ときには、気休めを求めたくなりますよね
2021.01.18
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「気休め」って、自分に対する甘えだとか、現実逃避だったりしますよね。でもこれを頭ごなしに否定することもできないのです。気休めのおかげで、完全に心が折れる手前で休息を得られたり、進む方向を見直すことができたりする効果もありますからね。
コロナのおかげで、体調がいいです
インフルエンザが例年よりも激減しているようですね。
コロナ禍の影響で他人と接触する機会が極端に減っていたり、みんながマスクと手洗いの励行をしていたしているからなのでしょうね。
ウイルス干渉という言葉も初めて知りました。
干渉 (ウイルス学):
ウイルス学における干渉(かんしょう、interference)とは1個の細胞に複数のウイルスが感染したときに一方あるいはその両方の増殖が抑制される現象。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/干渉_(ウイルス学)(2021年01月18日現在)
これも、インフルエンザ激減の一因となっているようです。
このあたり僕は専門家ではないので、単なる聞きかじりです。
去年の11月に「そういえば今年、風邪を引いてないぞ」という記事を投稿しました。
それから3ヶ月、未だ一度も引いていません。
冬も本格化し、大寒波もやってきたし雪も降りました。
多少、鼻がグズグズすることくらいはありますし、あまりの寒さに頭痛を感じたことくらいはありましたが、1度も本格的な風邪の症状になっていません。
ありていに言えば、ずっと体調がいいのです。
たまに「コロナも悪いことばかりじゃないね。鬱陶しい会合には誘われないし、風邪も引かないしね」なんていう、「気休め」の言葉を使いたくなったりもしますよね。
それだけ現在の閉塞感や、なかなか突破口が見えてこない状況がストレスになってるってことなんでしょうね。
「気休め」って、悪い状態のときに思いつく「見かたによっては、いい状態とも言えるかもね」っていう屁理屈のことですよね。
どん底の状態のときに「大丈夫、あとは上に向かうしかないんだから」みたいなね。
気休めは、安全地帯
こうして考えてみると、気休めの言葉って、周囲の人たちから慰め半分、応援半分な感じでかけられることもよくありますけど、その大部分は自分自身でひねり出してることが多いように感じますね。
このブログ内でも「ちょっと気の利いた言葉を思いついたぞ」みたいな感じで、いろいろと書き残していますが、その大部分に「気休め」成分は含まれているのですよ。
そもそも今の僕は「長らくフリーランスのデザイナーをしていたけれども焼きが回った」「だから辞めてセミリタイア人になった」という、ダメな状態なのですよ。
そこに、
- こういう言い方もあるんじゃないか
- この角度からみれば素敵に見えるぞ
- この先の人生を考えると必要な潮目なのだ
みたいないろんな解釈を加えているだけなのですね。
ただひたすらに、自分への気休めを記録し続けているのが、このブログの正体だったりもするのです。
かつてスポーツの競技者だったころにも、サラリーマンをしていたとき、フリーランスになってからも、友人関係だったり、恋愛中の出来事だったりでも、なにかにつけて「気休め」は僕の伴走者だったのですよ。
自分で「気休め」のストーリーの真っ只中にいるときには、それが「気休め」だなんて微塵も思いませんけどね。
真面目に自分の行動を検証しているつもりだし、現在の状況をいかに突破してみせるか攻略法を考え続けてると真剣に思ってたりするのですよ。
その途中々々で、ちょっとした安全地帯を作り出してるようなものなんですよね。
自分には甘くなっちゃいますよね
「気休め」は自分に対する甘えですし、ときには現実逃避だったりもします。
小手先の解決策にすがりついたり、「ズル」や「投げ出し」の入り口になるような考え方だと思っています。
では「気休めなんて欲しがっちゃダメだ、排除すべきだ」ということになるかというと、そんなことはないのですよね。
にっちもさっちもいかなくなって、心がへし折れる手前で「気休め」ポイントを作ることで、少し気が楽になって仕切り直せたりすることは多々あります。
気休めとして妄想し始めたストーリーの中から「もしかして、これ…」という突破口が見つかる可能性もゼロではないでしょう。
気をつけなければならないのは、気休めで思いついたプランにどんどん進んでいき、泥沼にはまり込んでしまうことだと思います。
気休めは、あくまでも「気休め」なのですよ。
気休めは方向転換の場所だし、休憩場所なのです。
そこを上手く利用しながら、気休めではないものに巡り合わなければならないのです。
自分に対して「気休め」を考えてるときには、これが「気休め」であることを判っていなければならないのです。
でも、それがなかなか難しいんですよね。
他人には「気休めで思いついた案を、どんどん膨らませてるだけじゃない? それ、行き止まりだよ」なんて辛辣なことも言えるんですけどね。
自分事だと、甘々になってしまうのです。
そのくらいが、心の健康にとって好ましい状態なんでしょうけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。