました。
東京のマンション暮らしをしていた頃は、室内ではコットンセーターか、薄手のウールで十分、外出時にはその上にコートかダウンを羽織ってましたからね。
結局「あの寒さたまらんな、きっとまたやってくるだろう」と思い、ホットカーペットと電気ストーブ、ヒートテックや部屋着用のフリースなどを再度購入するはめになってしまいました。
またちょっと、物が増えるかもね
そういえば、いま部屋の中にある「オイルヒーター」も東京時代に捨てたのに、萩に来てまた書い直してるんですよね。
以前「不要なものを買ったのは、お金の無駄だったのか?」って記事を投稿していて、
オイルヒーターを買わなければ「オレはオイルヒーターを使わない」という知見は得られなかったのですよ。
なんてことを書いていますね…。
当時の自分に「違うよ。使うよ。買い直すよ」と伝えてやりたいくらいです。
断捨離の手始めは「本」でした。
部屋の壁1面を覆い尽くし、それでも収まりきれずに出窓や床にまで積み上げられた大量の本を、手元に置いておきたい数冊だけ残してすべて捨てたのです。
「本を捨てる」というよりも「また読みたくなる自分と別れる」ような行為でしたね。
これまでの生活を支えてくれたデザイナーという職業をやめ、生まれた街・萩へ移住しようと決めていた頃なのでずっと「ゼロに戻す」という言葉が頭の中にあって、このブログでも幾度かそれについて言及しています。
自分が持っているものを失うことに、すごくポジティブさを感じていた時期だったから、捨てきることができたんですよね。
決して「躊躇なく」ってワケじゃありませんけどね。
しかし…。また本を買い始めています。
ただ、以前のようにamazonで思いついたものを10冊も注文するような買い方ではなく、せいぜい1冊か多くても数冊。
読み方も、寝しなにベッドで習慣のように読むのではなく、昼間にソファで暇つぶしとして、読んでいます。
「なんか仕入れとかなきゃ、寝しなに読む本なくなっちゃう」じゃなくて「本で見たい本があるから」で買っています。
一時期kindle版を買って、iPadのアプリで読んでたんですが、結局馴染めなかったんですよね。
どうやらオッサンには、紙本っていう、あの形がデバイスとしてしっくり来るんですよね。
満ち引きを許容するしかないですよね
僕はいま「東京で捨てちゃったもののいくつかは、いま萩にあれば、ずいぶん生活が快適になるんだけどな」なんて後悔しています。
そしてまた「あれいる、これいる」と失ったものを再び取り戻すフェーズに入っています。
逆に「東京にいるときには『要る』と認識してたけど、実は要らねえぞ」と思い始めているものもあります。
たとえば時計や革靴、カバンの中の一部、ステータスを補強する成分の入っているものが一切要らなくなってますよね。
G-ShockとかASICS、Tumiくらいはないと困るんですけどね。
これから先も、こういうことを繰り返していくのだろうと思うのです。
人間なんて、生きてれば考え方も環境も変わるものですからね。
「自分の周りには、必要最小限のものだけがあればいい」と思っていても、そのセットが変わっていきますよね。
「ヨシ捨てた。スッキリした」と「捨てちゃダメだったんだ。取り戻さないと」を繰り返しながら、自分の心地よいポイントを探し続けることになろうかと思うのです。
だから「やっぱりいるんじゃん。断捨離なんかしちゃダメなんだよ」ではないのです。
断捨離をし続けるということが、自分にとって必要なものを考え続けるということなのです。
僕は断捨離を体験すること、そしてやらかしてしまったことで「これだけは失ってはならないもの」って変わっていくんだなあ、と感じています。
だって、断捨離をしているときって「これは捨てるものを選んでるんじゃない。残すものを見つける作業なんだ」なんてことを考えながら作業してましたからね。
おそらく、またものが増えていくんだろうなあと感じています。
単純なことをいうと、都市から田舎へ住環境が変わったので、それにフィットしたものが必要なのですよ。
現に、夏から秋にかけて野良仕事の道具をいっぱい買い込んでいますしね。
この傾向は、数年続くんじゃないのかな?
そして、そのうちまた「なんだ、この物の多さは。捨てろ、捨てろ」と言い始めるフェーズがやってくるはずなのです。
そんなもんだろうと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。